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疲れたポテサラ

疲れてると、ひたすら「特定の食べもの」だけを摂取し続けたい気持ちになることがある。何の現象なんだろう。

いろんなものが食べたいではなくて、どれか一つの食べものだけを気が済むまで食べるのだ。たとえばポテサラとか。

たぶん、赤子のときにこの世で最初に食べたのがポテサラ。その記憶が残ってるので、そのせいなのかもしれない。まあ、それはないんだけど、本当にないとも言い切れない程度にはポテサラが好きだ。

そもそも「ポテサラ」って言葉がいい。なんとなく楽しそうな響きがある。ポテトサラダの略なのはわかっていても、やっぱりポテサラはポテサラと呼びたい派。日本でしか通じないんだろうけど。

本来はポテトのサラダなんだから、いろんな形態があってもいいのに、だいたいポテサラというと「あのポテサラ」を思い浮かべるし、それで正解だから便利だ。

どこのお店に行って注文してもポテサラと言えば、あのポテサラが出て来るのだ。他の食べものだとそうはいかない。

マカロニサラダなんかもポテサラの親戚っぽいけど、なかなか略せないし(マカサラで通じるんだろうか)、お店でマカロニサラダといっても出てくるのはまあまあバリエーションがある。

カレー味だったり、明太子が入ってたり、コールスローにちょっと寄せてるものもあったりする。その点、ポテサラはだいたいどこでも同じだ。安定のポテサラ。

ただ、惜しいのはポテサラは扱いというか存在が脇役なのだ。もっと、なんていうかポテトサラダがどーんみたいな、ポテサラメインの店があったらいいのに。

おしゃれな人しか寄せ付けない結界が張られている、とある街には「ポテトサラダ専門店」があるらしいけど、そうじゃないんだ。そうじゃない。大事なことなので二回言ったけど、ポテサラの概念を壊す見た目の映えとか、素敵なマリアージュをポテサラに求めてない。

近いのは「バケツでプリン」の感覚。好きなポテサラで胃袋を満たされてみたい。ただそれだけ。現実的には「わんこポテサラ」とかならあってもよさそうな気がしてる。どこかにないんだろうか。

その場合、わんこそばと違って「掛け声」が似合わなそうだけど。