たとえ世界が半分になっても
過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。と言ったのはニーチェだったっけ。深いよねニーチェ先生。
未来。そうだよね。これから先どうなるんだろうという話もよく見聞きする。何もなかったときのように元には戻らないし、戻れない。
もちろん僕ごときに何もわからないのだけど、うっすら感じるというか思うことはある。
今回のことで自分は本当に何を大事にしていたのか、何が自分の好きな世界をつくってくれていたのかが少し見えた。たぶん、それに近いことを感じた人は多いんじゃないかと思う。
自分の好きな世界(ささやかな日常でも)が閉ざされて、自分が半分になってしまうような感覚。半分の世界がどこかに幽閉されていて、失くしたわけでもないしさっきまでそこにあった気がするのに遠くに感じる。
半分になった自分が透明な檻の中から、もう半分の閉ざされた世界を眺めてる。
なかなか生きていて、こんなに全世界レベルで「世界が半分閉ざされる」ことってないから。
何かを失ってはじめて「それまで自分が持っていた何か」に気づくっていうのは人間あるあるだけど、まあそれに近いんじゃないか。
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たぶん、そんなふうに感じるのは未来に影響を受けてるからかもしれない。
さっき、半分になった自分の世界って言ったけど、これもよく考えたら全部世界がなくなったわけでもなく「半分はある」のだ。
その半分の世界はもしかしたら、たくさんのスキがきらめく世界じゃないかもしれない。もっと地味でひっそりとしていて。
でも、半分の世界で見つけられるスキは、深くて何かが通っているスキなんだ。たくさんの人に見つけてもらえる目立つ世界ではないところで、でも「ここにあってよかった」と思ってもらえるスキ。
それはnoteの記事だけの話じゃなくて、リアルの仕事、プロダクト、お店いろんなものに通じるもの。
たぶん、人はいつの間にか世界を少し拡張し過ぎたのかもしれない。
もちろん自分の世界を広げるのは悪くない。ただ、世界を広げている途中で深いところにある本当の自分のスキと切り離されて、本当のスキとつながってない世界が膨らみすぎてたような気もする。
世界が半分になったことで、本当の自分のスキがちゃんと見えたのなら、この数か月を生き延びた意味も少しはあるんだろう。