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アマノジャクと五家宝

どうやらアマノジャク気質疑惑らしい。らしい、というのは自分ではそんなに意識してないから。

漢字で書くと「天邪鬼」。なんか恐ろしい。なぜそう書くのかは諸説あるけど、まあだいたいは人の言うとおりにはしないひねくれ者という意味になってる。

一説では古事記や日本書紀の時代にも、その原型の存在が描かれている。ただ、こっちはそんなにひねくれてるわけではなく「天探女(あめのさぐめ)=人の心を探る女」。

これはこれで、ときと場合によっては怖い。

たしかにそう言われれば、目の前の事象とか誰かの言葉も探るわけではないけど、ただそのまま受け取ることってそんなにない。

いやべつに疑ってかかるとかでもなく、その事象や言葉の断片が生まれた背景とか、そこにつながってる見えない物語、つながれない物語、宙に浮いた何かみたいなのに無意識的に意識が向いてしまう。

つまり、その場を逸れて探ってることになる。アマノジャクだ。

みんなが「いい」って評判になってるものも、そうなのかと思うぐらいですぐ近づかない。べつにそこに乗れなかったからとかでもなく、ただ眺めてるのだ。

そういうのって、人によってはいい印象持たれないのも知ってる。なんかスカしてるよね、斜めにみてるんじゃないのとか。

たびたび言ってるけど、みんなの「いい」を否定してるわけでもなくて。

何か盛り上がってるものがあると、わー、近づきたい、一緒に盛り上がりたいではなく「どういうことなんだろう」のほうが強く湧きあがってくる。そこに抗えないのだ。

べつに何に対しても反対したり、ひねくれて逆の行動をするわけじゃない。

炎天下に喉がカラカラになってるとき、「ガリガリ君」「五家宝(ごかぼう)」を差し出されたら迷うことなくガリガリ君を手に取る。そこは一択。いやでも『翔んで埼玉』を観たあとなら炎天下でも「五家宝」を手に取るかもしれないけど。

ちなみに「五家宝」は、おこしを水飴で巻いて固めてきな粉がまぶされてる棒状のお菓子。口の中の水分持って行かれるお菓子選手権で上位に入る。地味に好きだけど全国的な知名度はわからない。

そんなふうに常に「反対側の可能性」を考えてしまう習性があるのもアマノジャクっちゃ天邪鬼なんだろうか。

けど、ものを書くなら多少はアマノジャク要素をめんどくさがられない程度に持ってるほうがいいんじゃないんだろうかと思ったりもするよ。