見出し画像

人生をずっと休憩して生きること

デイリーポータルZが好きだ。

いや、これだけで通じると勝手に思って書いてしまってるけど、通じない人もいるかもしれない。もちろん、その人が悪いわけでもなくて。

デイリーポータルZは「オルタナ系ポータルサイト」を名乗る老舗読み物メディア。通称「デイリー」とか「デリポ」。現在流通しているインターネット成分の何%かはデイリーポータルがつくり出してしまったといっても過言ではない。

そんなわけで、noteと同じくデイリーポータルを徘徊するのは、もはや大須商店街の喫茶コンパルにモーニングを食べに詣でるのと同じぐらい日課になってる。イメージ。

デイリーの何が好きなのか。そこを語り出すと軽く3万字くらいはこのまま書けそうだし、誰も読まないので書かないけどもちろんいくつか理由はある。

といっても、ほんとは気づいたら好きになってたというあれなので、たぶん理由なんて後付けなのかもしれない。

何よりいいのは、基本的に「役に立たない」ことをちゃんと記事にしてるメディアだからだ。いや、そんなの「おもしろメディア」ならだいたいそういうんじゃないの? と思われそうだけどちがう。

デイリーの「役に立たない」は、もしかしたら役に立つかもしれなくて、でも「結果的に役に立たない」が多いのだ(個人の感想です)。あざと味が薄いというか。


こういう、不意に「大事じゃないけど大事なもの」を思い出したみたいに見せてくれるところ。昔から変わってない。

まあとくに、いまの企画が「ばかばかしい記事まつり」だから、まさにそうなんだけど。でもこれ、ふつうのおもしろメディアだと、もっと力入れてくると思う。ばかばかしさに対しても。

でもデイリーの場合は、ばかばかしさにも全然力入ってなくて、こういうのもあっていいんじゃない? ぐらいの力加減だ。わざと「ゆるく」って感じでもないのがいい。

なんだろう。人生をずっと休憩して生きてる感じ。またわかんない表現してしまってるけど。

ほら「休憩」って、世間の文脈では「仕事←→休憩」じゃないですか。トレードオフ。ちゃんと仕事したから休憩していいとか。休憩したから仕事しないといけないとか。まあ、そうなんだけどほんとにそうなのかな。

もし、ずーーーーっと休憩だけしてる人がいたら、その人はたぶん「ダメなほう」に分類されてしまう。休憩ばっかりしてないで働けよと。で、休憩ずっとしてる人も罪悪感を持ってしまう。

そこは「働いてお金を得る」が正しいことで、そこにコミット出来る人がまともで、それをせずに休憩して生きてる人はヒソヒソ言われても仕方ないみたいになってしまう。

でもね、スヌーピー師匠ならどう言うんだろうって。スヌーピーって人生の達人(達犬)だけど、きっと「人生をずっと休憩するように生きてる」ことも否定はしないんじゃないか。

仕事して人生生きてるぜって感じることもあるけど、こういうくだらないけど、犬小屋の上で「こうやって生きてるんだな」を想えるのって、それも人生だと思う。

いや、むしろ空を見上げてるほうが本当の意味で人生なんじゃないんだろうか。


My life has no purpose, no direction, no aim, no meaning, and yet i'm happy. I can't figure it out.