トビラ。

僕は長崎の田舎で育った。田舎といっても田んぼや畑に囲まれているわけではなく、住宅はたくさんあるし、人もたくさんいた。山の上の方で街からは離れていたし、坂道だらけで、信号もなかった。(今はある。できたときに近所ではゴシップネタより盛り上がった。ただ、その信号で渡るものはいなかった。)

小学校まではあのまちが全てで、人もモノも情報も世界の全てがあのまちに詰まっていた。悪さをすればすぐ広まるし、いいことをしてもすぐ広まる。ずっとあのまちでいい子ぶっていたから、近所での評判もすこぶるよかった。流暢に長崎弁を駆使して、愛嬌のある笑顔を振りまき、本当にうまくやっていた。近所のおばちゃんたちはお菓子をくれるし、友達もたくさんいて、山や商店や道端全てが遊び場で、毎日の全てがそこに詰まっていた。

山を下ると浜の町という街がある。所謂繁華街だ。デパートがあって、ケーキ屋さんがあって、レストランがある。僕にとって浜の町は外国だった。山を下ることが出国作業。幼稚園があったあのバス停から向こう側が外国。外国は魅力がいっぱいで、外国には誘惑も多い。街の人は全て外国人でほぼほぼ敵だ。感性が違う。信号もあるから、道の反対側に行くのも得意だ。人とすれ違うテクニックもものすごかった。ギリギリで瞬時にかわす。どんなに混んでいてもスタスタ進んでいける。外国人はすごかった。

そして、駅の向こう側全ては違う星のものだった。長崎駅は異世界への扉、県外なんて太陽系よりも外側だ。親戚さえも長崎にばかりいた僕は「地球」出ることはほとんどなかった。宇宙へ行くには訓練がいるし、準備も必要だ。外国へ行ったことのない僕に、星を出るなんてもってのほかだ。

そうだと思っていたのだ。ひょんなことから中学受験で合格してしまって、「外国」へ通わなくてはいけなくなってしまった。長崎弁の、しかも長崎の中でも端っこの言葉しか使えない僕が。中高一貫なので、6年間だ。6年間も外国へ通学だ。親の口車と、塾の先生の口車に乗せられて、なんとなく受けてしまった。しかも受かってしまった。迂闊だった。外国には友達もいない。そこに待ち受けているのは外国人だけだ。そこらじゅう敵だらけだ。誰も味方なんてしてくれない。合格した喜びから覚めて、やっぱり地元の中学がいいな、なんて思っていたら入学手続きが済んでいた。大人はいつだって用意周到だ。外堀から埋めてくる。12歳の僕には選択肢がなかった。他の道は全てなくなって、先が真っ暗な細い一本道のみ。それでも扉を開けて進まなければいけなかった。

その時は自分が、北海道、宇都宮、福岡、大阪、埼玉、東京とこんなにもいろんなところで住むだなんて。ただ、今思うと楽しいことでいっぱいだった。面白いことも、悲しいことも。だから、面白そうなので、思い出しながら書き留めておこうと思った。そんな田舎の子のお話です。

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