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スピリチュアルマスターの独り言12「発達障害2」

私の今があるのは、息子達を育てた経験のお陰であるところが大きい。

彼らをどう見るか次第で、シナリオは全く違ってくる、そんな子育てだった。「だめ」「異常」目線に決して屈しなかったのは、私と家族の目線だった。

幼児期は本当に辛かった。「あなたは一体、将来、この子供達がどこで生きていくように育てたいの。日本だったら、これじゃ無理よ」と言われたことは私の情熱に大きく炎を灯した。

日本か海外、という二つしかない両極の目線があった。うちの子達はデュオナショナリティーで、英語と日本語両方に囲まれているだけではなく、国境を越えた感覚に包まれており、基本的に家族は身内を褒めまくるという習慣がある。

それでは日本人になれない、というコメントでは、私の価値観に全くフィットしなかった。どの場所でも、どんな明日が来ても、自力で生きていける強さを身につけられるように、その強さは愛、それが成熟した人間だということは、例えばヒットラーは愛に恵まれない幼少時代を送った、という事実や、アインシュタインが科学が目指すことろは愛だと娘への手紙に残していることでも明らかだ。

大袈裟に聞こえるかもしれないが、子育ては闘いだった。周りは私の子供を普通ではない、これではダメだと非難してくる。近寄ってくれないのだ。そして、ことあるごとに「お母さん、これでいいんですか」と言ってくる。「あの子と遊んではいけない」という親達の言葉が私を打ち砕いていた。

いつも全身で喜びや悲しみ、楽しさや興味を表す我が子が誇りだった。

結果的にはそんな非難のお陰で、ベストの道が開けて行った。今でも最高の学校だと思っているサンタマリアインターナショナルスクール(2012年閉校)に入学できたのだ。

当時人気で定員オーバー、たくさんの人がキャンセル待ちしていたこの学校に、あまりに酷でひどい状況ということで特別枠で入学させてもらえた。しかも3ヶ月の試用期間からの入学だった。

その学校に私も音楽教師として務める事ができ、36カ国のインターナショナルな子供達と過ごしながら、父兄からの要望で多くの子供達にヒーリングをさせてもらえた。その中で、発達障害とヒーリングについて経験を積む事ができたのだ。スピリチュアルマスターの独り言9「奇跡」をご参照ください。

私はエキスパートにだけ子供を託した。アメリカで何十年も特別支援の仕事をしてきた女性や、当時日本で英語で発達障害のテストができる唯一の医師だったイギリス人の男性、イギリス本国での医師の診断、武蔵野学園のカウンセリングなど、経験をたくさん積んでいる、信頼できる人にだけ診てもらった。いつも大丈夫だと言われた。

そして私は息子の素晴らしさを讃え続けた。IQがものすごく高い視覚的能力を活かすように応援し続けた。中高校も数人単位で教えるインターナショナルスクールに行かせた。

「障害」という意識は大きな負のエネルギーを作り出す。研究を始めた人の目的は、全くそういうことではなかったはずだ。愛のサポートの方法を見出したかったはずだ。元来、他と違うように、自分でいるように、自分を主張するように教育している欧米。どんな障害でも前向きに捉えられ、生きやすい社会体制が出来上がっている。

日本ではどうだろう?

障害と思っている限り、負のエネルギーは負を引き寄せる。違いは素晴らしい個性だ、天才だ、と喜びで包み続ければ、素晴らしい結果となる。もちろんエネルギー的に理解すれば、そのサポートで劇的な効果をあげる。エネルギー体が繊細で脆弱なところを補って上げる事ができるのだ。

私と同じ宮古島で一人暮らしをしている長男は年に一回、東京に里帰りすることにしているが、今年は桜が見たいと言っていたので、3月下旬〜4月に咲くよと伝えていた。が、休暇が3月9日からと聞いて、私は自分のこと以上にガッカリした。あ〜桜見せてあげたいと調べまくった。

2月だったら静岡で満開になる桜もあったが、3月9日はどこを調べてもまだだった。あ〜ちょっと遅く行けばよかったのに〜と不憫に感じた。

しかし!8日あたりから事態は急変した。なんと!気温が急に上がったのだ!桜も咲いた!!!!上野の桜の下で写った写真が送られてきた!

発達障害と言われる人には、いろいろな才能があるが、「宇宙の波に乗る」という一言では説明しきれないすごい事が元来できる人たちである。障害ではない。一歩も十歩も先を行っているのである。


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