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私はずっと嫌われ者だった ~ ⑤ 私のことが嫌いだった姉の話 ~

こんにちは。
カウンセラーのふーみんと申します。

ご来訪いただきありがとうございます。

このnoteは私が昔、いじめに遭っていたと思っている過去を、私の浄化のために吐き出しているようなものになっています。

書き始めた理由ははじめにをご覧になっていただければと思います。


ほとんどは学校等で起きたできごとを書いていますが、この記事だけは姉のことを書いておこうかなと思います。

この記事だけとか言って、本当は一番エピソードが多いので、これが一番たくさん書けるのですが、身内の話ばかりしてもね……😅

というわけで、姉の話はサラリと書いておこうかと思います。


最初はもちろん私が生まれたことを喜んでくれていた

姉が8歳のときに私は産まれた。

私が赤ん坊の頃の写真を見ると、最初は間違いなく、私が産まれたことを喜んでくれていた様子が見て取れる。

姉が小学校6年生のとき……
4歳だった私は、授業参観のときに道を覚えたのか、母が目を離したすきに
「お姉ちゃん、まーだー?」
と教室まで迎えに行ったことがあるとか(笑)

母親が私が居ないことに気づいて焦って探していたところに学校から電話。

急いで教室に私を迎えに来たら、私は姉の横にちょこんと座って授業に参加していたらしい(笑)

あ、今思い出したけど、トトロに本当に似たようなシーンがあった。
トトロでは、さつきとメイが一緒に帰っていたけれど、私は母とひと足先に帰ったそうだ。

そんなエピソードがあるくらい私も姉のことが大好きだった。

段々姉に嫌われていった

なのに……
仲が良かったはずの姉妹。

それが、徐々に姉に嫌われ、いじわるされるようになった。

私が姉にいじわるされた一番古い記憶はやっぱり小学生になった頃からかな。

少しずつ少しずつ、いじわるなことを言うことが増え、私が小学校の高学年になる頃には、仲良く話す方が全然少なく、私はいつも緊張していた。


姉が私を嫌いになった理由

もちろん子どもの頃には、どうして嫌われるのか……?

そんなことがわかるはずもなく、嫌われている自覚もあまりなかったものだから、急にいじわるなことを言われて泣くということが多かった。

前の記事に書いた階段事件のときの
「落ちた自分が悪いんでしょ」
の言葉のように
「あんたが悪いんでしょ」
というのは良く言われた記憶がある。

「口ばっかり」とか「どうせできないくせに」とか
そんな言葉は日常茶飯事だった。

子ども心に思っていたのは、私が産まれたのは姉が8歳のとき。

それまで一人っ子で育った姉に、突然のライバル出現。

特別母親が大好きな姉のところにライバルが来たら、母を取られるものかという意識が強くなるのは当然。

だから私のことが悪くて仕方ないんだろうな……くらいは思っていた。

大人になってから気づいたこと

大人になるまでは、「母親を取られたくないんだろう」しか思っていなかったのだが、私がカウンセラーという仕事について、人の心理を色々考えるようになって、ある一つの仮説が浮かんだ。

姉本人に聞いたわけではないので、もちろん今でもそれは仮説だけど、でもコレが、もしかしたら姉自身も気づいていない真実なのではないだろうかと思っている

それは……

姉はとても母に厳しく育てられた。
勉強しろとものさしで殴られながら、勉強させられていたらしい。

そのお陰か、姉はとても優秀だったけれど、そうでないと母に嫌われると思って一生懸命勉強していたのではないだろうか。

反面、私は、母が大きな病気をしたあとの子どもで、母自身も姉を産んで育てた頃より体力が落ち、産まれてきた私も身体が弱く産まれてきたものだから、
「生きててくれれば御の字」
みたいな育てられ方をした。

それでも私は私なりに窮屈で不自由な育ち方をしたと思っているけれど、姉から見たら、なんて自由に育てられているんだと思ったことだろう。

姉の私への憎しみの一番はそれだったのではないかと、カウンセラーになってから気づいた。

姉も姉で、母の犠牲者だったのではないかと……。

だから姉はよく私に
「あんたは好きなことばかりやって」
と言っていた。

いや、私はあなたのお陰で、かなりしんどいですよ?😅

と言いたかったけれど、年功序列の古い親はいつも「お姉ちゃんの言うことを聞きなさい」と言っていたし、私自身、8歳上の姉に口でかなうわけもなく……

いつも好き放題言われていた。

私もどんどん姉が嫌いになった

8歳の年の差は、大人になるに従ってどんどん縮まっていく。

ひとつ縮まるごとに私もどんどん姉が嫌いになった。

母は「なんでふたりっきりの姉妹でこんなに仲が悪いのか」といつも嘆いていたけれど、私だってたった一人の姉と仲良くなれないのはとても寂しかった。

そんな仲の悪い姉妹も、母がいるときはまだ、母の鶴の一声でどうにか仲を保てていた。

ところが母は長い間抱えていた病気で60歳になってすぐ……
私が30歳のときに他界してしまった。

父はまだ健在だが、父の話は母の言葉のように姉には通じない。

父がどんなに姉に言っても、仲を取り持つことはできなかった。

私もしばらくはなんとか姉と仲良くやって行こうと頑張っていたが、母の一周忌にある大きな出来事があり、以来、私は姉と話をしていない。

もう姉と話をしなくなってから27年になろうとしている。

同じ市内に住んでいるのに、数年に一度しか顔を見ない。

時々街中で見かけると「お化け見た!」と本気で思うくらい、すれ違うこともほとんどない。
もちろん、すれ違ってもお互い目を合わせることもない。

こんな関係、他にあるんだろうか?と思うくらい、お互いの存在をないものにしてしまっている姉妹。

今でも哀しい、寂しい思いは消えないけれど、私も許せないことがたくさんあるため、私から折れることはもう無いと思っている。


私は今でも、姉の言葉のお陰でたくさんのトラウマを抱えている。

もういい加減、そのトラウマから解放されろよと自分でも思うのだけど、これがまたなかなか強烈で……。

だからこんな経験を全てnoteに書いて浄化させようという気になったのかもしれないなと最近思うようになったのだけどね。

今後この姉妹はこのまま一生を終えるのだろうか。

それは神のみぞ知る未来……


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