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「残酷な女たち」 ザッヘル=マゾッホ

池田信雄・飯吉光夫 訳  河出文庫  河出書房新社

残酷な女たちと変な集まり

(マゾッホはレンベルグ(リヴィウ)出身のオーストリア=ハンガリー帝国出身)

今さっきマゾッホの「残酷な女たち」から始めの3編を読んだところ。標題の通り、判で押したような毛皮を着た残酷な女たちが出てくるが、逆に男たちの方は変な集会やお店の集まりにつどう。古代ローマの賢人の名前で呼び合う批判グループ、店の中にテントをたくさん吊って呼び込む娼館みたいなアラブ風カフェ、会員の中の亡くなった人の分まで食事を毎回用意する万霊節の会合…
結局、残酷な女たちの標的はこれらの集まりに参加してた男たちなのだけど、実際の歴史はたぶんこんな女たちの陰に隠れている何もできなかった女たちが多数いるのだろう。 
(2016 02/20)

残酷さから少し離れて


マゾッホの「残酷な女たち」の標題連作短編集を読み切り。なんかキーワードが次の短編にゆるやかに繋がっていく、そういう構造。
「残酷な女」なのだが、最初の3つの短編辺りはかなり「残酷」だったけど、コサック短編から残酷さから離れ始め、夫婦喧嘩の決闘の微笑ましい?結末経由して、最後は拷問の禁止を小さな拷問によって認めさせるという、ある意味意識的な結末。 

風紀委員会


マリア・テレジアとその時代を描いた歴史中編もとっかかりを少しだけ。 でも、種村氏はこのマゾッホに何を見いだしていたのかな。著作チェック要。
(2016 02/26) 

マゾッホ描くマリア・テレジア時代の小説「風紀委員会」。女帝自身の夜見回りから始まる、喜劇的な作品。一番笑ったのは、女帝が見たルーベンスの女性の裸体の画に、下だけ毛皮をつけるように命令した…またしても毛皮かよ… 
(2016 02/27)

脱線可な美学


とりあえず「残酷な女たち」を読み終わり。「風紀委員会」はオペラ・ブッファのような賑やかな終わり方。そして、せむしの画家が大活躍の「醜の美学」は半神話的な世界に引き込まれる楽しい話。

 何が馬鹿げていると言って、プラトニックな愛ほど馬鹿げたものはない。あなたの生まれつきは、わしが見るところ、そんな不健康な愛をうじうじと育てるほど病的ではない。 
(p250)


これは画家の叔父が画家に向けて言った言葉。画家は病的ではなかったが、果たしてマゾッホ自身はどうだったのかしら。

この中編、面白くて一気読みしてしまったけど、先月同じく一気読みしたゾラの中編辺りと比べてみると、それに比べてマゾッホにはいろいろな筋にはあんまり関係ないような小話もついてくるような傾向がある。これは合理的構成重視のフランスとは違う民族的な違いなのかどうなのか。 とにかくそこも含めマゾッホの理想像はこの画家にあるのではないか。 

解説にあるヨーロッパの桃源郷?としての東ヨーロッパ像は、この作品が一番よく示している。 (「残酷な女たち」の時に言い忘れたけど、この連作短編集の最後の短編の始めに「私」がいきなり出てきて、どこかの城でいろいろな絵を見て歩き、そしてその城にいる女城主?が語り始めるという構成は、それらの絵が前の短編たちを現しているかのようで印象的。マゾッホはかなり技巧的な作家でもある) そして、今日種村氏の「ザッヘル=マゾッホの世界」借りてきた。 
(2016 02/28)

関連書籍

「ザッヘル=マゾッホの世界」

「獣たちの伝説」こちらにもマゾッホが取り上げられている


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