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「世界収集家」 イリヤ・トロヤノフ

浅井晶子 訳  早川書房

ブルガリア出身ドイツ在住の作家。前にユーロシネマ祭?でブルガリア映画「世界は広いー救いはどこにでもある」という映画を見たのだけど、どうやらこの作者イリヤ・トロヤノフが脚本参加してたみたい。DVDも出ててその邦題が「さあ帰ろう、ペダルをこいで」になっている(この映画見た時のタイトルは原題直訳)
この映画のことはこちら ↓


「千一夜物語」の出版、そしてインド、アラブ(メッカ巡礼も)、アフリカ(ナイル源流探し)と探検したリチャード・バートンの話。今日は第1部の0章まで。早稲田文学2015冬号に掲載されてたのはプロローグと、次の第1、2章。
(2019  06/11)


解き明かさない謎

  人は誰もが謎である。実際に会ったことのない人ならなおさらだ。この小説はひとつの謎への個人的接近であるが、その謎を解き明かすことを目的とはしていない。
(前扉)

  庭師は表紙に、そこについた染みに、綴じ目に触れ、炎から少し遠ざかると、革の装丁をなでた。ひとつの記憶を探して。ようやく、この感触がなにに似ているかを思い出したー長男の背中にある傷跡だ。
(p16ー17)


バートンはトリエステで1890年亡くなった。その死の場面から、本が燃える描写を経由して、そこから第一部英国領インドのボンベイにシーンが受け渡されるところなども、ほんとにぞくぞく…
その第一部英国領インドの章立てが、0章+64章+0章、となっているのは、ヒンドゥー教世界観によるという(解説より)
(2019  06/16)

 その英語の単語には、ほかの単語の多くもそうであるように、やはりふたつのヒンドスタニー語があてられる。現地人の二枚舌はやつらの言葉を見ればよくわかる、と、女言葉でヒンドスタニー語を話す将校が得意げに言ったものだ。バートンはずるがしこい被害者だ。耳は近づいてくる蚊の音に精通している。プラティクシャー・カルナ、これが一方の言葉。ゆっくりと繰り返す。一音節ごとに水を一口。蚊は近くまで来ている。インテザール・カルナ、これがもうひとつの言葉。バートンは繰り返す。何度も。蚊が腕に止まり、刺すのを感じる。そこで叩く。
(p62)


第9章のナウカラム辺りから、バートンの召使いであったナウカラムと代筆屋との見解が合わなくなってくる。というかずれてくる。それは代筆屋はナウカラムの話から自分が思い描くストーリーを派生させているから。言語等、様々な現地語を覚え並べていく、という作業はバートンのうちで(それ以外にも?)進行していく。タイトルが「世界収集家」とあるのもその為だ。
(2019 06/23)

  飛び越えるべき距離はそれほど大きくないように思われた。人間は相違点に重大な意味を与えたがる。だが相違点など、肩かけ一つまとえば消えてなくなるものだ。
(p97)

世界収集家たるもの相違を楽しむ余裕がなければならない。

  堆肥のにおいが、まるで洗ってない手のように、靄のかかった畑の上をなでる。
(p102)


(2019  06/24)

ヒンドとシンド


「世界収集家」第1部英領インドも半ばに入り、複数の世界、視野、思惑が広がり、厚みを増してきた。
バートンとナウカラムがボンベイ・バロータから、現在パキスタンのカラチへ移り、そこでバートンは上司の将軍の諜報仕事をしながら、現地ムスリムの生活と世界観に溶け込む。バートンと気が合いながらもややイギリス式に凝り固まっている将軍に反論もするバートンと、ヒンド(だいたい今のインド、ヒンドゥーの国)からシンド(ムスリムの国)へ移って周りに反感を持つナウカラムとそれを諌める代筆屋。それにバートンが父親等に書く手紙も加わって複眼的世界。
バートンはどうやらカッワリーに出会ってそれに染まったようだが…
(2019  07/03)

「世界収集家」は、進行するバートンの物語が、ナウカラムが語っているのか、代筆屋が加筆したものなのか…きっと、共同作業なのだろう。そういえば、そのバートンとクンダリーニの間でも、小物語がクンダリーニから語られバートンが受ける、という構造。こうしたものが一体化して作品は進む。
(2019  07/05)

英領インドを出て

 我々は、それがなにでないかは言える。だが、それがなにであるかは言えないんじゃ。存在するように見えるすべてのものー我々の精神や感覚の世界ーは、この絶対的なものの誤った概念にほかならない。
 だからこそ、ふたつに割れる思想はどれも、最高の秩序に対する冒涜なのじゃ。だからこそ、我々が我々自身を互いに異邦人と見ること、我々自身を互いに他者と見なすこと自体が、すでに暴力なのじゃよ。
(p236)


これ自体は正しい(世界のいろいろな紛争の根源にこの暴力がある)けれど、世俗的権力(政府とかだけでなく個人間レベルにおいて)がこれを利用するとそれはそれで問題。ふたつに割れる思想の代表格、デカルト思想もそういう問題に抵抗するために出てきたものであろう。この二つの傾向の思想のバランスをとって、実際の世界は動いている。
(2019 07/15)

今日で(やっと)第一部英領インド終了。うまくまとめる時間ないので、筋の要点だけ。
シンド人の雑貨屋(小間物屋って言った方がいいの?)店主と友人になり、そこでイギリス側に摘発されたバートン。仲間のイギリス人将校にも身元がわからず、拷問を受けても口を割らない。この店主と親戚の者が経営する売春宿(しかもそこにいるのは男)で出入りしているイギリス人将校から極秘情報を聞き出していた、とバートンは将軍に報告する。
最初は仮病を使っていたバートンだが、後に南インドのウーティで大病にかかり、イギリス帰国が許され、ナウカラムと供にイギリスへ行き、続いて両親が滞在しているフランスの別荘へ。そこに元々いたイタリア人コックとナウカラムの折り合いが合わず、結局ナウカラムだけインドに帰らせる。
…とこの状態がこの第一部の開始の状態なんだけど…
(2019  07/17)

ハッジを目指して

  太陽が沈み、月が縮んで初めて、カイロはまるで貝のようにその殻を開き、その美しさをシルエットで見せつける。足りないものだらけのこの世界を覆い隠す夜空にちりばめられた夏の星たちは、よりよい世界の存在を物語っている。藍色の空が家々の正面壁のあいだに切れ切れに見える。一歩進むごとに、シェイク・アブドゥラは混沌へと沈んでいく。これが、自分を何度も何度も異国へと導き寄せるものだろうかーこの一時的な盲目状態が?
(p318)


「世界収集家」第二部「アラビア」。アブドゥラことバートンはメッカ巡礼ハッジを目指している。カイロからハッジへのその道のりと、そのハッジを書いたバートンの紀行文全3巻が出版された後、その真意はどこにあるか、イギリス本国との絡みは、と探るオスマン帝国の調査が先の道のりとは逆に進んで行く。
バートンにとって、収集する世界とは、現世界の様々な世界だけではなく、この世でない世界も含んでいたのか。
(2019  07/22)

 私が思うに、このバートンという男は信仰そのものの枠の外にいるのです。・・・(中略)・・・きっと、まるで我々を取り囲む壁が崩れたようなものでしょう。壁の外に広がる無限の荒野に立って、視界があらゆる方向へ開けているようなものです。そして、すべてを信じ、同時になにも信じていないからこそ、少なくとも外面上はあらゆる宝石に変身することができるのです。ただし、宝石の真の硬さは持ち得ません。
(p378)


19世紀半ばにイギリス人バートンが立ったこの壁無き荒野に、現代の我々は常時立たされているのかもしれない。バートンのような精神力と好奇心を持たぬまま。
(2019 07/27)

ついにメディナへ…


「世界収集家」第2部「アラビア」…400ページだけど、まだ2/3にも満たない…

  旅の道程が幸福なんだ。そう、道程こそ、なにものにも代えがたいものです。いろんな苦労があるにもかかわらず、道程こそが、私の胸を高鳴らせるんですよ。私たちはみな、ひとつの場所から次の場所へ旅をする者だ。たどり着いてはまた出発するのが、私たちの運命なんだ。それに我々の希望は、短い一生の上に張り渡されている、とシェイク・アブドゥラは付け加えた。
(p383)


アブドゥラ…バートンとまで行かなくても、我々は皆旅人なのだ。どこへ行くのか知っている人と、全く知らない人と…
(2019  07/29)

メッカ巡礼


「世界収集家」からバートン一行?の目巡礼。イスラーム教の宗教的力と教義には賛同しつつも、どこか遠いところで観察を続けているバートン。

  ひとつの石が人間の海に落ちれば、波は最果ての荒地にまで届くのだ。
(p419)


カアバ神殿の中には小さな石が祀られている。その今回っている信者の輪と、イスラームという宗教がが広がって行く姿がここで一致する。
(2019  08/07)

メッカ巡礼の様子がこと細かく書いてあるのだけど、この作家のことだから、実際に現地観察もしているのではないか、とも思うけど、この19世紀前半という近代の矛盾が最大限に煮詰まった状況がひしひしと伝わってくるディテールは、どこから取り出しているのだろうか。
第二部「アラビア」読み終わり
(2019  08/08)

第3部「東アフリカ」開始


「世界収集家」450ページ超えて、「東アフリカ」篇スタート。バートンの目的も反英勢力スパイ、メッカ巡礼、そしてナイル川源流探しと変わって行くが、それにともない現地社会の語り部の様相も、召使だった男の推薦状書く話し合い、メッカの地元勢力とオスマン帝国の総督達の捜査、そして親類や周りの友人などに昔の冒険を語る老商人、と変わっていく。

というわけで第3部が始まったわけだが、ここまでで一番目をひいたのが、語り手が語る奴隷商人に捕まって時の恐怖の話。

  お前は知らない。鞭の舌が、痛みより前に屈辱を与えることを。脅すより前に罰することを。それがどんなふうに人の感覚を切り裂き、人をひざまずかせ、よろめきながら歩き続けさせるかを。
(p473)


内陸から海岸港に行かせるときにハイエナに喰い殺されられたり、船上で疫病が流行ったなどで死んだ奴隷を海へ投げ捨てたり。

  奴隷商人たちが使い物にならない商品を船べりから投げ捨てるのだ、とバートンは考えた。死と埋葬は海に任される。
(p478)


(2019  08/11)

誰もたどり着いたことがない場所

  やつらは、人間の最高の使命は先祖が到達できなかった場所へたどり着くことだと信じているんだ。これまで誰も行ったことのない場所へ行くことを恐れている俺たちに、どうして理解できる?
(p512〜513)


東アフリカ篇。現地でバートンの探検隊び同行したシディ・ムバラク・ボンベイ(ボンベイというわけでインド篇とつながり、宗教的にアラビア篇とつながるこの人物と周りの人達との会話、それからバートンを焦点化した三人称の語りがほぼ交互になっているのがこの篇の構造)の語り。複眼的語りがバートンを、そして19世紀イギリス(ヨーロッパ)をあぶり出す。
(2019  08/16)

世界を紡ぐ意味

  俺があの地まで流されていったのと同じくらい奇妙な道をたどって。その男は俺の言葉を知っていた。俺の第一の人生での言葉を操った。だが、やはり俺と同じように、子供のとき以来その言葉を使わずに生きてきたんだ。
(p574)

  まるでふたりとも同じ日に生まれたような気がした。俺たちの会話は、ひとつひとつが宝石だった。俺はその宝石を宝箱にしまった。
(p575)


ここは東アフリカ篇の現地の語り手ボンベイが、奴隷商人に売られる前の母語を話す男に出会った場面。こういう言葉の問題は今まで考えていなかったなあ。

  ただときどき、俺の言葉は俺の歩みを追い越しちまったんじゃないかっていう疑いを抱くこともある。起こったことを報告する言葉が、実際に起こったことそのものを陰に追いやっちまったんじゃないかって。
(p621ー622)


第2部のカーディや総督などの語りもその典型例かも。この後続く自分の影を追った男の話も理解難しいけど、またじっくり別の機会に読み直してみたいところ。

  隣の部屋から夫の声が聞こえる。まだ話し続けているのだ。シディ・ムバラク・ボンベイがいったん物語の海に乗り出すと、もはや風はやむことがない。凪などこない。
(p658)


第1部の代筆屋も思い出す。次ページのいろいろな破片やゴミを繋げて首飾りとして歩いていた男というのは、ある人物の別のあり得た人生を繋げていくトロヤノフ自身かもしれない。
最後は「啓示」から。

  神に出会ったりしたらどんなことになるか?  その人間の個性は溶解してしまい、神の中に消えてしまうだろう。個もなくなれば、未来もなくなり、すべてが永遠なるものに吸収されてしまう。
  自分はあらゆる場所で探した、だが多くの人間は逆に、繰り返し同じ鍋の底を覗き込むばかりだとな。
(p674)


トリエステでバートンが司教に語った言葉。トロヤノフが10歳の誕生日にアフリカ「発見」した英雄の本をプレゼントされてた以来、たぶん問い続けてきた世界を旅するし、未知のものに触れ、自分の中に紡いでいくことの意味の、とりあえずの答えがここにあるのだろう。なんとか8月中に「世界収集家」を読み終えられた。
(2019  08/25)

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