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「誰がドルンチナを連れ戻したか」 イスマイル・カダレ

平岡敦 訳  白水社

誰がドルンチナを読み始めたか

今日(というか昨夜から少し)から「誰がドルンチナを連れ戻したか」を読み始めた。というか中編なのでもう半分弱進んだ。

アルバニア3連続、カダレ2連続。前に「夢宮殿」読んだ時に続けて読もうかなと思ったけど、その時はやめておいて現在に至る。時は中世アルバニア。遠くに嫁いだドルンチナが母の許に戻ってきた。兄のコンスタンチンに連れられて…ただこのコンスタンチンは3年前に亡くなっていた…という古くから伝わる伝承もとに拡大させて書かれた。

これはミステリー仕立てでもある…と思ったら、第2章でドルンチナと母という当事者が呆気なく亡くなってしまう。ドルンチナの婚礼と葬式が溶け合うように書かれた部分は印象深い。ただ、中世にガラス窓はあったのかな、という疑問も。まあ、そんなところは気にしないのが流儀なのか、それともそこが別の読み方につながる扉なのか。

 歩きながら、部下は時おり上司の影に視線を落とした。ストレスの困惑のほどが、本人よりこの影のほうに如実に読み取れた。彼にはこの分身の片割れが、謎の解明を助けにもう半身の傍らに起きあがってきたような気さえするのだった。
(p24)

部下とか上司とかなんかもう少し中世っぽいいい訳語ないのかな…って、これも扉? それはともかく、生き返った?コンスタンチンに合わせて、他の人の何者かも活発になってきているのか。自分内のもう一人別の何かがこの作品では様々な形で現れる。

 皆、他人の問題を論じているつもりが、その実自らの問題を語っているにすぎないのだ。
(p40)

そいえば、「死者の軍隊の将軍」と同じく、季節は秋、アルバニアでは雨の季節…

 前から思っていたが、何とも奇妙な事件は、決まって秋に起きるようだ
(p26)

(2015 01/07)

「死者の軍隊の将軍」では会話中で「○○と言いたいと感じた…「○○」(会話文)」みたいな表現がめだった。それが今読んでいる「誰がドルンチナを連れ戻したか」にも見られる。今度はそれに「(会話の相手が)まるで○○と言っているようだった」というのが加わる。こういうコミュニケーションの側面を気にする作家なのかな、カダレは。もっとも、「夢宮殿」読んでいる時は気づかなかったが…見落としか。それとも…
(2015 01/08)

誰がドルンチナを甦らせたか

昨夜「誰がドルンチナを連れ戻したか」を読み終わった。まあ170ページほどなので。

さて

 いかなる国、いかなる時代にあっても、そしていかなる人の身に起きたことであれ、結局は多かれ少なかれ物語なのだから。
(p112)

結局この小説、誰がドルンチナを連れ戻したかの謎解きはなされず、話が話を増幅させ、噂が噂を呼び、泣き女は定型句に新たなバリエーションを付け加え続け(この時代の大衆マスコミの形なのか)…と、なんだか噂が主人公といってもいいくらい。

 それは、怒りに任せて投げ出したピンの山を思わせる筆跡でしたためられていた。
(p115)

これはドルンチナを連れ戻したとされて逮捕した隣国の官吏の手紙について。どんな筆跡だ?

さて

ラストはアルバニア伝統の誓い(ベーサ)を鍵に、コンスタンチンはこの世にベーサを復活させるために甦った、とストレス(主人公の名前)が演説して煙に巻いて終わるのだけれど、よく考えてみると、前になんか穽みたいなのあるのでは、と思ったのが、穽どころか裏側の世界が全面展開されている感じ。
その裏側の世界というのは要するに現代。カダレがこの小説を書いていた時。確かにそこにはガラス窓もあれば、上司・部下もしっくりくる。このドルンチナ・コンスタンチン伝説、以前の作品にも取り上げられているカダレお気に入りの伝説だというし。

さて

この裏側の世界の手法は「夢宮殿」でも「死者の軍隊の将軍」でも見ることができる。例えば後者では将軍と中将の会話中で見た深夜の軍隊の場面。死者の軍隊→現世アルバニアの軍隊、という構図。
(2015 01/09)


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