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「インカ帝国地誌」 シエサ・デ・レオン

増田義郎 訳  岩波文庫  岩波書店

著者は案外に若くして亡くなった人みたい。これが第一部、歴史編(たぶんこれに先んじて岩波文庫で訳された全7巻のもの)が第二部、それに第三部、第四部まであるようだ。
(2022 04/02)

誇張無しの地誌


時々読んでいる。今は第10章、p90。
第2-5章は概略というか、航海に有益な情報、パナマからリマの先まで。ここまではちょっと前に読んだところ。

今日読んだのはここから。第7章の毒の製法、第9章最後の大蛇の記述は迫力というか凄みがある。

 そして私は、このウラバの村(自分の注:コロンビア、カリブ海沿い、中米地峡の浦になっているところ辺り)からペルーの果てにあるプラタの町(現ボリビアのスクレ)まで旅行し、すべての地方に分け入って、できるだけそこにあるものを理解し、筆に記そうと力めた。したがって、これから先は、私が見たこと、目の前に展開したことどもを述べることにするが、必要以上に誇張したり、省略することなしに伝えたいと思うので、諒とされたい。
(p83)


はい。
…と書かねければならないほど、当時は誇張が一般的だったのね。しかし、コロンビアからボリビアまでとは相当長い…

この後は、インディオ達の描写になるが、この辺りのインディオは食人の風習があったようで、敵はおろか敵の女との間にできた子供(しかも「まるまる太らせて」)とか、通りがかりのインディオとかも殺して食べてしまうらしい。上で書いてあるように「誇張」してはいないというけど、キリスト教徒的思考からの観察であることがひょっとしたら記述に影響しているかもしれない。
第12章、p101まで。
(2022 06/05)

「インカ帝国地誌」の二つのブロック


現在、コロンビアの地域のところを読書中。
このシエサの「インカ定期地誌」は大きく二つに分けられる。前半のグラナダ新王国、今のコロンビアと、後半のキート、エクアドルより南、インカ帝国地域の二つ。これは前者は1535-1547年の居住者としての記録、後者が1547時から1550年代の軍事行動及び旅行の記録。

そして、インディオの生活誌や性向も異なり、前者は乱婚・近親婚・同性愛そして食人の風習、後者はそういうものがなく「ポリシーア」(礼儀正しさとか)がある、とシエサは書く。これはこの当時そうだったということで、過去からずっとそうだったかどうかまではわからない。
(2022 06/06)

悪魔を出し抜き、神をも騙す


「インカ帝国地誌」少しだけ。

 ただし、時として悪魔との関係がうまく行かず、彼らが悪魔のうそや虚偽を知って、忌み嫌うことも私は知っている。しかし、その犯した罪のゆえに、悪魔の意志にすっかり従属し、盲目のうちに悪魔の欺瞞のとりこになっている。
(p150)


特に前半部分。悪魔を出し抜く、神をも騙す…こういう「知恵」が多くの社会で見られる。西洋のような一神教キリスト教が定着すると、「全能の神」となって「知恵」は後退していく、そういうものの残滓が地方の民俗行事やなんらかのジンクスとかまじない系に残っているのかも。
(2022 06/07)

コロンビアからエクアドル


「インカ帝国地誌」。昨日読んだところで、現コロンビア地域が終了。
川の水の勢いが激しくて、海に出てからも4キロ?くらいは真水が汲めるという本当か?的な話、それからカリ市周辺のこの辺りは、泉とか川の中から塩が結構取れるらしい。それを製造しあまり取れない地域に行商で売って莫大な利益を産むこともあるらしい。

そして今日のところから現エクアドル。キート。これまでより記述が詳細になり、インディオの性格も従順と、著者の評価が上がっている。これは、砂漠や山脈で周りに住めるところが少なく逃亡しにくいからだ、と述べている。それに、もともとこの地域のインディオが従順なのではなく、インカの支配によってそうなった、とも。
話的には、「エスパニャ人が来たぞ」と隣の部族に言いふらし、その部族が逃げてから盗み出すというのが印象的。たくましいというかなんというか…
(2022 06/09)

「インカ帝国地誌」著者の見方

 なぜならその他の大事なことがらにおいても、思いもよらぬことが言われている。そして後になると、人々の意識に残ってしまうのである。
(p285)


伝説とか誇張した出来事がさも本当のことのように伝えられてしまう。そういうメカニズム。

 信仰は多くの老人たちよりも若い者たちにより良く植えつけられるのは事実である。彼らは悪徳のうちに老年に達し、むかしの罪を密かに犯さないわけにはいかない。しかもキリスト教徒には理解できないようなやり方で固執するのである。若者たちはわれわれの聖職者たちのことばを聴き、その聖なる教えに耳を傾けて、われわれのキリスト教の教義に従う。したがって、この地においても、他の場所と同じように善と悪の両方がある。
(p294)


ここも意外だった箇所。若者の方が反抗するのかと直観的に思っていたけど。もちろん、著者もこの時代のキリスト教徒だから、今から見ると偏り(もちろん今が偏りないわけではない)があるけれど、それを越えて、現地をそこの住民の立場に立って冷静に見ようとする姿勢が胸を打つ。
300ページ越え。
(2022 06/12)

「インカ帝国地誌」ペルーに入る


今日から現ペルー編。
セラーノ(高地人)…山地に住んでいる人々、ユンガ(低地人)…海岸沿いなどの低地に住む人々を指すが、山地でも窪んでいて風が通らず暑い場所に住む人々もそう呼ぶ。

 統治のことはさておいても、私はエスパニャ人たちがこれらインディオたちに加えた圧迫、殺戮、虐殺を承認しない。エスパニャ人たちはこの民族のひじょうな美徳と気高さを見ることなく、彼らを残虐に扱ったのである。
(p352)


ほぼ同時代にここまで強く言えるのか…シエサだけが孤立して主張していたわけではなく、ある程度は理解者がいたとは思うのだが。
(2022 06/14)

今日読んだハウハのところでは、住民が大勢で輪になってだんだん輪を狭めていき、獲物を追い込む狩の話が書いてあった。この方法でかなりの数の獲物が狩れたというのだから、この当時は動物繁殖数も桁違うくらいの数いたのだろうな。
(2022 06/21)

ついにクスコ到着…


昔は沼地だったところを埋め立てして広場にした。

 この広場から、王道が始まっている。
(p482)
 ここのインディオも、広大な土地の中にある諸地方をとらえるために、道によって理解したのである。
(p483)


日本の五畿七道、五街道を始めとするこうした国家的な道整備による地理理解、その源泉は例えば、「失われた時を求めて」であった作者の散歩道、「ゲルマントのほう」「メルセリーズのほう」というような個人的な道による理解にあるのだろう。
(2022 06/22)

クスコ、コカ、そして…


そして、今日の分。クスコの詳細の章では、移住させて住まわせた各地からの住人に対し、太陽神を敬うのなら、元々の生活文化をそのまま継続してもよい、という政策。
コカの葉の栽培。この当時、かなり重要な換金作物…しかしこの著書は、コカの葉を噛んでいるインディオについては、やや否定的な反応…

それより、今日読んだところのインパクトでは、コカの章より前の、サルなどの動物と交わった(関係をもった)、そしてその結果「怪物」と呼ばれる子供ができたというのには敵わない。ほんとに、ラテンアメリカ文学で書かれるようなものは、実在を描いているということがわかってくる。
とりあえず500ページやっと越えた。あと100ページ…
(2022 06/23)

「インカ帝国地誌」はボリビアへ


今日読んだところは、ティティカカ湖から、現ボリビアのラパスへ。この辺、コリャオ地方というらしいが、だいたいが寒く、昔(シエサを起点として)は人口多かったらしいが、戦争等で(他の地域と同じく)激減したという。

 彼らは毛の衣服を身につけ、また多くの者が髪の毛を持たない。つまり黒い髪を三つ編みにして頭をひと巻きしていた。
(p504)


最初、ここ読んだ時、中国の弁髪みたいなもの想像してしまったけど、どうやら毛を剃って帽子化しているみたい。理由は不明だが。

 生き残った者は、少ししかいなかった。ひとりもいなかったかもしれない。生き延びた人々は、はるかむかし亡くなった祖先の名を呼び、また身の破滅やじぶんたちの村々を襲った破壊を悲しんで、泣きながら、畑の中をさ迷った。
(p508)


この本で書かれている状況は相当悲惨なことも多い。しかし、報告調の文体もあってあまりそこまで悲惨に感じなかったのだけれど、珍しく?ここははっとした。今の南米には、そういう過去があったということは、ひょっとしたら現地でも感じられないかもしれないけれど、忘れないようにしよう。

 こうしたことがら(引用者注:歴史や戦争のこと)のあまりにひどい不明確さを考えると、われわれは、文字の発明が幸運なものだと言うことができる。文字は、そのあらわす音によって、記憶を何世紀も伝える。そして、ものごとを知らせ、世界中にひろめさせ、記録が手もとにあれば、われわれは望むことを知るのである。この新世界インディアスでは文字が発明されなかった。そこで、多くのことがらを、手さぐりするわけなのである。
(p536)


文字が無くとも生活はできる。高度な文明を発展させたインカのような実例もある。この本の前の方でインカのキープ(紐を縛った記号)のことが出ていたけれど、ひょっとしたら文字など発明しない方が効率的な文明なのかもしれない。そして、これもひょっとしたら、文字の発明の原動力は実は何がしかの感情だったのかもしれない…先程のp508の文章の生き延びた人々が抱いたもののような…
そろそろ、読み終えよう…
(2022 06/24)

ミィティマエス制と鉱山技術


まずは、インカの制度であるミィティマエスについて。

 大きな地方のひとつが征服されると、妻子を連れた一万、一万二〇〇〇、ないしは六〇〇〇、または望むだけの数の男たちが、その地方を去るよう命ぜられた。その人たちは、それまで住んでいたところと似た気候、条件の集落や地方に移った。たとえば寒い地の者は寒いところへ、暑い地の者は暑いところへ、といったふうに。これがいわゆるミティマエスである。
(p245-246)


土地の者の反乱防止の意味合いで設けられたらしいが、p508にあったような事情が、このミティマエス制を生んだとも言える。

ここから昨夜の続き。
ポトシ銀山のフイゴはインカ由来。銀山経営などはヨーロッパ勢力で始まったと思いきや、この当時のエスパニャよりインカの方が技術力は高かった。
続いてヒツジ(とシエサは書いているが、要するにリャマとかグァナコ、ビクーニャという類のこと)の話題から。といっても、ちょっとブラック…

 (荷を担いだあとでリャマなどが)疲れても、肉が良いから無駄にはならない。
(p557)

明るい未来とインディオ改宗の実情


とりあえず、というところだが、なんとか読み終えた。
前のリャマの章から農産物、塩田、金銀細工、鉱山などのシエサの描写は、なんだか明るいインディアスの未来を楽観的に描いているのだが、それから五百年経ってからも貧困とか環境破壊とかの問題多き大陸であることには変わりはない…

それから2つのキリスト教への改宗の話。ここでは、日本の異教徒?からすれば、どちらかというと旧風習の広場での占い行事や、改宗させんとする悪魔が見えるインディオなどの姿が、その時代を生きた人によって克明に描かれるのに惹かれる。ここでは軽く書くだけにするが、この本最大の読みどころ。
そして最後の結論だが…

 結論を言えば、われわれの主が征服と発見においてキリスト教徒たちに好意を示されたわけだが、もし彼らが暴君となれば、厳しく罰せられた。
(p595)


インカ帝国のポリーシアを破壊した、疫病、征服戦争、そして征服者同士での内乱、最後のものが一番大きいとシエサはしている。

解説から

 つまり、インカの国の中核をなす部分まで来て、そこにひとつの文明社会が確実に存在することを認めたのである。いや存在したことを認めたというべきであろう。シエサが見たものは、滅ぼされた文明社会の残骸であったからだ。
(p626)
 『ペルー記』とくにその第三、四部のテキストは、あらためてシエサのこころの痛みを前提として、エスパニャ人の自己批判の一例として、詳細に分析さるべきであろう。
(p629)


『ペルー記』(この「地誌」が第一部、「インカ帝国史」が第二部)の第三部(征服記)、第四部(内乱記)は、第一、二部に比べ詳細な研究があまり行われてこなかった、と増田氏は言う。次のp630に少しだけ触れられている、文庫版「インカ帝国史」の解説ページでの問題提起(エラスミスモ、イルミニスモ、ラス・カサスとの関係)含め、これからの課題としている。
(エラスミスモはエラスムスの思想?、イルミニスモは照応思想とか何かあったような…これも見なければ…)
(2022 06/25)

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