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「フロベールのエジプト」 ギュスターヴ・フロベール

斉藤昌三 訳  叢書・ウニベルシタス  法政大学出版局

新御茶ノ水風光書店で購入
(2011 02/15)

フロベールのエジプト


今日は「フロベールのエジプト」を読み始め。
始めの方で、旅に出た時とこれを書いている今(約2年後)には、死体とそれを解剖する医師のような差がある、とかいう文があった。これはロマン主義を捨て、冷徹な観察を重視しようとする作家の誕生とみてよいのだろうか?

フロベールがエジプト旅行をしたのは1849年からのこと。今から約150年前のこと。母との別離など見てると、今格安航空券でエジプト行くのとはだいぶ違うなあと感慨するが、でも別の時代方向から見れば一般市民(金持ちだろうとは思うけど)の若者がとりあえず行けるほどの時代にはなってきているわけで…

あと、この旅行記については、つい最近までフロベールの姪の手でいろいろ改竄されていたという事実あり。自分が読んでいるのは改竄されていない発見されたもの…ということで一安心?
しかし、「悪名高き姪」(解説より)とまで書かれては一つ弁護もしたくなってきたりもする。
(2011 05/31)

とことん、オリエンタリズム


「フロベールのエジプト」はやっとマルタからアレキサンドリアに到着し、ロゼッタ往復そしてカイロというところまで。

 ーこれぞまさしくオリエントの情景。ーものうく、眠たくなるような雰囲気がある。ー何かしらとてつもなく巨大で情け容赦のないもののなかに自分が呑みこまれていくのだという感じが押し迫ってくる。
(p57-58)


19世紀半ばの若きフランス人作家をとらえているオリエンタリズム。彼はその中から出てきて、その眼差しを持ちつつ、しかし実際の場に身を置くことで冷静に実情を観察もしている。西洋人オリエンタリズムに限らず誰しもなんらかの先入観から自由ではないけれど…
巨大なものに呑みこまれる、というのは西洋全体の自覚に関わる認識かな?またそれは人類に共通した不安の一類型かも。
とにかく、サイードやっぱり読んだ方がいいのか?…
(2011 06/02)

あなたならどこから?


「フロベールのエジプト」。ピラミッド頂上からの情景のような詩的なところと、冷徹で素っ気ない観察者のところ、2種類の味が併存しているのは、フロベールらしいところとも言えるが、それが若さ故か先鋭化しているような印象を受ける。今日取り上げてみるのは、後者の素っ気ない方・・・ 

 驢馬の死骸に食らいついている犬がいる。死骸にはもう骨の一部分しか残っていない。ただ頭の部分だけが皮ごと手つかずに残っている。ー頭は骨が多く、いちばんまずい部分だからだろう。どうも、鳥たちはまず餌食の目から食べだし、犬たちは大体のところ腹部あるいは肛門から食べ始めるようである。ーもっとも、鳥も犬も、要するに柔らかい部分から食べ始め、だんだん堅い部分に移っていくことに変わりはない 。
(p101)


(2011 06/03)

カイロところどころ


「フロベールのエジプト」今朝はカイロからナイル川へ出たところ。ここではカイロでいろいろみたところからざっと。
そもそも、フロベールがこの1年半もの旅行ができたのは、通商などの視察目的として同行のマクシムが配慮したから。その為、フロベールも役所に寄ったり、フランスで教育を受けたエジプト人に1日4時間のイスラム事情学習を受けたりしていた。あとは狩猟したり祭り見物したり娼婦といろいろしたり(笑)。

非正規軍の軍服はまだ立派だが靴が粗末だ、と書いているのはさすがの観察眼。バルカン半島に興味のある自分としては、ワラキア(現在のルーマニア南部)人娼婦が二回くらい出てくるのが気になる。

「踏みつけ祭」というのがすごい。信者を何人も頭と足を交互に横並びにして、その上を首長(って誰?)が馬で行く。その後すぐ群衆が雪崩れ込むというから、下の信者達は大丈夫だろうかと思うけど、後でフロベールが聞いたところでは何も異常はなかったらしい。この祭りの場面だけでなく、こうした場面では、群衆を追い払うのに棒とかいろいろの暴力が使われているのだけど、自分はなんだかカフカの短編なんかを思い出してしまった。
ナイル川へ出てからは、また一つだけ別項で。

聖アントワーヌへの旅


「フロベールのエジプト」続き。
ナイル川へ出たところでは、聖アントワーヌ(他の聖人)についていろいろ聞いているのだけは押さえたい。
このエジプトの聖人であるアントワーヌといえば、フロベールがこの旅行の直前に書いた「聖アントワーヌの誘惑」につながる。この原稿を先述のマクシム他に読んでもらったところ、即廃棄を勧められたらしい。これに打撃を受けたフロベールは、アントワーヌが生きたエジプトを旅し、旅行後この旅行記をまとめ、続いてある長編を書き上げる。それが「ボヴァリー夫人」。

「聖アントワーヌの誘惑」の方は、それから第二稿を経て決定稿を仕上げる。恐るべし執念。文学青年(死語?)だったフロベールがすっかり肥えてしまうまで?
この「聖アントワーヌの誘惑」をフーコーが論じている。
ナイル紀行全般は臨場感ある筆致で惹かれる。
自分がこの時代に生きていたら、旅する文学青年か、追い払われる群衆の一人か。
(2011 06/04)

娼館巡りとヌビア紀行


「フロベールのエジプト」、今朝読んだところは標題の通り。娼館といってもいろいろだけど…でも、こういうシーンを姪がバッサリ?カットしたとするならば、逆にどこが残るの?と思うくらい、よく視察に出かけている(笑)。
ある娼館で一夜を過ごし、明くる朝帰る時に鮮明に思い出したという昔の朝の庭園散歩は、彼に何をもたらしたのか?

後半はアスワンからヌビア…上エジプトからスーダン北部。黒人などをヨーロッパ的な眼差しでみる「人種」観念も確かにあるけど、それより目の前に現れる一人一人を冷静に見よう、描き出そうという心持ちの方が自分には目につく。
(2011 06/06)

吹っ切れ感と奴隷商人


「フロベールのエジプト」、今回は少量に。上エジプトの神殿跡でフロベールはなんか吹っ切れたよう。自分は自分のすべきことをしなくては…と、ここで後のフロベールが形成された…などとは言えないかもしれないが、北回帰線上の真上の太陽の下、一人考えながら、何かが起きつつある…のか。

時代証言的には黒人奴隷と奴隷商人の姿がちらほらと。2隻の奴隷船(奴隷女達の気力のなさに注意)と、駱駝の後ろに縛りつけられている逃亡奴隷…ここで出てくるのはアラビア系の奴隷商人。
あと、アラビア人技師がイスラム過激思想について語ったり。内容については何も書いていないが、この頃辺りからワッハーブ派の運動がアフリカにも展開し始める…関係ある?ない?
(2011 06/08)

棒の使い方?


今日も「フロベールのエジプト」は少しだけ。
ヌビアのある地域の総督というのが登場して、総督に従わない村長を連行する場面。「人を殺すには4・5回棒で首を殴って折ればいい。懲らしめる為には尻を500回くらい。この地域では他に足の裏を殴るというのもある。これをやられると5日くらいは歩けない。」とニヤニヤしながら語る総督を見てると、クッツェー(「夷狄を待ちながら」)思い出す。なんていうか、こういう暴力のエネルギーってどこから来るのかなあ、なんて考えてみたり。
アスワンに戻って来た。
(2011 06/09)

19世紀中頃の一青年の感性から見た社会変容


「フロベールのエジプト」。今日は第12章「上エジプト」。ここでは、19世紀中頃に起こりつつあった時代の変化を、フロベールがどう捉えていたか2例を挙げて検証?

まず、鶏の人工孵化場を訪れた場面。

 何しろ、ここで行われていることは、天然自然なものを人為的なものに置き換える所業であり。いわば人間が創造を行っているのだから。
(p232)


ここで、違和感を持ったフロベールのような人々(彼だけではないと思う)がネジを逆向きにしていれば、21世紀はも少し違ったものになっていたのかも? 始まりでの貴重な機会を逸したような気がしてくる。とはいっても、自分はそのことに賛成でも反対でもないのだけれど。

続いて、アビシニアの司祭に会った場面。

 ところで、僕の見るところ、キリスト教信仰による絆などというものは無に等しいといっていい。ー真の絆というのは、その人がどんな言葉を母国語とするかということにある。
(p233)


アビシニアの司祭とは、同国人のような絆を結べなかったらしい。ここは近代国家の用件である「国民国家」が各個人の思考の背景にも入り込み始めている。逆にこれまでの主要な絆であった宗教が薄れ始めている、ということも。どうだろう?このフロベールの考えは、同時代平均的なものであったのだろうか? 
(2011 06/10)

「フロベールのエジプト」ようやく読了


「フロベールのエジプト」。最後はやはりまとめ読みだったので、いろいろ雑多なまとめに。

フロベールはなんかアルバニア人傭兵に好意を持っているみたい…だけど、何故アルバニア人傭兵なんているのだろう?

テーベの古代遺跡の絵の描写は、自分にその知識がないことからよくわからなかったけれど、この当時遺跡と住居がごた混ぜになっていたことがわかって興味深い。今とどう違うか見るのも時間があったらやってみたい(多分ない?)。

それより印象深いのは、次のナイル川沿いから紅海までの砂漠横断紀行。特に砂嵐の中でのキャラバンとのすれ違いのシーンは全体の白眉といってもいいか。このシーン、それから後の場面で紅海が近いとわかった時、双方でフロベールの精神構造?がかいまみえるところあり。

それから、印象深いところは、カイロに戻ってくる直前のナイルの穀倉地帯の表現。日没から月が昇ってくる麦畑。

「ボヴァリー夫人」の次に「サランボー」を書き、「聖アントワーヌの誘惑」を絶えず推敲していたフロベールの「オリエンタリズム」が少しだけわかったような、そんな気がする。
(2011 06/13)

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