「失われたいくつかの物の目録」 ユーディット・シャランスキー
細井直子 訳 河出書房新社
夜寝る前に読んだ短編多い…
「ツアナキ島」
マンガイア島での勢力抗争で負けたもののうち、幸運な者はツアナキ島に流れ着いたという。こうしているうち地上での勝敗を自然が模倣したかのようにツアナキ島は沈む。しかし、作者の想像ではその直前は実に穏やかな住民となっている。
(2023 01/07)
「カスピトラ」
(読んだのは昨夜)
前章とは趣きを変え、古代ローマの闘技場の緊迫したエクリチュール。主な筋は、ライオンとこのカスピトラとの闘い。ここで、この小説が連作短編集でもあることに気づく。
この章の隠れた主題が虐げられ変形させられた母性、女性性であることがわかる箇所。淡々と進むここの記述中で、視点の変化(古代ローマの人々の言葉から作者の視点へ)、即物的な書き方から主張を込めた激烈な文までの変化等、浮動する視点や書き方の段差のある読みが堪能できる。
自分よりかなり繊細な人だったら、衝撃受けて動けなくなるかのような内容。自分は「慣れる」というところ(「死の家の記録」)、「踏み越えられる」というところ(「罪と罰」)など、何かドストエフスキーのターム?が次々出てきて惹かれた。でも、「失われ」るきっかけはこうした衝動からだろうな。
カスピトラって、アジアトラの一種? インドトラの仲間?
(2023 01/17)
「ゲーリケの一角獣」
昨晩と今晩にかけて読む。前2編は一応客観的記述とか物語とかだったが、今回のは一人称(私)で、もちろんイコールではないけれどシャランスキーに近い感じの語り手。アルプスの村にお籠りしながら怪物や空想生物のガイドブックを書く為に出かける。
(「誰かの願望は他の誰かの恐怖だ」という言葉がどこかにあったはずなんだけど…)
これらの文章をつないでみると、何らかの人間に理解できない因果関係のミッシングリンク。怪物とか架空生物はそこを埋めるために存在する(だからだいたい似ている)。そして、馬か何かの出産の場面を直視し、そことは生殖、出産に関わる何かと認識する。p72の「器」もそうした意味か。でもこのp72の文、畳みかけて読ませるのだけれど、理解できる前に文章が飛び去っていなくなってしまう文章。
ちなみにゲーリケの一角獣とされている骨は(実際は違うものだが)、マグデブルクの博物館に保存されている。だから、この章に限っては「失われた」ではなく、「もともと存在しない」もの…というより、こうしたものを生み出す過去の精神そのものが「失われた」というべきなのだろうか。
(2023 02/01)
「サケッティ邸」
(昨日読んだ分)
1628-1648年に建築、この依頼主サケッティは教皇候補になったがなれなかった人物らしい。この土地が沼沢地で流行病の進行とともに17世紀末くらいから崩壊が始まり1861年に最後の残骸が撤去されたという。
短編はサケッティは途中に少しだけしか出てこなくて、他の人々、ピラネージやユベール・ロベールという「廃墟のロベール」との異名を持つ画家が主に絡む。
ヴェッサリウスの人体解剖と同列に並んでいる(ピラネージによれば)それらの通路。それらはほんのちょっとした手入れの不在で、何処かが欠落し腐敗が始まるものでもある。
ここの「彼」はロベール。去年の夏の時はマラリアに罹り生死をさまよった。この短編の裏テーマは腐敗と悪臭。釣り鐘状という言葉が印象深い。
(2023 02/10)
「青衣の少年」
この短編の「失われた物」はムルナウ監督のサイレント映画らしいが、短編自体の視点人物は、ちょっと盛りを過ぎたマンハッタンに住む女優、どうやらグレタ・ガルボらしい。風邪気味で小言言い続けながら歩く姿。本人的には悲惨らしいのだが、読んでいるこちらとしては笑える。今までが深刻な書き方だったからか。シャランスキーの地はこれだったりして…
でも、そんな中にも美しい文章は不意に現れる。最後のページにもうすぐ差し掛かるところ。
(2023 02/16)
「サッフォーの恋愛歌」
(昨夜読んだ分)
サッフォー…古代ギリシア、レスボス島の女性詩人。作品も断片的(だいたい誰かの引用から復元)で、生涯も不明なところが多い(教師的なことはしていたらしい)。今、レスボス島の名前がレズビアンの由来となっているように、そういう伝説もあるのだが、確かなことはわかっていない。
というところから、この短編は濃厚な同性愛の話になるのか、と思っていたら、出てくるのはこのような文章…
「幻肢」という喩えがとりあえず響く。無疵ではなく、空白が多い断片詩だから、かえってそこから詩情がくすぐられる。あと、この短編の段落の大半に、「私たちは知っている」か「私たちは知らない」どちらかがついている。ここは、作者から読者への語りかけというか目配せでレベルが周りと違うのだが、通常はダッシュでこういう語句は挟むのだが、それが併記させられている。これはダッシュ自体も素材として使われているためでもあるが、独特なリズムと印象を与える。
(2023 03/23)
「フォン・ベーア家の城」
(昨夜読んだ分)
ベーレンホフという村の、たぶん著者自身の記憶の物語。城というか元伯爵のフォン・ベーア家の館が焼き払われた跡。それと幼いほとんど四歳「伸ばした指四本、ほとんど片手全部」(p146)の少女が初めて知った「死」。
ナメクジは勘弁…どうやら少女は液体上部の薄い膜状のものに「死」を見ているようだ。何かの原風景があるのだろうか。この頃生まれた(死産だった?)弟の記憶なのか。
どうやらこの時、好奇心なのか何かはわからないけれど、少女は空いた窓から四メートル下へ飛び降りた、らしい。
当時は東ドイツ。こういう表現に、幼い視線に寄っていた読者は、はっとする。
開いた窓から飛び降りること…始まりの窓と終わりの窓。そして、石の壁だけ残した城の残骸。
果たして、今の自分は「問題の意味」を理解している、と言えるだろうか。
(2023 04/01)
「マニの七経典」
(例によって、昨日の分)
「カスピトラ」を彷彿とさせるような、古代の格調を持つ作品。一方同じ古代でも「サッフォー」の章とは異なる。まあその中間の「カスピトラ」寄りといってもいいだろう。
作者はどうして二元論的構想が出てくるのか、いろいろ考えている。
ここだけ読むと、作者はマニの二元論に反対しているのか、と思ってしまうけど、どちらの側に立つということはせず、現代のベルリンの博物館での、マニ教徒に関する記述の破片の文字解読まで寄り添って書かれていく。
(2023 04/04)
「グライフスヴァルト港」
(これも昨夜)
失われたものは、カスパー・ダヴィッド•フリードリヒの港の絵。ミュンヘンで企画展の際に他の絵とともにすべて焼失。
一方、短編の方は、「フォン・ベーア家の城」と同じような作者の視点。定期的にこの手の短編出てくる。ここではこの港町に注ぐ川に沿って歩いて下る散策記。3週間ごと区切って歩いているので、螺旋のように段階が変わっていく愉しみもある。最後に作者が生まれた病院というのも出てくる。
「森の百科事典」
(これは今夜)
スイスの山奥の谷の土地を購入し、知識を書いたプレートを森にたくさん括り付けて隠遁した男の視点。といっても隠者的な知識が語られるわけではなく、性的倒錯の話にいずれにしても入ってしまうような偏向?が見られる。
でもこうやって知識をまとめて「誰かが来る時のために」待っている(この語りはその誰かに向けて語られている)のだが、彼が亡くなったあとはほとんど廃棄処分にされた、というのもそれはそれで哀しい、自分の末路も似たようなもの…
(2023 04/06)
「東ドイツ共和国宮殿」
宮殿にディスコまであったこと。アスベストセメントで作られて(当時既に禁止されていた)統一後取り壊された。建物の製鉄鋼は一部はブルジュ・ハリファへ、一部は自動車産業のモーター製造へ。物語は共和国宮殿の跡地で不倫している?夫とその妻。自分が気になったのは、それを妻のところへ話しにいくリッペという人物。
著者シャランスキーは9歳の時、東ドイツの崩壊を体験した。かなり微妙な時期。
「キナウの月面図」
有毒なキノコの研究などしていた侯爵領地管理人のキナウという人物が、月面の研究に入っていく。
p233の最後辺りで、どうやってかはわからない(一応19世紀の人という設定)が、月に移住し全てのもののアーカイブを管轄することになる…
歴史-反歴史。月に写し取られた歴史はたぶん反転した歴史。
解説と緒言
これは解説から。物語を書き、著者も読者も何事かを追体験する。それが失われたものに対する姿勢であるのだろう。
あと一つ、「緒言」が残っている。「緒言」だから始めに読むべきなのかもしれないけれど、この本に関しては各話の要素が回想的に味わえる、という点で最後に持ってきた今回の読み方もいいかもしれない。
「どの保管員」とか「救いがたい首尾一貫性」とかくすぐりが効いている…これ読んだ昨夜(というか今日未明)どこに惹かれたのか…順番だと思っていても抜け落ちる物は確実にあるということか。
(2023 04/09)
おまけ
ショクーフェ・アーザル「スモモの木の啓示」から。
第9章にある、民兵(パスィージ)に最後のつがいの雌トラとお腹にいた子トラを殺されたマーザンダラーントラというのは、「失われたいくつかの物の目録」のカスピトラのことではないか…
と思って、「目録」見直したら、最初の学名の箇所に「マーザンダラーントラ」って明記してあった…
(2023 04/29)
関連書籍
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?