「スモモの木の啓示」 ショクーフェ・アーザル
堤幸 訳 白水社エクスリブリス 白水社
道志村もくめ書店で購入
第1章、第2章
語り手の兄ソフラーブがテヘランで処刑されたのと同じ時刻、田舎に逃げてきたらしいこの一家の母がスモモの木の上で啓示を受ける。その啓示とは…案外すぐに語られる…
染み…か。自分には、その次のページの蚕の繭と同じように見えるのだけれど。
この後、死に神と飲み比べ等をしたまたいとこの話とか、ジンになり損ねた叔母と子供たちの話とか挟みつつ、本筋は語り手の成長?物語ではなかろうか、と今は思う(ちなみに、この読み見事に外れ…詳しくは第5章へ)。
あと、ホスロー叔父というのはいつまた出てくるのかな。
(2023 04/17)
第3章、第4章
この小説、最初から全開で、幻想的な世界、政治社会の闇、古代ペルシャや「千一夜物語」的な世界が入り混じって展開される。第3章前半の「悲しげな旅人」の話は千一夜にまたキアロスタミ映画にもありそうな構造。後半、兄のソフラーブの監禁の話は醜悪で、最後にツバメの集団惨殺が締めくくる。
第4章…
イスラム革命で、テヘランからこの村に逃れてきた一家。この母親は、以前を思い出させるものを全て屋根裏に置いて、放置したネズミ達に食べさせた。ここもまた脳裏に深く刻まれる場面。
(2023 04/19)
第5章から第7章
語り手バハールの死(そう、語り手は既に死んでいたらしい(1979年2月9日))に始まり、ホメイニーの死で終わる、死に挟まれたところ。といっても、すぐにまた家族と暮らすようになった(そういえば、これまでのところでも、「何か物がなくなったら私のせいだと思ってね」とか、変な挙動があると思っていたらそういうことなのね)バハールと、闇と鏡と入り組んだ迷宮の宮殿に入り込んだホメイニーとは、死の感触が随分と異なる。
先のバハールが死んだのは、家をイスラム革命の暴動に巻き込まれ家を焼かれた時。そこから一家は(第1章からの舞台となっている)ラーザーンという村に移り住む。ここはササン朝末期、アラブ=イスラム軍がやってきた時、ゾロアスター教徒達が逃げてきたという場所。100日以上続く夏の雪の際に、この一家にだけ古のゾロアスター教徒がやってきて火をおこしたというエピソードも挟まる。
一方、第6章後半から視点はあのホメイニーへ。彼が奇妙な宮殿を作ったのは、処刑した政治犯の幽霊から「死ぬのが嫌なら地下宮殿を作れ、そして宮殿が完成した時にお前は死ぬ」と言われたため。徐々に建築技師達がいなくなる中、彼は最後には自分一人で宮殿内部で作り続けることになる。
この小説もまた、ダイアログを目指しているのか。
(2023 04/21)
第8から第10章
第8章はラーザーンでの焚書。第9章はロザー(母)の奔出とそこで出会う男(何者だろう?)。第10章は今のところ、イーサーという人の家族と幽鬼(ジン)との話。
第9章にある、民兵(パスィージ)に最後のつがいの雌トラとお腹にいた子トラを殺されたマーザンダラーントラというのは、前に読んだ「失われたいくつかの物の目録」のカスピトラのことではないか…(補足:「目録」見直したら、最初の学名の箇所に「マーザンダラーントラ」って明記してあった…(2023 04/29))
引用は第10章…
そのままやん…
と読んでいる時には思ったけど、考えてみたら相手の言った映像を鏡に映し出せれば当たっているように見せかけられる。痛みの喩えとかはあんまりヴァリエーションなさそうだし…でも、銅製の塵取りか…
第11章
ビーターの恋愛相手イーサーの姉、エッフェットと村人の話。
エッフェットによると人間は常に二人いると言う。自分の中にもう一人。エッフェットの場合には恋愛相手の羊飼いとともに歩いているという。
エッフェットの息には、春と古代拝火教の息吹が入っていたらしい。まじない師始め村人も火の中に笑いながら入っていく。パフラヴィー語の呪文やハーフェズの詩を詠みながら。
第12から第14章
ここまで来たら読み切ろうか?
やめとこ。
第12章は「川の幽霊たち」と、句読点一切無しで8ページ続く中年男の話と、テヘランへ行くビーターとの別れ。
第13章はビーターが魚に変身し(しかもその途上で、カフカの「変身」を読んだりする)カスピ海に放たれるまで。
第14章はラーザーンの歴史と、その創世神話とも思える寝続けている村人を起こすためにまじない師が旅に出て魔物と話すところ。
この小説も幻想金太郎飴で、どこ切っても不思議な混合話が詰まっている。ここでは2箇所引いておく。
特に好きなのは「一分一分の狭間にある長い休止を味わい」という文。そんな狭間を自分も見つけたい。そこに何かが胚胎するであろうから。ちなみにこの第13章、魚=ビーターがカスピ海に入って終わり、ではなく、その後ビーターが「魚らしく」忘れっぽくなり最後には記憶がなくなる、という経緯まで語られている。それにより、父はまた厭世観から放浪する。
二つ目の文、今度は語り手バハールから。
小さな空間…この物語の幻想は全てここから始まったものなのかもしれない。今まで様々な「音」を様々な作品読んで聞いてきたけれど、そこに今度は「つぼみのため息」が加わった。静かな村の孤独な幽霊だったらそこまで聞こえるのだろう…
(2023 04/23)
そして結末は…
父フーシャングがテヘランのおじいさんの家に戻るところから。確かこの家は市長が狙っているのだけれど断固拒否しているはず…「額に入れられた写真」とか「台本」とか、何か演劇っぽい要素がする。もう終盤まで来ると、読者の方も何が起こっても驚かない境地にはなっている。
そして、物語の始めの方で出てきたホスロー叔父がやっと登場。書庫に閉じ籠っているフーシャングに声をかけるが、フーシャングの方も何かこの叔父に言いたそうな…見つけたいものは同じなのに、行く方法が真逆だとこのようにすれ違うのか。ホスロー叔父の言葉。
この翌日、父は外に出てテヘランを歩いて反体制的(と目されている)CDなどを買って、デモ隊(体制から雇われた反英の)を見ている時、ネクタイに目をつけられて捕まって最後には拷問を受ける。そこで「今までやってきたことを全て書け」と言われた父は、幽鬼とかいろいろ出る話(要するにこの作品の世界)を書くが、否定されて書き直しさせられる。そうしてできた「現実版」?は、今まで読んできたこの物語に比べいかに貧弱になったことか…
一方、イランの外まで歩いて行った母は、戻ってきてこれまた家と財産を狙う(雪降った時に一緒に過ごしたラーザーンの村人とはもう違うのだ)村人からなんとか家を守る。そうした中、言葉を少しずつ忘れていくようになって単語のカードを貼るようになる。
(魔術的リアリズムの作品は、一回は記憶と言葉というテーマに辿り着く宿命なのか、それより「百年の孤独」へのオマージュの色合いが強いのか)
そうして、母はこう思う。
ここなど、作品を作り上げてきた作者の吐露もあるのかもしれない…
最後は、カスピ海の海岸で人魚=ビーターも殺されて、ラーザーンの家で戻ってきた父と母、それに霊の子供3人が「こっちの世界に来る」のを待ち受ける。そして、作品の始めの方でソフラーブを妊娠した時に母が見た夢の再現で、登るたびに伸びていく木に5人が登っていき、地球全体が小さく見えるところでその木に入り込んで「おしまい」となる。
(2023 04/25)
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