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「フランス的思考 野生の思考者たちの系譜」 石井洋二郎

中公新書  中央公論新社

電子書籍(BookLive)のため、引用箇所ページ記載無し

序章 合理主義と普遍主義
第1章 倒錯の倫理学・・・マルキ・ド・サド
第2章 情念の政治学・・・シャルル・フーリエ
第3章 錯乱の詩学・・・アルチュール・ランボー
第4章 革命の美学・・・アンドレ・ブルトン
第5章 欲望の経済学・・・ジョルジュ・バタイユ
第6章 快楽の教育学・・・ロラン・バルト
終章 抵抗と例外

 本書はしたがって、合理主義や普遍主義という概念によって特徴づけられることの多いフランス的思考の本質を、これに対するアンチテーゼの側から問い直す試みである。

サドの哲学?


「フランス的思考」から第1章のサド。人間はもともといろんな点で不平等にできていて、そのままでは弱肉強食となる、というところまではサドとルソーは同じ。だけどその不平等を社会契約によって改正しようというルソーに対し、不平等は自然なのだからそれを徹底すべきだというサド。だから「自然に帰れ」というモットーはルソー(そういう言葉自体は書いていない)よりはサドに当てはまるのでは、と石井氏。サドは徹底的に合理的に考えた結果の反理性的思考…ということになるらしい。
(2017 03/24)

フーリエとランボー


「フランス的思考」、フーリエの後半とランボーの前半。フーリエは情念引力の社会学というところ、例えばどこかの二人が結びつくと周りの人々の情念引力的配置が微妙に変化するとか、ランボーは自分という存在は何か(言葉という伝統とか霊感とかいろいろ)が降ってきて何かをする場所である、というところ。果たしてどこまでデカルトを意識していたかはともかく…
しかし、この「フランス的思考」者たちにはなんらかの繋がりがあるのかなあ。
(2017 03/31)

バルトとデカルト


石井洋二郎の「フランス的思考」を読み終える。電子書籍を読み終えたのは実は初めてなのではないか?
なぜこの6人?という気もしたけど、緩やかに共通点を見つければ、「主体」としての「私」の妖怪を見出していたというところにあるのかも。
個人的には断章にこだわり、あらゆるイデオロギー化を回避しようと、見出しのアルファベット順化やクジ引き?、はたまた小説を書くと宣言しておいて実際は小説を書く準備を執拗に論じていただけだった?というバルトに惹かれた。 
・・・でも、最も「私」に懐疑的であったのは、実はデカルトだったのかもしれない・・・
(2017 04/02)

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