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「ボロ家の春秋」 梅崎春生

講談社文芸文庫  講談社

読みかけの棚から
読みかけポイント:「蜆」だけ読んだ。昔「ボロ家の春秋」や「幻化」は(この本ではなく)読んだのだが、もう一度読みたい。

「蜆」、「庭の眺め」、「黄色い日日」、「Sの背中」、「ボロ家の春秋」、「記憶」、「凡人凡語」の7編。

もう一冊の講談社文芸文庫版梅崎春生集は「桜島、日の果て、幻化」

「蜆」より

 「何故退屈するんだ」
 「偽者ばかり世の中にいるからだよ」と僕は答えた。「俺はにせものを見ていることが退屈なんだ。だから酔いたいのだ。酔いだけは偽りないからな。酔っている間だけは退屈しないよ。お前もどういう積りで外套をくれたのか知らないが、お前も相当な偽者らしいな全く」
(p12-13)


引用してみると、「偽者」と「にせもの」、「俺」と「僕」の書き分けも気になるが、それは置いといて、偽者と偽りのないものの対比が鍵となるらしい。「お前も」ということは語り手も偽者なのか?
そういう主題?より、外套を貸してやったりそれを追剝で奪ったり、船橋までこの相手の男が行ったときの電車のいろいろ(海産物の匂い、混みよう、電車の扉が無いこと、電車から落下したおじさんのリュックを持って帰ったら蜆でいっぱいだったこと)が印象的。梅崎春生は「日常性の作家」だとよく言われる(らしい)が、今の自分には蜆が戦争直後の日本社会を象徴している、という評価より、やはりそっちが面白い。これは自分の世俗的歴史的興味だけでなく、梅崎という作家の傾向がそれに向かわせている、という感じがする。
でも、蜆の鳴く音、というのは不気味だな。
(2021 02/21)

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