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「ジョイスのための長い通夜」 大澤正佳

青土社

このタイトルは丸谷才一氏からいただいたそう。江東区しまぶっくにて千円で購入。
(2019  12/06)

墜落と再生

p21まで。
「フィネガンズ・ウェイク」。伝承バラッドの名前からアポストロフィだけを取り払ってタイトルに。またフィンなんとかという伝説の人物がアイルランドにはいて、そのフィンがアゲイン→フィネガンズとか、イタリア語などのフィン+アゲインとか。ジョイスの生涯のテーマである墜落と再生がここにも現れている。フィネガンズ・ウェイクの4つのサイクルはヴィーコの論から影響を受けているらしい。あとは、ここにもポントゥス・ピラトゥスが立ち現れている…とか。
(2020  01/09)

  アイルランド人の常として、ジョイスはひどく迷信深い男でした。少なくとも、迷信的であることをみずから楽しんでいる、そんな趣きがありました。この幼な子は父の生まれかわりなのだ、父はこの子の中に甦ったー父を愛し、そして、背いた息子ジョイスは、哀惜の念をこめて短詩「エケ・プエル=この幼な子を見よ」を書いたのです。
(p27)


(2020  01/11)

エピファニーと神話

 エピファニー理論と神話的方法の両者をえて、ジョイスは確固たる小説世界を構築する。「今・此処」につくことを核心とするエピファニーによって、彼は小説に不可欠の要素、つまり風俗の領域を的確におさえる。そして基本的状況は循環するという認識に基づく神話的方法により、彼はその混沌たる風俗の領域を「統御し、それに秩序をもたらし」、現実層と神話層が響き合う重層的な世界を提示する。
(p66)


エピファニーというのは(顕現)、いつも目にしているものが、ある時「それが何であるかを一瞬のうちに認識する」(p59)。それはメモ書きのような「エピファニー集」から「スティーヴン・ヒアロー」そして「若き芸術家の肖像」へと変化していったのだが、最終局面の「若き芸術家の肖像」では「エピファニー」という言葉は消えているという。一方循環の方はヴィーコの歴史循環説を参照している。

 「〈地獄〉は、救済と無縁な悪の、生命のない静的状態である。また〈天国〉は、救済と無縁な純潔の、生命のない静的状態である。〈煉獄〉は、この二つの要素の接合によって釈きはなたれた動きと活力の奔流なのだ。人類の悪循環がおこなわれつつあるという意味で、そこには絶えまなく煉獄的な変化が起こっている」
(p93)


ベケットのジョイス論(最近で復刊した?)から。「フィネガンズ・ウェイク」の言葉の氾濫はこうして起こっている。

 これは単なる言語遊戯に違いはない。しかしジョイスの言語観の本質はこのあたりにひそんでいるのだとぼくは考える。水銀粒のように蒸発してしまったかのdは球形の鏡のどこかにへばりついて、日のめを見なかった胎児のように人知れず眼だけを光らせているのではないか。
(p101)


これはコラムから。ちょっとマニアックな話題というべきか。「ウェイク」の翻訳中、何かの未整理カードが出てきてそこに「gran」と「d」が抜けていたのを見た顛末から。「球形の鏡」云々は江戸川乱歩か何かの短編から。
(2021 01/03)

第二部「フィネガンズ・ウェイク」論


第二部の最初の論文「「進行中の作業」のための覚書」。この「進行中の作業」とは、「フィネガンズ・ウェイク」に仮についていた名前。トリエステにおけるズヴェーヴォとジョイス。既に2作もの作品を残していながら、船舶塗料会社に勤務して細々と暮らしていたズヴェーヴォを励まし、書き上げた「ゼーノの苦悩」を激賞したジョイス。彼は、「フィネガンズ・ウェイク」の川女主人公にズヴェーヴォ夫人(リヴィア)の名前をつけ、ダブリン、リフィ川の色を彼女の紅い髪に因んで形容した。

次の「水の言葉」は、「フィネガンズ・ウェイク」全体の「テストケース」、先述のリフィ川を擬人化させたアナ・リヴィア・プルーラベルの章の推敲経過。

 幾重にも漆を塗り重ねられた容器は深々とした光沢とふくよかな手ざわりを生み出し、最初の木目はその底に埋もれて、もはやさだかではなくなる。改訂の段階が進み、川への言及が加えられるにつれて、初期の草稿では一読して明らかであったものも明確な輪郭を失って、厚い層をなす川の名前、水の縁語という河底の泥にひっそりと埋もれてしまうのである。
(p131 T・E・コノリーの見解)


同じことをエドマンド・ウィルソンは「重ね書きのパリンプセスト」と言って、改訂の間、「トランジション」版とゲイジ社版の間で止めるべきだった、という。ウィルソンも、ジョイスがこのリヴィアを川の変容で川らしくする文体ということはわかっていたので、これはもはや好み?の問題かも。

ジョイスは止まらず、文体や単語の選択だけでなく、単語内の文字配列までに手を入れる。

 この作品の特色は壮大な構想の縮小版を個々の単語という最小のマイクロコズムの中にさえ顕現させようとするジョイスの底知れぬ貪欲さに発する。
(p135)


(2021 01/04)

「夢言語のチャップリン的身振り」
チャップリンの映画を見るジョイス。チャップリンのチグハグな衣装、姿勢とチグハグ語。
「ジョイス語のドラウマ」

 しかしながら、パンを主賓とする言語遊戯の祝宴に招待されたわれわれ読者は、やがて忍び寄る暗い影に気づく。「語呂合わせは深く根ざした不安の表層的徴候である」と指摘するリフは、そこにひそむ「普遍的人間悲劇」を見落としてはなるまいと主張する。
(p161)


パンとは語呂合わせのこと。語呂合わせと吃りは隣り合わせ。
(2021 01/06)

「三聖唱の怨念」、「『フィネガンズ・ウェイク』の一夜」…

 「ジョイスの作品は、なにものかについて書かれたものではない。そのなにものかそれ自体なのだ」(ベケット)
(p164)


「フィネガンズ・ウェイク」には三聖唱が13回現れる(クライヴ・ハート「フィネガンズ・ウェイクの構造とモティーフ」調べ)。三聖唱とはあのミサなどで唱えられる「サンクトス」のこと。これが13回変容されて用いられるわけだが、これにはエリオットの「荒地」で出てくる「シャンティ」を受けているという。エリオットをライヴァル視していたジョイス、ライヴァルとは元々川を挟んだ反対側の住人という意味から来た言葉で、そうなるとリフィ川の選択女ともつながる。
(2021 01/07)

「フィネガンズ・ウェイク」は「ユリシーズ」のモリーの「イエス」を受け継いで始まる、モリーの夢、あるいは夜の書であるわけだが、「ユリシーズ」の6月16日のように特定の日付に位置付けられないかという研究がいろいろある。

 『肖像』のスティーヴン・ディーダラスはギリシャの工房ダイダロスに父を認めることによって自己の本質を確認する。『ユリシーズ』は父と子の合体への志向をその主題としている。そして『フィネガンズ・ウェイク』においては父と子の均衡はまさに破れんとし、一つのサイクルがめぐって息子たちの新しい時代が訪れようとしているのだ。
(p191)


 わたしは過ぎて行く。おお、なんという苦々しい終りだろう。みんなが起きてこないうちにそっと出て行こう。

 『フィネガンズ・ウェイク』はアナ・リヴィアの独白で終る。これは去って行く親の訣別の辞、新しい世代への遺言と解することが出来よう。
(p194)


(2021 01/08)

上記01/08に読んだ、「ジョイス随想2」。ビートルズとジョイス、ライト・ヴァース(小歌)と「ユリシーズ」、そして「SOS」。
最後の随想から。

 彼(クヌートという研究者)によれば、SOSは『ユリシーズ』の構造そのものを示唆するシグナルであって、中央に位置するOはこの作品の円環構造、循環的回帰運動を表し、その両側に控える二つのSは作品の冒頭および結びを示す、ということになる。『ユリシーズ』という球形の宇宙に二匹の蛇が寄り添っている図は、たしかにジョイス好みの中性的な趣きがある。その一方、新しいものに旺盛な好奇心を示すジョイスのことだから、一九一二年国際無線通信会議で制定されたモールス符号SOSを一九〇四年のダブリンを舞台とするこの作品にそしらぬ顔で滑りこませる芸当くらいやりかねないと思われる。
(p204)

やりかねない…とか言いながら、8年差の事例を入れるかな?
(2021 01/11)

第三部はアイルランド文学史のスケールで。

 あえて図式的な表現を用いれば、イェイツはアイルランド伝統を打ち砕かれたものと見る立場の代表者です。それに反しジョイスはかの伝統の連続性に眼を向け、それが蒙った切断の傷痕は癒され-あるいは自らの力でその傷を癒しつつあるとする立場を代表しているのです。
(p221)


アイルランド詩人トマス・キンセラの講演「アイルランド作家」から。キンセラはイェイツ以後のアイルランド詩人の第二世代。第一世代はパトリック・キャヴァナとオースティン・クラーク、第三世代はシェイマス・ヒーニー。第二世代となると、イェイツの影響が薄れ、彼に批判的な論調も見えてくる。

 一瞬の言葉のやりとりに、パン、パロディをはじめとする言語遊戯の秘術をつくす彼らの意気込みは、張り渡した綱の上で道化を演ずる名人芸の危険な、はりつめたおかしさを思わせる。そして道化の面の背後には、もはや歩行者の自然な足取りでは歩けなくなってしまった奇形の気むずかしい顰め面がある。
(p228)


「歩行者の自然な足取り」というのは英国の英語話者のような単一言語話者を言う。それに対しアイルランドでは二重言語化が主に19世紀に起こる。そいえば、オブライエンの「ハードライフ」は綱渡りの通信教育?が出てきて、カバーが綱渡りだったな。

 キリスト教と四つに組んだまま『ケルズの書』の中に凝結してしまったドゥルイド僧は、『フィネガンズ・ウェイク』において十世紀余の呪縛を解かれて目覚め、陽気な通夜の踊りを舞い始めるのだ。
(p233)


『ケルズの書』は中世にキリスト教が入ってきた時のアイルランドの書。ジョイスはアイルランドを離れ、ヨーロッパを放浪していた時もこの『ケルズの書』を持ち歩いていた、という。
(2021 01/12)

「ターラへゆく道 亡命者ジョイス」


1904年10月自発的亡命。西部出身の妻ノラは携帯用アイルランド。1906年ローマ行き。「老婆の屍体を観せて生計を立てている男」としてのローマ、そしてダブリン。
結婚前のノラと関係していたと一時帰国(1909年)していたときに告白した旧友コズグレイヴ。1911年ジョイス夫妻を崇拝してたプレツィオーソがやがてノラに接近する。ジョイスはずっと見ていて最後に詰問する。芸術家は、自身を俳優として自己に隠れじっと見る。結婚生活から「亡命」し、ハムレットの亡霊となったシェイクスピア(「ユリシーズ」第9挿話)。
ジョイスは「肖像」の中で芸術家を

 自分の細工物の内部か、背後か、彼方か、それとも上にいて、姿は見えず、洗練に洗練を重ねたあげく存在を失うに到り、無関心に、爪でも切っている
(p241)


と位置づけている。
(2021 01/14)

アイルランドの先達、後輩。ワイルド、スウィフト、ベケット、ヒーニー。

 ジョイスは「恩寵」(「ダブリンの人びと」)においてスウィフトの『桶物語』に由来する衣装哲学、すなわち表層崇拝という主題をダンテ『神曲』のパターンにからませている。構造上のパターンとしての『神曲』を正面に押し出しながら、その実、それをパロディ化する逆転のバネ仕掛けとしてのスウィフト的思考を作品の内部にひそませる。卑属なダブリンを舞台として矮小化されたダンテ的世界に、アイロニーの苦い味を浸みこませる浸透圧として作用しているのが、スウィフト的思考にほかならないのだ。
(p249)


ここのダンテ『神曲』を、ホメーロスの『オデュッセイア』第十巻にすれば、そのまま『ユリシーズ』第十五挿話に当てはまるという。そこで働くスウィフト作品は『優雅な会話』。紋切型会話を詰め込んだ「優雅と洗練の吐き気を催させる決算日」なのだという。
ベケットは処女作がジョイス論「ダンテ・・ブルーノ・ヴィーコ・・ジョイス」(1929)。このタイトルの「・」一つが間の一世紀を表している。ベケットは当時「フィネガンズ・ウェイク」の「アナ・リヴィア」の章の仏訳に参加してもいた。それまであまりアイルランド的伝統とは無縁だったベケットは、ここ(パリ)で、「ウェイク」によってアイルランド体験に目覚める。

 「ダンテの煉獄は円錐形であり、したがってそこには頂点が含まれる。ジョイス氏の煉獄は球形であり、頂点はない」ヴィーコ的循環原理によって支配される『ウェイク』の球形世界において運動は無限に続く。
(p262)


『ウェイク』には、ヴィーコ理論だけでなく印度哲学、イェイツやブレイクの歴史観など様々なものが使われているが、半ばジョイスの「示唆」(いつも物事の半分だけを誇張する?)により書かれたこのベケットの論文によって、ヴィーコ理論は『ウェイク』解釈に必要以上に重視されてきた、と大澤氏。

 スウィフトと同じく、彼はゲーリックの伝統にみごとに適合するように思える。しかもその伝統の何たるかについては殆ど何らの意識的自覚を持ち合わせていないようだ。ベケットはゲーリック伝統のなかにいるが、しかもそれに属していない、そう言えるのではあるまいか
(p264 ヴィヴィアン・マーシアの言葉)


ヒーニーは1939年、北アイルランドのデリー生まれ。1966年第一詩集『ナチュラリストの死』刊行。1972年、南(アイルランド共和国)に移住する。自身の詩集の他、7世紀の王スウィーニーをテーマとした中世アイルランド詩『スウィーニーの狂気』の英訳もしている。
ジョイスについての言及も多い。例えば第三詩集『冬ごもり』(1972)の「伝統」という詩は

 のど声のわれらの詩神は
 はるかな昔、頭韻体の伝統に
 踏みにじられ、凌辱された
(p269 詩行分け変更)


と始まり、

 さまようブルームは
 応じた、〈アイルランド〉 ブルームは言った、
 〈わたしはここで生まれた。アイルランド〉
(p269 詩行分け変更)


と結ぶ。ここは『ユリシーズ』第十二挿話で、ブルームが「市民」の人種差別的言動に対して言った言葉が引かれている。
(2021 01/16)

トリエステと吉田健一とジョイス

昨日は第三部最後のアイルランド演劇(四人でやる前衛劇とか楽しそう)と、ジョイス随想3の一本目。で、今日はその随想の残り。
「トリエステのジョイス」…ジョイスが通算11年住んでいたトリエステ。トリエステはやや小さめのダブリンのようである、と大澤氏は言う。

 人なつこく話好きではあるがその底に屈折した暗さを秘めているという点でダブリンとトリエステの人々は相通じているようだ。
(p290)


ジョイスがヴィーコを知ったのもこの時期。
「吉田健一さんと『フィネガンのお通夜』」…

 『フィネガンズ・ウェイク』の語句の一々をほじくり返すことが、いわばその謎解きが面白くてたまらなかった当時のぼくにとって、「あれは通読いたしました」という吉田さんの言葉はまさに頂門の一針であった。
(p292)


(「頂門の一針」とは痛いとこつく戒めとかいう意味、蘇軾から)

 『フィネガンのお通夜』は田園生活を基盤とする旧秩序の通夜であり、それはまた正統的英語の通夜の不吉な前兆でもあろうか。
(p295)


吉田健一とリーヴィスの、ジョイスの言語実験に対する応答、大澤氏が垣間見た吉田健一の陰鬱な顔、そして吉田健一自身の通夜。
(2021 01/18)

第4部、ジョイスの先輩、ジョイスに影響を与えた芸術家の話…

(最後のアントニー・バージェスは除いて。)

 川となって流れるアナ・リヴィアの長い髪を梳き続けるジョイスは、おそらく、黒と白の肖像を思わせる妻の姿に「遠くの音楽」という画題をつけたゲイブリエルのように、そして、孔雀の尾の幻影に見入りながら「遠くの音楽」を聞くスティーヴンのように、ピアズリーの絵が奏でる鳥のさえずりに似た世紀末の「遠くの音楽」に耳を澄ませていたにちがいない。
(p308)


イギリス世紀末絵画のピアズリーとジョイス。「音楽と絵画を同時に自分の文学空間にとりこもうとするジョイス自身の芸術観」(p307)。絵画は黒と白のピアズリー、音楽は、そして諸芸術の綜合はワーグナーから継承された。もちろんジョイスは世紀末芸術とは正反対の方向性を取りながらなのだけれど。

それにしても、ジョイスとワーグナーか。全く別物だと思ってたけど、『若い芸術家の肖像」では『ジークフリート』の小鳥の歌が出てくるし、『ユリシーズ』第15挿話で泥酔したスティーヴンが娼家で叫ぶ「ノートゥング」とは『指輪』に出てくる聖剣の名前。彼は剣ならぬステッキを振り回し娼家のシャンデリアを叩きこわす。

 この作品(『ウェイク』)は音楽に似ているのではない。それは音楽なのだ。ここではライトモティーフは折にふれ、あるいは、常習的に用いられているのではない。これはライトモティーフで構成されているのだ。ワーグナーとのかかわりはこの作品の装飾となっているのではなくて、それを養い育てているのである。
(p315-316 ウィリアム・ブリセットの言葉)


前に挙げたベケットのジョイス論の言葉を受けて…挙げてなかったかな、ジョイスの作品はなにものかについて書かれたものではなく、そのなにものかそれ自体なのだ、というもの。
(2021 01/19)

ズヴェーヴォ、ドイル、キャロル


今日読んだのは、この三人の先達。
ズヴェーヴォは前にも出てきた通り、トリエステで彼の英語教師にジョイスがなり、彼の作品を認めてそして「ゼーノの苦悩」をうみださせたのだが、一方ジョイスもズヴェーヴォから影響を受けている。それはちょうどスティーヴンとブルーム(ズヴェーヴォもユダヤ人)の関係でもあったようだ。
この章の後半は「ジアコモ・ジョイス」という短編について。これは、ジャコモという名前がイタリアでは好色家の代名詞みたいなように使われ、ある女性に対する様々なスケッチとして前の「エピファニー集」の続編のようにも読める。

 五十の顕現的断章を筆にするジョイスは、一人の女性をモデルとしてその肖像のスケッチ連作を試みる画家に自らを擬していたのではあるまいか。
(p324)


『ユリシーズ』のブルームの部屋の本の中に、コナン・ドイルの『スターク・マンローの手紙』がある。これはドイルの著作であるが、ホームズものではなく宗教的な自伝的作品。一方、ジョイスがイタリアで読んでいた中には『コロスコの悲劇』がある。これまたドイルの宗教的作品。

 ドイルが維持し続けた強い宗教的関心と彼がホームズにおいて発揮した強靭な論理性実証性は、そのいずれもジョイスの内面にみごとな照応を示している。
(p330)


第一次世界大戦後のドイルは、彼の中で今まで危うく均衡していたこの二つが徐々に宗教性へと引っ張られていくことになったのだが、それを引き継いだのがジョイスであった。『ウェイク』のカバン語にはドイルも詰め込まれている。

そしてキャロル。ジョイスが1920年代になるまでキャロルを殆ど読んでいなかった(あと、ラブレーも)というのはかなり意外。しかし読んでからはこの先達をも自分の作品に巻き込む。ジョイスの立場をジェイムズ・アサトンは「南極点に到達してアムンゼンの旗をみつけたスコット大佐」となぞらえている。

 偶然の一致の認識のもとにすべてを結びつけてしまうこの方法をとるとき、遠近法の法則は崩れ、時間は流れをとめ、距離は消滅し、すべては等価値、等距離の同一次元に据えられる。
(p340-341)


 アリスが胸を躍らせた巨大なチェス盤をはさんで二人の男が向い合っている。妙手をひねり出す父親キャロルとごまかし上手の息子ジョイスがククッと笑いながら、世界という盤上の駒を動かしている。
(p341)


(2021 01/20)

ウィンダム・ルイス

 「小児崇拝者たちは自己の内部に小児性の天国を持つ。それは〈時の楽園〉であり、彼らはその楽園を求めて〈時〉を旅する」(「小児崇拝寸評」)。
 こうしてジョイスは「失われた時を求める」プルーストやガートルード・スタイン、さらにはアニタ・ルースなどと共に〈時の子供たち〉の一員に組みこまれる。そのときジョイスはもう一人の有力な味方を『フィネガンズ・ウェイク』のなかに呼びこむ。失われた〈時〉アリスを求めるルイス・キャロルである。
(p350-351)


(アニタ・ルースというのは、ジョイスも読んでいた「紳士は金髪がお好き」の作家、大衆作家と言っていい(?))
『時間と西欧人』という本の第11章が上の「小児崇拝寸評」であり、その次の第12章がウィンダム・ルイスの「〈時〉の子供たち」。ここでウィンダム・ルイスは、ベルクソンの時間概念とそこから派生する小児崇拝を批判する。空間側に立つウィンダム・ルイスと時間側の争いということにもなろうが、ジョイス個人的には、もともとウィンダム・ルイスが友人でもあったということもある。ここで時間とか意識の流れとか、小児(幼い頃の記憶・圧縮)とか、ウィンダム・ルイスが批判する要素は、彼の思惑を外れ20世紀を特徴付ける要素となっていく。

自分にとって意外でまだ完全に承服できてないのは、このウィンダム・ルイスとルイス・キャロルが一体化したものが、ジョイスの仮想敵となったというところ。ルイスという名前はともかく、言語遊戯をキャロルに先越されたという意識と上述のウィンダム・ルイスは一括りになるのかな。こればっかりはジョイスに聞いてみないとわからないけど。

エリオットとジョイス


再び登場、エリオット。ちなみにジョイスとエリオット引き合わせた時に、先述のウィンダム・ルイスもそこにいたみたい。またイプセンとの出会い(手紙やり取り)が、ジョイスをアイルランド内から脱却させたという指摘も。

 ヨーロッパの外、そしてその辺境から吹きよせられたタンブルウィードがどのような精神的地盤にその根を下ろしえたか、ということが問題となる。一方はアメリカという「荒地」から、他方はアイルランドという「ヨーロッパの後思案」「麻痺の中心」からヨーロッパ文化の主流をめざした二本の根なし草が、二十世紀詩および小説の世界で最もみごとな開花を示しえたという一九二〇年代の精神的土壌の特殊性に注目せざるをえない。しかし反面、海を越えてはばたくこの二羽の渡り鳥の飛翔は、決して同一の軌跡を描いてはいなかったという事実も見逃すべきではあるまい。
(p356)
 ジョイスは『ユリシーズ』を書くために第一の手法を選び、ありふれた一日がすぎさってゆくときの複雑さを解明するために、二十五万語あまりを費やした。翌年、エリオットは、社会のあらゆる条件を四百行あまりのなかに凝縮して意味を与えた
(p358 マッシーセン)


エリオットは自分を物真似鳥に見立て、またヘンリー・ジェイムズ論で「ヨーロッパ人には不可能な、ほんもののヨーロッパ人になる」ことを論じる。ここで出てきたのが、前に「ヘンリー・ジェイムズ傑作選」で読んだ「ほんもの」。「ほんものよりもほんものなにせもの」がそれ。
一方ジョイスはヨーロッパを放浪しつつ、眼は常にアイルランドに向き、妻や弟などもそばにいた。彼とアイルランドの距離は、対象を離れてみる必要な距離であった。
この両者は『ユリシーズ』と『荒地』の時に最も接近し、また離れていくことになった、とまとめている。

その次の短めの章もまたエリオットとジョイス。今度は実践編?
前の三重唱もその一つの共通点。また『フィネガンズ・ウェイク』で主人公が夜の公園でキャッド(下司)に言われる「やっとお会いしましたが、いささか遅きに失したようですね」というやや慇懃無礼なセリフ。これはジョイス自身がイェイツに言ったとされる言葉なのだが、次の瞬間、主人公がジョイス自身らしき人物に変わり、「間抜ケリオット」に同じ台詞を言われることになる。歴史は繰り返す&自虐的だなあ。

 未熟な詩人は模倣し、円熟した詩人は盗む
(p365 エリオット)


(2021 01/21)

プルースト

 芸術によってのみわれわれは自分自身から出ることができる、そして他人がこの宇宙をどう見ているかを知ることができる。その宇宙は、われわれの宇宙とはおなじものではなく、その風景も、月世界にありうる風景のように、われわれには未知のままであるだろう。芸術のおかげで、われわれが見るのは、ただ一つの世界、われわれだけの世界ではなくて、多数化された世界であって、われわれは独創的な芸術家が存在するだけそれだけ多くの世界を意のままにもつことができる。
(p380-381 プルースト「見出された時」)


「同じものを目指していながら、違う道を行く」ジョイスにとってプルーストとはそのような存在だったらしい。この章では主に花と性活動についての共通点を探している。
この二人は一度少しだけ会っている。その時の話題はジョイスによると「フランス松露はお好きですか」というものだったらしい。

アントニー・バージェスほか


バージェスとは「ブルジョワ」に通じる名前。
ジョイスを師と仰ぐバージェスであるが、それはここでは文学と音楽の融合という点に現れている。二つの交響曲を含む90曲もの曲を作曲し、50冊に及ぶ小説や評論などの著作を「音楽家になりそこねた小説家の作品」と語っている(この辺、クンデラとも比較したくなる)。『ナポレオン交響曲』という小説は、小説全体をベートーヴェンの交響曲第3番に対応させ、曲の8小節が小説の3ページにあたるように作ったなど、ジョイス譲りの偏屈ぶり。

作品テーマではこの小説は(フィネガンズ・ウェイク』と共通する。『フィネガンズ』はアイルランドの大地を父に、流れるリフィ河を母に見立てる。『ナポレオン交響曲』はナポレオンが大地、ジョゼフィーヌが水。ナポレオンはロシアの雪(水)に敗れ、ウォータールー(水)に敗れ、大西洋という水に取り囲まれたセント・ヘレナ島に流される。

 現代文学の状況について「ジョイス以後」ということが言われる。この系譜はプアジョイスとブアジョイスの二系列に分けられるように思える。言語の純粋性を求めて限りなく沈黙に近づくサミュエル・ベケットは、プアジョイス(痩せたジョイス)の代表であろうし、一方は、言語のラブレー的豊饒を奔放に発揮するブアジョイス・バージェスの系列である。
(p387)


最後はジョイス随想4から「ジョイスがラブレターを書くとき」
ジョイスの若者らしい過激な手紙に対し、当惑するノラ・バーナクルの手紙はコンマ落ち。これが『ユリシーズ』第18挿話のモリーの独白へと変わるのだな。

 愛と憎しみを超え、虚飾と悔恨を超え、人間として可能な限界をほとんど超えて他者を識ること、それが彼の途方もない望みなのである。
(p393 リチャード・エルマン)


(2021 01/23)

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