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「革命と反動の図像学ー一八四八年、メディアと風景」 小倉孝誠

白水社

シュー「パリの秘密」

今日の午後は「革命と反動の図像学」三部構成のうちの第一部。小説と新聞、そして読者。第三章の作家と読者の手紙では、パリの下層社会や犯罪社会を炙り出して描いた(ディケンズみたいな?)シューという作家の「パリの秘密」を巡る手紙(19世紀前半)。この章冒頭で言及のあったルソー「新エロイーズ」の読者からの手紙と比較するのも楽しい。会って欲しいとかいう夫人の手紙、識字率50%くらいの時代に書かれた労働者階級からの手紙、そうかと思うとシューの方からも読者にディテールの相談を持ちかけたりして…双方向作品生成はこの時代にもあったのではないか…

自分にとって訳文ではお世話になっていたものの著作は初めてな小倉氏だけど、犯罪小説の創始者ガボリオやこのシューみたいな埋もれがちな人達をマナイタに載せる面白い人だなあ、この人も。
(2014 08/03)

音風景その他

現代の音風景なら割と気軽に録音できそうだけど、その中にはいろいろと困ってしまう声や音も入ってしまう可能性も。逆に19世紀、あるいはそれ以前の音風景が再現できたとして、そこによみがえった(今までの歴史学で声なき声と言われている様々な声)こうした声の主は、ひょっとしたら復元なんてもってのほか一刻も早く忘れて欲しい、なんて感じてたりして。

第三部、ミシュレの章では、歴史書を書くことによってミシュレという歴史家が形成されていったということと、この時期以来フランスでも他の国でも、近代国民意識の形成に歴史学が携わっていくが、ミシュレはその先駆者となったことなど。でも、アナール派の先駆者でもあるのだから…
(2014 08/11)

1848年革命

「革命と反動の図像学」はいよいよ書名にもある1848年二月革命とその反動について。この革命3年しか続かなかった割りに?人々に亀裂と思考の変換をもたらした。ひょっとしたらここら辺が19世紀前半と後半の楽天的→悲観的思想転換の始まりなのかな。
(2014 08/12)

「革命と反動の図像学」は第8章。ほんとにマルクスが言うように「1848年は二度目の茶番」なのか。別にマルクスを読んでいたわけでもないけど、作家や思想家の概ねは最初は革命を理解している人もいたが、彼らもフランス革命との関連で見ていたみたい。その中で作家で言えばサンドやボードレールは熱狂的に革命擁護派だったよう。フロベールは「感情教育」でかなり冷徹に革命や民衆をみていた。

さて、いろいろな論点があったけど、突き詰めていくと1848年革命の評価は、民衆をどう見ているのかにかかっているようだ。その意味では1789年より現代的意味はあるのか。

この第8章と次の第9章は小倉氏が1980年代後半に書いた論文がベースになっている。書き直しはしているが、この本の他の章とはその辺異なる。読む分には支障はないが。

「感情教育」生成論周辺から

「革命と反動の図像学」を読み終えた。読後感としては、反動というより組織化という感じ。ウェーバーの言う檻。

昨日に引き続きフロベール「感情教育」、第9章は草稿や読書ノートからの生成論(作品が出来上がっていく過程の研究)。から、いろいろ。

第8章で書かれていたフロベールの民衆観からすれば、フロベールに一番近いのは実はセネカル? とも思ったけど、第9章見ると、当時の様々な社会主義者に対し批判的な意見を持っていたようだ。神権政治か全体主義か、社会主義者はこのどちらかだ、とフロベールは考えていた。

さて、生成論の立場から読書ノートを見てみると、書簡では同時代の社会主義者の著作は網羅的に読んだと言っているものの、実際にはかなり濃淡がある。一番精力的に読んだのはサン=シモン。

 一見したところ単なる補助資料としか思われない読書ノートは、引用と注釈、知と創造が交錯する多元的な空間なのである。
(p266)

読書ノートほぼそのままの表現も、「感情教育」その他に使われている。
(2014 08/13)

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