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「街道手帖」 ジュリアン・グラック

永井敦子 訳  シュルレアリスムの本棚  風濤社

京都恵文社で購入。
(2022 12/11)

読みかけの棚から
読みかけポイント:これもまさに読みかけ…


糸杉とガラス窓

 糸杉。風で一瞬ごとにざわめく木の葉と小枝の、女性的でヒステリックで狂おしい動揺のなかに、硬質なものの世界がいかめしく、暴力的に反抗してわりこんでいる。ここではすべてが、たわみに対するきっぱりとした拒否なのだ。細枝は傘を支える骨の束のように幹の上にまとまり、膠を塗った筆の毛のように先端で固くくっつく。
(p8)


特に中間の文章。糸杉が風に揺れるだけでたわみとそれへの反抗というものを捉える目が、シュルレアリストとして詩人としてのグラックを支えている。
あと、前に読んでいた河島英昭「イタリアをめぐる旅想」から引き続く、アスタリスク感…
(読んだのは06/30夜。p10まで)
(2023 07/02)

オルナン(画家クールベの故郷の街)とか、雪に閉ざされ記憶的にも他と繋がらない穴のようなドイツの旅とかいろいろ。ヌーシャテル郊外の旅では時期的にアゴタ・クリストフと(知らずに)出会っていた可能性も…

 清々しく洗い流されたガラス窓は、あちこちからホワイトブランデーのような光をあふれさせていた。一瞬世の中の幸福のすべてがこの海の朝に、気取らない日なたの昼食のなかにとどまっているように見えた。
(p28-29)


これはノルマンディーのコタンタン半島先端アーグ岬での体験。「日なたの昼食」は長続きしないものの比喩として使われていると注にあり。
おまけ? このアーグ岬にあるのが核燃料再処理場。グラックが訪れたより後に完成し、最初の国外からの核燃料は日本からのもの、だという。
(2023 07/29)

結合組織と硬化症

ピカルディー地方、ソーム川の河口の景色から。

 湿った平地には、いくつかの鴨狩小屋だけが立っている。風景自体が鴨の叫びに似ている。波立たぬ水に浸された孤独、灰色の羽根毛、水鳥の匂い、寝起きの悪い朝の、重たく突き刺すような寒さ。
(p33)


「シルトの岸辺」の原風景か…それはともかく、重ねられる言葉の微妙な違和感の連なりが印象深い。
(読んだのは昨夜)
(2023 10/13)

 (ガロンヌ川の南の地域話題)フランスの国土にざっくり縫いつけられたこの外縁に、私は惹きつけられている。それはまるで血管のめぐりが乏しく、ちゃんとした臓器に栄養を送れない結合組織の断片のように国土に移植されている。歴史から唐突に身を引いたせいで、そこからは悲劇的で劇場的なあらゆる思い出が失われている。
(p39)


結合組織の比喩にやられたが…日本の場合、このような地域はあるのかな。
(読んだのは金曜日夜)
(2023 10/15)

ブルトンとかユンガー(この人もシュルレアリスト?)などのミニチュア好きを、それよりもグラックは「とてつもなく大きなものに惹かれる」(p52)と、ピラミッドやロードス島の巨像、空中庭園などに惹かれるという。結構意外な箇所だが。

 海底谷の水のような灰色がかったくすんだ水が、そそり立つ木々がつくる絶壁のあいだにたたずむ林道を満たしているようだった。
(p53-54)

 あるのはただ時間から切り離された終わりのような状態、植物がこわばって硬化症を起こしたような状態
(p54)


変わってこちらは中央山地アリエ県トロンセの夜の森。ここ読んで自分は、川村記念美術館の常設展にある(たぶんエルンスト)一面暗い灰色(茶色)で塗られた木々の絵を思い浮かべた。
(2023 10/20)

あれらの空き部屋

昨夜読んだところは、珍しく(なのか?)グラックが自作との関連を示唆している2箇所。

 どこにも通じていない道、先には何もない、人気のない見晴らし。それらが亡霊の気配や誰からも返されないまなざしに満ちたあれらの空き部屋、その中心の空虚さが、私のほとんどの作品に私の意図とは関係なく指摘されてきたあれらの空き部屋と同種のものであることは、明らかではないだろうか。
(p56)

 実際街道を行きあたりばったりに走るとき、心のなかで闇と光が激しく入れ代わるのは、それが精神に及ぼす絶対的な影響力だけでなく、理由のない唐突さや光源の定まらない明るさといった夢の性格を受け継いでいるからだ。『半島』のなかで私はときどき、こうした守備一貫性なしに強いリズムを刻むジオラマ、情報に左右される連続的な話題の飛躍を再現しようとした。
(p58)


(2023 12/19)

この本は少しずつ少しずつ進行する。

 夏のノルマンディーのけだるさ、葉叢でもこもこしたその静けさが私たちを取り巻いていた。それから、田舎でミサと昼食のあいだにだらだらと続く日曜のこの時間の、物を取り払ったような空虚のようなものも。一瞬村の鐘が小刻みに聞こえたが、あとはもう何もない。
(p73-74)


日本だとよくわからないけれど、西欧の日曜の午前ってこんな感じなのか…昼食まではできるだけ、精神的にも騒がない、といったような。
(2024 01/04)

ロンドンの無頓着な街路

 隠し部屋の周りにくまなく仕掛けられたような、見かけだけで実はどこにも通じていない道だけでできた迷路の森。こうした小道に行きあたりばったりに入りこんでしまった経験を持つ人なら誰でも、森という罠の繭のなかにまた自然とからみ取られてしまっていることに気づく。
(p77)


これはパリ・フォンテヌブローの森の章。そこまで大きな森なのか…
(2024 02/22)

(以下は昨夜分)

 フランスの景色に今も残る完全に異国的なもののすべてが、そこには今も宿っているような気がする。まるでそこは、突如水がひけて禿げた大陸の一片が露出し、この国では月並みな、ボカージュのある果てしない田園に浮上したようだ。
(p93)


フランス中央高地の記述。ボカージュとは畑を森が囲んだり混在しているような景観で、フランスだけでなくイギリスからオランダ辺りまでの西北ヨーロッパの代表景観。現地に行ったとしたら、果たしてその異国的なものを読み取れるだろうか。外から来た者の方が、当たり前の景観としないせいで分かるかもという気もするが。

次はグラックのロンドン滞在(1929年の夏季休暇にロンドンで英語の研修を受けた)。クリケットには、アメリカでの野球同様、「ウィルスに感染」してしまったらしいが、パブには一度も行けなかったという。どちらも意外。

 町には終わりがなかった。ロンドンから本当に出ることは、どこからもできないような気がした。ただ都市という布地が街路にそって少しずつ広がり、無頓着に伸び縮みしながら切れることがない。スポンジが水で膨れるように田園地帯には勝手にしみこませておくが、それで本当に変わるということはないのだ。
(p95)


グラックだなあ…「シルトの岸辺」にもこんな感覚あったような…
最後はオランダ、アムステルダム。

 一九四七年にドルトレヒトでたいそう驚いたときと同じくカーテンのない窓ガラスの向こうでは、のんびりしていて穏やかな人間という調度が、この緩慢さ、鎮静化作用のある北国独特のこの植物的な沈黙を知っていたアポリネールの言葉を借りれば、「チェスの駒のように、たまにしか」動かない。
(p103)


…これは、感じた。オランダの家にはカーテンないとこ多い。何か自らにやましいところはありません、と周りに示さなければならないような、そしてそれが最早苦痛ではなく習慣化しているような、そんな感じ。北欧とかドイツとかはたまたベルギーともまた違うような…20年以上前なのであまり確かではないが。
あとは、アポリネール。この言葉は詩集「アルコール」の「地帯」にあるらしい。この人自体をもう少し深掘りしたい。
(2024 02/23)

動詞のいまだ存在しない時制

 下からだとすっかり石灰化して小さくしなびたように見えたものも、光に向けてはより黄色くより明るく、新しくつややかな緑の葉を向ける。葉は頬に上る血液のようにそこに押し寄せる。そして編細工の篭のように空へ向けて開いている柔らかな松葉の花束のなかには、いたるところに細長い松毬が巣ごもっている。
(p111)


これは松林を下から見るのとはまるで違うという上から望んだ風景。砂丘の上に登って松林を見る。作家の視線という奇跡を感じる。
(2024 03/03)

まず昨夜分。

 街道ぞいには村も家もなく、ただ眼に見えない水の広がりの湿った感じと、有史以前から生まれてくるように見える沈黙だけがあった。いっとき私たちはけぶった光が間をおいて点滅する暗闇のなかの一点へ向かって歩いていた。
(p134)


グラックは第二次世界大戦ではフランス軍としてフランドルへ派遣されるが、そこでドイツ軍の捕虜となってしまう。この文はその前のとある情景。「点滅する暗闇」は実は重砲射撃。
そして今日読んだところから。

 戦後二十年、もしくは三十年たって再び訪れた戦場は、かつてその場所で起きた出来事を、過去のそのまた向こうにしまいこんでいる。その現実味を失った過去を表現するには、動詞のいまだ存在しない時制が必要だろう。
(p137)


こちらは戦後の再訪問時。そう考えると、普段は複雑と考えている時制も、実はもっと細かく豊かにできる余地はある。
この他、戦時中、アメリカへ渡ろうとしていたユルスナールにパリで会っていたエピソードも有り。
(2024 05/07)

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