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「西アフリカの王国を掘る 文化人類学から考古学へ」 竹沢尚一郎

フィールドワーク選書  臨川書店

西アフリカのフィールドワークをしていた著者が、聞き込み調査では二世紀以上遡ることは無理があり、未調査のアラビア語文献を読み解くか、発掘するかのどちらかに限られるとの認識からマリの発掘調査をしたという。
(2017 10/22)

アフリカ固有稲


一昨日借りた西アフリカのフィールドワークの本から。西アフリカの大西洋岸からコートジボワールにかけて、アフリカ固有の水稲が栽培されている。その起源の年代と場所のズレを確かめる為にマリのモーリタニア国境付近で発掘を始める。 
ちなみにこのアフリカ固有稲、奴隷貿易時代にアメリカに持ち込まれ、一時期北アメリカ南部などで栽培されていたらしい。 
(2017 10/24)

ガオ市近郊の遺跡

年代は8~10世紀。ここは西アフリカ一の交易と製造のセンターだったらしく、日干しレンガ、違う模様の土器が同じ層にある、ガラス製造、瓶型土器の多さなど、他と違うところが多い。北アフリカから移住してきた集団も共に住んでいた?ニジェール川河口の都市遺跡とも関連ありそう。とのこと。
(2017 10/26)

強い結果の奴隷貿易


今朝起きたて(9時半)に「西アフリカの王国を掘る」の残りを読み終えた。
今まで発掘されたことがなかった西アフリカの王宮や交易都市を発掘して西アフリカ史を書き変えたというべき仕事。まとめの最後の注に興味深いこと書いてあった。

大航海時代ののち、ヨーロッパがアフリカに進出する。元々は、最大の文明地である中国やインドに対して輸入超過で貨幣流出していたヨーロッパを食い止めていたのがアフリカ産の金という関係であった。そこでヨーロッパは西アフリカ内部進出やプランテーション建設を目論んでいたが果たせなかった。多くの場合、海岸沿いに砦を構え現地の勢力から奴隷を調達するという間接的なものに留まった。というわけで、奴隷貿易は西アフリカが強かった結果なのだ、という説。

何が強かったのかというと、農耕文化に支えられた民衆世界。この点、高度な文明ながら頂点が牛耳られると大陸全体が乗っ取られたアメリカ大陸と比較してほしいという。同じアフリカでも東や南では違う結果に。ここは今までの通説では、気候の違いやヨーロッパ側の国の違いというところから考えられてきたけど、この説も考慮に入れたらどう変化するのかな。 

竹沢氏について少しだけ


著者竹沢尚一郎氏についてちょっとだけ調べてみたら、元々の宗教人類学やこの考古学の他に、社会学、移民研究(移民の地図)、ヨーロッパ史、そして水俣や大震災後の三陸など幅広い著作が。どれもこれも惹かれるものばかりで、「専門はどれですか?」とつい聞いてみたくなるが…1951年生まれで退官したばかりだという。

あと、釜石の防波堤工事の話。竹沢氏は防波堤工事の案を提出したのだが、市はそれに対して、従来の10メートルの高い防波堤を4年で作るからと竹沢案を採用しなかったらしい…だけど4年経っても出来ていない。
竹沢案は防波堤を二つに分け、漁師達が家から海を見て漁に行くか決めることができるようにするというものでコストも安かった。という話でもわかるように徹底して現場を重視する人みたい。ますます他も…
(2017 10/29)

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