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「ゾロアスター教」 青木健

講談社選書メチエ  講談社


さっき書いたもろもろ今日買った本をざっと見渡しながら少しだけ。 

マジック・・・字を書くものではなくて、「魔術」の方。もともとはゾロアスター教の神官「マギ」から来ている。その祭祀の様子が魔術を取り扱っているかに見えて、外部の人間がその意に転用したらしい。 
(「ゾロアスター教」青木健著 より) 
マギー司郎も? 
(2011 10/06)

今朝読んだのは「ゾロアスター教」講談社メチエ。これは途中まで前に読んだ続き…どこまで読んだっけ…まあ、とりあえず第3章から。アーリア人の最初のイラン高原とインド亜大陸への進出以降、イラン高原側からインド亜大陸へ移動あるいは侵攻したアーリア人を記述したインド側の文献から、アーリア人のゾロアスター教以外の諸宗教を探る(ああ、説明ややこしい)。
(2012 11/30)

ゾロアスター教徒のその後と、ザラスシュトラ像のその後
昨日、今日と「ゾロアスター教」を読み、先程読み終えた。
中央集権的に帝国とゾロアスター神官団が表裏一体だったのはサーサーン朝時代だけであったこと。イスラム侵攻後は、中心たる神官団がイスラム支配者にすりより、ゾロアスター教以外の諸宗教を弾圧するように進めたり、また一般のアーリア人は文化の一部はサーサーン朝時代のものを残したが、聖典や儀式などは10世紀までには放棄した。
ただインド亜大陸に移住した人々(パルスィー)は当地のヒンドゥー教の中の小コミュニティーとして儀式と聖典(読むことはできず書写(模写?)のみ)だけを守った。
イスラム側ではプラトンを先取りしたという(勝手に)付加した偽ザラスシュトラ像が形成され、コンスタンティノープル陥落の少し前、ビザンチンの哲学者がイタリアに伝え、それがルネサンスのザラスシュトラ像の始まりとなった。
それがまたなんでか、西欧でイランの歴史学が実証的に始まり、虚構をはがしたザラスシュトラがわかり始めたその時に、ニーチェがまた書き始めるのね・・・
(2012 12/02)

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