「フランス現代哲学の最前線」 クリスチャン・デカン
廣瀬浩司 訳 講談社現代新書 講談社
アリストテレスとベルクソン
「フランス現代哲学の最前線」から。
ギリシャの神話は古代ギリシャ人にとって、神話を信じている局面と合理的に判断している局面…など、これらが並列状態…
この箇所のあとで、アリストテレスは「人間は空間化されたところでしか生きられない」と言っているのですが…時間重視のベルクソンとは正反対(なのかな)。とにかく知と空間が区分されるとあるけれど、知の切り分けというのはなんだろう。言語の切り分けみたいなところかな。
(2017 04/25)
空間と言語化
「フランス現代哲学の最前線」は第3章。構造主義のところ。
各主体を越えた要素間の秩序に拠るのが構造主義なんだけれど、その秩序の上でなにごとか動く(二つの系の交差?面白そうなんだけどちょっと理解できなかった…)為には、どこかに空間・隙間が必要。
あとはラカンのところで、無意識を言語化されたものとして考えるというのがあった。もちろんその言語化された表面上の意味ではなく、それを発話せしめたものに。
(2017 04/28)
メルロ=ポンティとフーコー
前者はものが立ち上がるミクロな立ち位置にあり、それを鳥瞰したマクロな立ち位置の構造主義とは正反対な立場にある・・・のかな。対立というより視点の違いで両者は並存しそうな気もするが。
後者は前に社会学の文庫でフーコーの権力論見た時と同じように、フーコーは個人に権力の源泉をみる。あとこのフーコーのところでは、古代ギリシャ・ローマの手帳・日記?が実際の出来事を書き記すというより、自分の信条を書き連ねて心情の安住の地にするという記述もあった。そういうところから理解した方が古代人の理解は正確になる・・・のかな。
(2017 04/29)
ボードリヤールとデコンブとデリダ
「フランス現代哲学の最前線」からまずボードリヤール
外側から無理やり解放、脱がされる感じ?
次のデコンブはフランス哲学にフレーゲやヴィトゲンシュタインの分析哲学を導入している。
こうした見方を例えば一昨日の「ジェイン」の変身等に応用したらうまくいきそうかも?
(サマセット・モーム「ジェイン」…光文社古典新訳文庫「マウントドレイゴ卿・パーティの前に」より)
デリダからも引っ張っておこう。わからなさ70%くらいなんだけど。
この「純粋な直接性」というのがパロールのことで、それがルソーとかキリスト教的現れ(顕現)とかいうのに通じる、というのはなんとなく理解できるのだが・・・脱構築は構築なくてはあり得ないというハーバーマスのデリダへの批判が、デリダからフーコーへの批判と最終的には同じものであるという指摘は、中身は理解してないけれど(笑)惹かれるものがある。
(2017 05/03)
(補足:野家啓一「物語の哲学」でこの「純粋な直接性」について詳しく解説。ルソーやオースティンが批判の対象)
(しかし、30%はわかっていたのか?)
最前線とりあえず読み終わり
ポール・リクールとロールズの「正義論」。
ロールズの「正義論」では「無知のヴェール」という、配分が行われる時点では誰も富めるか貧しくなるかわからない、という前提をとっているのだが、それはあまりに抽象的すぎるとリクール始め、フランス思想界は考えているようだ。
ニールス・ボーアの言葉
あと二つ引用(用いるところまでいってないが…)
フランス哲学にも英米の分析哲学の要素が入り込んで統合されようとしている、らしい。
この本に全体的に横たわる基調のようなものがあるとするならば、それは唯一の真理や構造に収斂すべきではなく、現実の多様な対立しているものから少しずつ哲学的に有意義な議論を抽出していこうとする姿勢にあるのだろう。
(2017 05/07)
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