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「神を見た犬」 ディーノ・ブッツァーティ

関口英子 訳  光文社古典新訳文庫  光文社

「コロンブレ」

午前中は、ブッツァーティの短編集「神を見た犬」の最初の4編を読んだ。「コロンブレ」と戦士の悲しい歌(タイトル忘れた…)のは以前に読んだことがある。
コロンブレはそれを見た者に狙いを定めて死を招く魚、見た少年は陸にいればコロンブレとは会わなく安全なのに、敢えて海の男となり一生を送る。最後にお互い年老いた男とコロンブレの間に何が取引されたのか。
あと、ブッツァーティの作品読む上で、彼が画家でもあったことは結構重要な要素かも。どの作品もまるで中世のタペストリーのように一枚の絵から一枚の絵に場面が移っていくよう。
(2010 01/15)

「七階」「聖人たち」

昨日読んだ作品。
「七階」のポイント
1 病院の階を降りるに従って症状が悪化している患者の階となる、というこの話の構造。そこで主人公を一つずつ階を下ろさせていく病院側の当人に話す理由が「症状の悪化」以外であることの面白さ。病院というのはもう一人の自分自身?
2 最初は七階から(この7という数字もなんだが)なのだから、空から落ちない限り一階を通っていくはずなのに、本文では「あてがわれた」という曖昧な表現しかない。まあ、エレベータのみ別棟なのかもしれないけど、空から落ちたという解釈もありかと(笑)。
3 最後の一階での死の場面の対比の鮮明さ。
4 ブッツアーティの作品では割と初期にあたるこの作品だが、友人によると彼の死に様はまさにこの「七階」にあったようだった、という。思っているとその通りになるという説はも少し考えてみる必要があるかも。

「聖人たち」について
ユーモア漂う聖人の国の話。聖人の各家の前にある、「神」といわれる海が、頭の中のイメージのまさに半分くらいを占める作品。前に「待っていたのは」の最後の短篇でも死者の国は海が印象的だった気がする。ブッツアーティにとって「死」と「海」は直結するのか? またブッツアーティは山の作家だと言われているらしい(生家も山の方)が、自分の読んできた中では山より海という気が。もっとも山は作品にイメージ化させるのが難しいのか? 

「コロンブレ」は「白鯨」のミニ版か?
(2010 01/22)

「グランドホテルの廊下」


二人の男がホテルのトイレ前で何回も鉢合わせをしてしまう、というなんでもないよくある話。実際には「会釈」なり「微笑み」なりで無事に?通過するのだろうけど、この短篇が示すような一つの(心理的にはよくありがちな)隘路にはいりこんでしまう・・・ということもないこともないか。
この短篇からみるとブッツァーティは「イタリアのカフカ」というより、文学趣味を持つ社会学者か心理学者かといった感じがする。ただしラストで朝になったら全てのドアの前に同じような人達がいた、と書かれているのは、さすがに小説家。逆に言えば部屋の中には誰もいないわけか。こんな短いさりげない短篇の中にもユーモアと哲学が同居する。
(2010 02/12)

(実は読了したかは微妙)

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