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「グレアム・グリーン入門 特異な人間性と迫力に満ちた作品世界」 山形和美

彩流社

読みかけの棚から
読みかけポイント:興味のあるとこ拾い読み

ちなみに著者の娘は世界的フルート奏者の山形由美。


グリーンランド?


「ブライトン・ロック」は初めから堕ちている人の話、「力と栄光」(「権力と栄光」)は堕ちているようにみえながら決して堕ちることのない人の話、「事件の核心」は不本意ながら堕ちることを確信する人の話。「情事の終わり」は堕ちることによって上にあがる契機を準備する人の話。
(p47)から
前の3作品は主人公がカトリック教徒であると書いてあるが、ということは「情事の終わり」は違うのか。

意外?なところで、グリーンのシェイクスピア告発

 かりにシェイクスピアが同時代の詩人サウスウェルの反体制精神を分有していたならば、私たちはシェイクスピアをもっと人間としても愛することができるでしょう
(p124)

デヴィッド・ロッジ「バフチン以後」との関連


ミメーシスを極限に押し進めたモダニズムの小説は、最後に作者なるものは排除できず何かで置き換えるか作者を抑えるしかないと気づく。とそれに応じてポストモダニズムが、では積極的にどんどん?作者を作品世界に呼び戻そうとする。こういうディエゲーシス(作者の言葉の再導入)の様々な形態の中で、ミメーシスとディエゲーシスが均衡をとるようにした「保守形態」があって、それがグリーンやモーリアックの作品だと言っている…らしい
(p145)から

「事件の核心」に対する、オーウェルとウォーの批判

 徳の高い異教徒よりは道を踏み外したカトリック教徒のほうが立派なのだ、という発想が見え、信仰を弱体化する要因が潜む
(p209 オーウェル)

 私にとって、神を愛するがゆえに自らの堕地獄を願うという発想は、極めて曖昧な詩的表現であるかさもなければ気違いじみた涜聖(瀆聖)行為であります。なんとなれば、人間からこのような犠牲を受け入れる神は義の神でもなければ、愛の対象になる神でもないだろうからである
(p210)


(注 瀆聖は「とくせい」と読む。冒瀆とかとほぼ)同じ
(2021 04/18)

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