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「図書館と江戸時代の人びと」 新藤透

柏書房

図書館と江戸時代の人びと


昨夜帰りがけに標題の本買った。江戸時代以前、将軍家、藩校、庶民という構成。昨日は第1部、貸し出しや別の場所からの取り次ぎもやっていた例もある、という。 
また平安時代からの儀式の仕方を参照したりするための「日記の家」なるものが公家などにあったという。これなども今の図書館のレファレンス部門の先駆け。
著者はもともとは北方史の専門の人。
(2018 01/24)

第2部「将軍専用の図書館・紅葉山文庫」


元々は家康の集めた書物と金沢文庫・足利学校などから吸収したものや諸大名からの献本で成立した「駿河文庫」(駿府)と富士見文庫(江戸)が、秀忠の時代に江戸に統一し、家光の時代に同じ江戸城内の紅葉山に移った。
六代将軍家宣が甲府藩主時代の江戸屋敷蔵書をもってきたり、佐伯藩主毛利高標の蔵書を子孫が献上したり(これが献上書物数の最大のもの)、中国や洋書(オランダ商人を通して、特に吉宗の時代からキリスト教関連以外の書物輸入が解禁になったことを受けて)を買い上げたり。

後半は、書物好きでもあったその吉宗の「図書館利用」について。将軍になる前からその下準備をこの文庫の書物を使っていた吉宗。将軍になってからは積極的に利用し、また写本の異同を校訂したり、偽本は焼却処分にしたり、また足高の制で身分の高低を問わず有能な人物を採用とした時には例えば中国科挙の本を借りたり、天然痘が流行れば医書を借りたり、国絵図、風土記、城絵図含め実用的な使い方。文庫直属の書物奉行・同心がこぼすように真夜中でも「御用」といって問い合わせした、という。
またこの時代から始まる「三十日伺」という期限である三十日を過ぎると催告しに行くというのは将軍も例外ではなかった(でももっと何年も借りてるのも結構あったり)という。暴れん坊よりこっちの方が素顔かも。

第3部「藩校の図書館」


藩校では、会読という一つの本を皆で読み議論しあう(学生のみで)というスタイルが中心。最初に藩校を作ったのは岡山藩。具体的には佐倉藩、米沢藩、長州藩の3つの藩校図書館を例に。この中では佐倉藩のは、夜間貸出、館外貸出も行なっていたという。
明治維新後は藩校の書物を東京に寄贈するようにという命令が出たが(これでできたのが後の国会図書館)、そこに提出されなかった書物は自治体図書館の核となったり、場合によっては散逸したり。
(2018 11/05)

第4部 都市の貸本屋、農村や小都市(桐生)の「蔵書の家」


これらの場所で本の貸し借りが行われていた。大塩平八郎の乱から2ヶ月で、大坂からかなり離れた熊谷でそれに関する写本が貸し借りされていた、という。書物の又貸しが容認され、その為に返ってこなかった書物もあるが、それでも又貸し禁止にならなかったのは、書物需要があったから。
読み方は会読という集まって読み聞かせるものが多い。これで芸奴も自身の話を洒落本で聞いていたらしい。
(2018   11/13)

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