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「生きて、語り伝える」 ガブリエル・ガルシア=マルケス

旦敬介 訳  ガルシア=マルケス全小説  新潮社

ガルシア=マルケスの「生きて、語り伝える」を家に帰ってちびちび読んでいる。レムの「高い城」と並行で読んでいるのだが、どちらも自伝的作品であることがミソ。「生きて、語り伝える」の出だしが、自分の視点ではなく、会いに来る母親の視点から始まっているのが、何気に巧いところなんだろうな。
どっちをメインにしようかな。
(2014 10/22)

百年の孤独の海


夜に少しずつ進めている「生きて、語り伝える」。昨夜は母親との旅で海(といっても砂州に囲まれたハマナコみたいな(それより大きそうだけど)海)に出た。マルケスの祖父が「対岸はない」と語ったそうな。「百年の孤独」にも出てきたなあ、そんな場面。この後、世界を渡り歩いたマルケスだが、この時の海の印象を超えるものはない、と書いている。
(2014 10/23)

マコンドはバナナ農園の名前

 母はさらに数分間すわったまま、無人の通りに倒れこんで死んでいる町を見つめ続け、そのあとでようやく恐れおののいたように洩らしたー
(p37)


言うまでもなく、通りは町の一部だから、一部の中に全体が倒れているというのはおかしな表現だが、それがだまし絵か入れ子構造みたいに体験できる表現になっている。
マコンドや「火曜日の昼寝」の由来などマルケスファン必読の話題が次から次へ。第二自伝はできたのかな。
この本読んで感じたのは、結構マルケスの作品も自分の体験織り込んでいるんだな、ということ(策略かもしれないけど(笑))。全くの空想では作品は完成しない。あとは織り込み方…
(2014 10/25)

ベルガの自殺のところは「記憶」と「語り伝える」関係の示唆の一例かな。
(2014 11/07)

祖父の決闘と「コレラの時代の愛」


「生きて、語り伝える」第1章を昨夜読み終え。第1章後半は祖父からマルケスの誕生するまでの一家の歴史。祖父が仲間の一人と何故か決闘してしまう事件は、いろんな思惑などから皆の証言や話が異なる。少年マルケスはそんな幾つかのバリエーションを半ば楽しみつつ話を作っていったのではあるまいか。こうした同じ事件に対する証言の相違というテーマは後にジャーナリスティクな作品に生かされるけれど、それ以外の彼の作品にも通底しているものだと思う。
続いて語られるのは、マルケスの両親の結婚に至るドラマスティックな話。マルケスはこの両親の挿話から幾つかを引き抜き「コレラの時代の愛」に使っている。
そして、マルケスが産まれるわけだが…母親との旅はどうなったのか…
(2014 11/11)

世界は女で維持される


「生きて、語り伝える」(原題は「ガルシア=マルケスは語る」?)
世界は女で維持されていて、男はそこに暴虐的なエピソードを挟むだけだ…という世界観をマルケスは持っているというけれど、それを育んだ家の親戚や使用人の女達の様々な挿話が、少年マルケスの視点で語られる。このまま「百年の孤独」になるのではというほど変わった人達が語られていくなかで、その中の一人は実はマルケスが2歳の時に亡くなったという…マルケスはどこからこの印象を得たのか?
あとは、家にいる唯一の男である祖父のエピソードで「コレラの時代の愛」にあった、高いところにいた鸚鵡を捕まえようとして4メートル下に落ちた、というのがある。小説では死んでしまったけど、現実?の祖父は無事だったという。
そんなこんなのエピソードや、大人が子供に隠そうとして符丁で話すのをつなぎあわせてマルケスは話を作っていく…
(2014 11/13)

インスピレーション


遡る部分が祖父の死で一区切りついた後、母親との旅の時点に戻りそこからマルケスの書く仕事が始まる。リルケに「書かなければ死んでしまうことでなければ書くな」という言葉がある、といってるけど、どこにあるのかな。

 インスピレーションというのはことばとしては実に忌まわしい単語だが、しかし確かにいかにもリアルなものであり、自らの燃えつきるところまで早くたどりつくために、通り道にあるものすべてをなぎ倒していく勢いをもったものなのである。
(p144ー145)


羨ましい…というより、ならなくてよかった…って感じ?とにかく全く自分はそのレベルには達してないです。
なぎ倒していく先は、原稿の測り売り…
(2014 11/15)

マルケスの子供時代読書体験


なんかそのままなタイトル…
バランキーヤの学校の校長がマルケスに好意的(マルケスが卑猥な話を削除していない「千一夜物語」を読んでいたこともあって)で、学校の図書館の本を特別に家に持ち帰っていいようにしたり(ということは本来は貸出不可なのか)してくれた。そうして「宝島」や「モンテクリスト伯」などをむさぼり読んでいたらしい。一方、この校長が推薦してくれた「ドン・キホーテ」は楽しめなかったみたい。高校の頃何度か読んで、急に暗唱できるほどに面白さがわかったらしい。
この頃のマルケス家はかなり貧乏だったらしく、マルケスも仕事したりもしてたらしい。慈善家として有名な人物のところに無心しに行ったことも(ここの結末が可笑しい…)。
(2014 11/20)

コロンビア版のど自慢とガルシア=マルケスの由来


ガルシア=マルケスという名前は父方の姓=母方の姓という並び。子供時代は単にガルシアだけだったのが、ガルシア=マルケスにしたのは、マルケスがその頃ラジオでやっていたのど自慢みたいな番組に参加した時に母親に頼まれて以来とのこと…ちなみに、その時はあまりの緊張の為、鐘一つ?だったそう…
も一つちなみに、ガルシア=マルケスのことを(多分)マルケスと普段言ってしまうのは、なんだかガルシア=マルケスの文学的特徴をにじみ出しているような気も。
でも、この本、様々な逸話や小ネタがこれでもかと詰まっている…
マルケス自身が歩くネタ帳…
(2014 11/21)

ガビード青年、ボゴタへ


「生きて、語り伝える」は第3章読み終え。220ページくらいまで読んだが、まだ1/3…
第3章最後はマルケス(ガビードというのはマルケスの名前ガブリエルの愛称)がボゴタの学校へと向かうところ。で、船旅の回想場面がいろいろ興味深くて面白かったのだけど、ここに書いてある回想部分ってのは、実はこれから何度も往復する時の話や後年になってこの時の船が燃えたという話を聞いての回想だったりして、それが最初にボゴタへ向かう旅の記述に折り込まれている。ここに限らず、そういう処理がこの本にあちこちに…
(2014 11/27)

第4章はボゴタ→近郊?の寄宿学校という流れ。まあ相も変わらずいろんなエピソードのオンパレード…第3章最後で船に乗り合わせた「読書家」の人物が実は奨学生制度の課長だった…とか、ホンマカイナ…と思う場面がちらほら。まただんだんマルケスの視野にも政治が生に入り込んで校長の交代劇など起こったりする。
(2014 11/28)

中傷ビラと「悪い時」


「生きて、語り伝える」第4章の続き。コロンビアの政治状況が怪しくなってきて、それは当時マルケスの家族が住んでいた小さな町スクレにもある程度は波及してきた。中傷ビラという形で。でもマルケスの着目点はちょっと違うところにあった。

 すでになんとなく知られている以外のことを告げる匿名ビラというのは存在せず、どれほどしっかり秘密にしていると当人が思っていることであっても、それはすでに知られていたのであり、遅かれ早かれきっと起こるはずのことを告げているだけだった。
(p317)


次のページにある母親が娘の時に自分の恋の為にとった策略を、娘達も使い、しかもそれに母親が予期していなかったというところもあわせて、何らかの円環性を匂わせて興味深いところだ。
ここのテーマはこの中傷ビラとか決闘とかなのだけれど、ここから出てきたマルケスの作品は「予告された殺人の記録」と「悪い時」。後者に関しては出版のエピソードが、原稿にネクタイつけて出したとか、タイトルや語彙の変更を迫られたとか、それでも最初の版ではコロンビアの田舎の言葉がマドリッド上層部の言葉になって(第二人称の違いなどあって、南米の人には古語風に聞えるらしい)いてマルケスが後にメキシコで新版を出したとかの逸話付。
(2014 11/30)

ボゴタの路面電車は何かを誘発する


マルケス第2作「エバは猫の中に」に寄せた新聞の文芸批評家の文章から

 想像力の中では何でも起こりうるわけだが、想像力の中で得た真珠を、ごく自然に、単純明快に、大げさにならずに提示するというのは、文学との交際を始めたばかりの二十歳の若者が誰でもできる芸当ではない
(p351)


この文章は現在でもマルケスの魅力を的確に述べているのではないか。この少し前にマルケス自身が文章が下手で人の心をよく知らないと言っているのだが、少なくとも前者に関しては文章が巧みだからといってよい小説が書けるとは限らず、マルケスはそれを意識しているからこそよい作品を完成できるのでは、と思う。
はたまた、こんな文章はいかが。

 あの果てしない青春の午後ー失われたたくさんの日曜日を無限の尻尾のように引きずっている午後
(p362)


マルケスが日曜日にボゴタの路面電車にずっと乗り続けながら本読んでいた時の回想から…若さと無為さとその無意味に思える連想が誰しも経験ある意識としてよみがえってくる。
(2014 12/03)

小説とルポルタージュ


彼は小説とルポルタージュは同じところから派生している、と考えている。「幸福な無名時代」にそれはよく現れているけど、その後の作品にもいろいろ濃淡の違いこそあれ一貫している。
そこからマルケスはスペイン語の「~メンテ」という表現は(引用部分以外は)使わないことにしているのだそう。ちょっと「~メンテ」がどういう表現なのかはよくわからないが(「~のような」かな??)、とにかく最初にそれを含む文を思いついた場合、それを別の書き方に直していくそう。ここでまた新たな表現が生まれる可能性が出てくる。
この削除・書き換え技法、どこかで応用できそう?
(2014 12/04)

「生きて」語り伝える


「生きて、語り伝える」はなんだか今まで「語り伝える」方ばっかり注目して読んでいたけど、今回は句点の前の「生きて」の方から。

 本物だったのであれ夢に見たのであれ、想像力の不思議な力が作りだしたものとしてとらえるのではなく、私の生の中で実際に起こった驚異の体験であるととらえるべきものだったのだ。
(p376)


(またもや)路面電車の中でマルケスは牧神を見たのだそうな。ここで得たこの考えをマルケスは「百年の孤独」他の作品で花開かせることになる。重要なのはそれを「生きた」こと。
(2014 12/05)

検閲官の姪っ子はいつ出てきた?


今日読んだところから、これでよく「文章下手」などと悩んでたなあ(笑)ってくらい巧みな文章…を2箇所
まず、カタルヘーナでジャーナリズムの世界(新聞)に入り込んだ話。そこからまずは新聞仲間かつ以前の学校の先生でもあったエクトルとの話題から。

 私たちは何時間も話しこんだー生きている友人、死んでいる友人について、書かれるべきでなかった本について、私たちのことを忘れてしまったけれども私たちのほうでは決して忘れられない女たちについて…(中略)…起こったすべてのこと、起こるべきだったすべてのことについて、何も飲まずに、ほとんど息もせずに、むやみやたらと煙草ばかりを吸いながら、まだ話さなければならないことをすべて話し終える前に人生が終わってしまうのではないかという恐怖感から、いつまでも話し続けた。
(p443)


この文の後半は、この自伝のタイトルに通じてくる。果たしてマルケスは人生が終わる前には話し終えたのかな?たぶん、まだまだたくさん語りたいことあったのではないか。人生は通してずっと語り続けること、語り終えることはないままに。

続いてはその新聞で「新段落」なるコラムを担当することになった時の話。

 私はこの編集部にほとんど二年間とどまり、署名入りで、署名なしで、記事を毎日二本、検閲をくぐり抜けながら書くようになり、あやうく検閲官の姪っ子と結婚しかけるところまで行った。
(p448)


この箇所読んだ時、思わずふいてしまった…途中を省略し過ぎ(笑)…この検閲官にしても、この後政府の暴力行為を非難する記事を書いた時に新聞社に上がりこんだ将軍にしても、敵側、政府側なのに関わらず、なんだかみんなで同じ遊戯の場で回って遊んでいるかの印象を、読んでいるこちらは受ける。マルケスの全てを見通した視線がそれを可能にしているのだろう。
しっかし…事件起こり過ぎだろ…
(2014 12/09)

500ページ越えで、母との旅の時点に至る


というわけで、「生きて、語り伝える」はやっと冒頭の母との旅の時点に戻ってきた。この旅でマルケスは何かをつかんだようだ。

 私の役に立つのは、もはや人工的な手法による加工ではなく、自分でも知らずに引きずっていた感情的な電荷であり、祖父母の家で無傷のままずっと私のことを待っていた情感の重みのほうだった。
(p504)


この時期には、「ユリシーズ」と「響きと怒り」を再読発見したり、編集長の肩書き持っていた雑誌の紙面節約の為に他作家の短編の字数を削ったりしていたそうな。どちらも後に役立つ経験となる。
(2014 12/15)

回想録書くなら…


「生きて、語り伝える」…何回カタルヘーナとバランキーリャ行き来してるのかわからないくらいなんだけど…
マルケスと父親が「回想録書くのに細かいことを忘れてしまう場合が多い」という話題で話している時、5才の弟(マルケスの兄弟はかなり多い)が「じゃあ一番始めの本で書けばいい」と言ったそうな。えと、この本自体、回想録なんだよね…
この時期は「落葉」(この言葉はマルケスの母親が言った言葉で、バナナ景気の時になだれ込んできた人々を指す)やいわゆる初期短編を書いていた時期なんだけど、こうなってくるとそれらも読みたくなってくるね。同じ「全小説」シリーズにあるから…
(2014 12/17)

革命と時計


「生きて、語り伝える」はいよいよ最終の第8章へ。またボゴタに戻って新聞記者になる。
その前の章で、マルケスのところへ共産党員でもある時計屋が現れて、分割でいいから買わないかともちかけられる。革命を分割払いするようなものだ、という時計屋に対して、革命は前払いだけど時計は後払いなわけだ、と応酬するマルケス。会話表現が不得意という自己批判が信じられないが、結局時計は買って、マルケスがこの作品書いている時も動いていたそうな。
(2014 12/19)

チョコー県


あいもかわらずいろんなエピソードが事欠かない「生きて、語り伝える」。今回はパナマ国境付近のチョコー県の分割吸収合併に関してのデモ運動の取材。
といっても、実はオンボロ飛行機(なんと雨漏りまでする)で駆けつけた時にはデモはとっくに自然消滅。どうしようか、と派遣されていた駐在記者などと相談して、デモ隊のでっち上げをしてしまう。これが現地からの唯一の記事だったこともあり、また国中の眼がチョコー県に向く…コロンビアという国は1903年にパナマを分離独立されてしまい(アメリカによるパナマ運河管理の為の圧力)、それ以降チョコー県は忘れさられた存在となっていた。

ちなみに、昨日読んだところでマルケスは初めて短編作家としてインタビュー取材を受ける。インタビューという形式には今も疑念を感じる、というマルケスだが、この間読んだ「グアバの香り」は相手が古くからの友人だったこともありマルケスにとって理想的なものだったのかな。まあ、インタビューというより対談だけどね。
(2014 12/20)

遭難者の話と引き延ばされた二週間


「生きて、語り伝える」読み終わり。650ページという厚いものだったが、まだまだ語り尽くせない溢れる挿話に浸かっていたいような気もする…

海軍の遭難のエピソード…遭難の理由が、軍が発表した嵐によるものではなく、家電製品をたくさん買い込んで甲板に積みすぎたところへ強風が吹いたため、というのはなんだかなあコロンビアらしいなあ、という感じ。ここでも、軍の嵐というバージョンと遭難者の生き残りベラスコのバージョンという語りの複数性を示唆。

で、そんなこんなしているうちに、マルケスはジュネーブの首脳会談に特派員として派遣されることになる。そしてコロンビアを離れることになるのだが、四日の予定が三年間になることに。この記録の最後は、(二週間の予定と聞かされていた)マルケスの母親の言葉で締めることにする。

 ときには神様だって、二年間続く週を作らなきゃならないときがあるんだよ
(p663)


(2014 12/21)

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