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「砂漠の修道院」 山形孝夫

平凡社ライブラリー

この本は二部構成。第一部がフィールドノート的な臨場感ある記述。第二部はそれよりテーマ性のある論文形式。

エジプト、ワーディ・ナトルンの修道院

序章
カイローアレキサンドリア中間からやや西側。その昔、ミイラを塩漬けにするための最上級の塩の採掘地でもあったこの砂漠のただ中に、コプトの修道院が4つある。その中の最大、聖マカリウス修道院に著者が調査のために暮らした、というのがこの本の内容。

病気治癒の旅・巡礼の旅というテーマを持っていた著者が、聖書の中の「砂漠」の位置付け、それと古代末期に国教となり力をつけたキリスト教会を嫌って隠遁する人々の動き、という動機でこの修道院に何度も来た。この軸がこれからどうなるのか。
(2019  05/31)

神のための逃亡者

「砂漠の修道院」第一部終了。最初の方に、砂漠を見て難破した船の上にいるような気がしたという表現があったけど、「魔の山」のクライペダはリトアニアだけど、砂の無限の風景はそれを思い出させるのだろうか。ただしこちらは熱波50度の砂漠。

この時期(1980年代)、聖マカリウス修道院は修道士80人くらい。農作業繁忙期は近くのコプトの村人が応援に来る。修道士の多くは大学出で、他の職を経て来た人が多い。それを修道士の一人、いや修道院の師父までも「逃亡者」だと語る。ただそれは神に仕えるための、という。

この当時、大卒でまあまあの職についても給料安くて、公務員といえども副業しないとやっていけなかった。父の死によって家の全てがのしかかってきた二人の、一方は修道士に一方はカイロで生活を続けるという対比が興味深い。

他には、この修道院から出て洞窟に一人こもる修道士が数人いるという話など。
(2019  06/04)

エジプトのユートピア

第二部はやや専門的知見が多くなるが、筆致は変わらない。エジプトの人々の死生観、どこにもない世界への希求の念はどこからくるのか。エジプト文学者奴田原氏の「エジプト人はどこにいるか」を手掛かりに探っていく。ナイル川から離れては生きてはいけず、そこでは支配者が専横している。そうした中での彼方を見る目。

石器時代を過ぎて古王朝時代になったころのエジプト王等の埋葬は、遺体を切断した上で、それらをまとめて埋葬したという。それは農耕神としてのオシリス神話と重なってくるもの。

  古代エジプトにおける死体切断の葬法には、死者への恐怖と、死者への再生の願望が、二つながら揺れ動き、引き裂かれた感情として、みごとに表現されている、とは言えないか。
(p166)

ワーディ・ナトルンの修道院は今では観光客も訪れることのできる地になっているらしい(以前、道祖神のツアーがあったらしい)
(2019  06/05)

補足:中世の森の海と、中東でのキリスト教徒

中世までのヨーロッパは、森に囲まれた村々の「緑の海の島国」であり、そこに交易の道が切り開かれたのは16世紀以降。堀田善衛のいう「路上の人」が溢れ出した。そこには商人や職人、飛脚等もいれば、盗賊や病人などもいた。そこに巡礼が加わる。
カトリック(日本の場合も同じだが)の歴史は、これら路上の人に対応することで思想的にも磨かれてきた。「旅する教会」というのがその到達点の一つ。現世と来世をつなぐ旅は教会が行い、民は定住していればよい、という思想。

最終章の中東地域のキリスト教徒の分布は資料的に興味深い。カトリック・プロテスタント・ギリシャ正教の他に、コプト教徒、アルメニア教会、、シリア派(以上3つは単性論)、ネストリウス教会(マリアを「人間の母とする、景教。今でもイランやイラクでは数万の信者がいる)、マロン派(レバノンの人口のほぼ半数、教義的には単性論とネストリウス派の中間点、ローマ法王の権威を認めている)。カトリックに分類されるものでも、コプト・カトリック、アルメニヤン・カトリック、ネストリウス・カトリックなどがいて、これらもローマ法王の権威を認めるが、独自のものも残しているらしい。(2019 06/08)

補足(奴田原氏と堀田氏について)
奴田原睦明「エジプト人はどこにいるか」(第三書館)
 奴田原は、抑圧者にたいする憎悪が、無意識の深層に蓄積され、〈屈従による延命〉が、農民相互の関係をむしばんだ結果と見るのだが、そうした病根が社会のすみずみにまで蔓延している現代エジプトの現実を彼は痛みをこらえて剔出するのだ。
(p149)
奴田原氏の前掲書より
 通りを行く人々の顔は、なにかに駆りたてられてでもいるかのようにこわばり、共同組合の販売所をはじめ至る処で市民は長蛇の列をつくり、タクシーを奪い合い、乗車拒否をされ、バスは超満員でぶどうの房のように人間をぶら下げて走り、それでも乗りこもうとする人々は、男も女もムスリムとしての慎しみを投げ捨てて凄い形相となる。
(p150)
それでもエジプト人は逃げ出すことはできないし、そこに片足を突っ込んでいる奴田原氏もまた同じだ、と山形氏は言う。

堀田善衛「路上の人」
 深い森が焼き払われ、切り拓かれて、大森林のなかに、どうにか〈道〉とよぶことができるものが出現したときにはじまったのだ
(p212)
何がか。
堀田氏の言う「路上の人」の大量出現。商人、飛脚、職人、それから失業中の傭兵、放浪の騎士、詐欺師、逃亡者、贋金作り、贋の聖遺物や免罪符を売る人々、追い剥ぎ…それらの中に巡礼者も現れた、と言う。
(2022 02/06)

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