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「「教養」とは何か」 阿部謹也

講談社現代新書  講談社

「「世間」とは何か」の続編(らしい)。


「「教養」とは何か」とは何か


昨日と今日、阿部氏の「「教養」とは何か」を、何故か第2章から途中までざっと読んでいた…
阿部氏の著作としては、そして新書という媒体としては、ちと読みにくいところがある。ドイツの話と日本の話が…それも時代がいろいろ、いったりきたり…
まあ、それでも「個人の教養」と「集団の教養」の2種があって後者は中世には言語より身振りや舞踏の割合が多い…ドイツでは諸国漫遊修行中の職人の職種ごとの入門舞踏、日本でいうと茶の湯などはその例…それがドイツではフンボルトに始まる?大学改革から、日本では明治から、「個人の教養」つまりは言語による、世間の仕事からは超越した学問、という意味に転嫁した…というところか。一番大事なのは、教養が曖昧化したという指摘だろう。
(2012 02/27)

否定から入る教養

 興味深いことに理想的な身ぶりはそれとして示されてはいない。常にしてはならない形によってしめされているのである。
(p87)

サン=ヴィクトルのフーゴーの「修練者教育」より。阿部氏によると、この否定のみの世界規律表示形式は、「世間」も同じ世界だ、という。だから、教育(あるいは人生)は難しい・・・

 人間は自然的真実でありながら同時にニセ世間で暮らしている。つまり第二の矛盾を生きている。この矛盾が人間の中で現れてくるとき意識が働くのである。
(p107)


ここの東洋古代思想の西教授関連のところはかなり難しめ(自分にとっては)だが、ここなど「意識」の定義(というか原因説明)のようにも思える。p115−p117の西教授の詩?は、これまた難しめだが、なんだかカルヴィーノの世界観とも通底しそうな、そんな心の奥底の感じ。 ということで、「「教養」とは何か」第二部(のみ)読み終え。序は読んだっけ? で、「世間」と「教養」の関わりは?
(2012 03/03)

「続・「世間」とは何か」?


今日は第三部「個人のない社会」。ここはアイスランド・サガとモースの「贈与論」を中心に。 まずは文学における自然描写について。

 文学の中の風景はその意味ではフィクションであり、創造的な普遍化だという。アイスランド・サガにおいては自然の美的意識とか文学上の風景というものは全然存在してなかった。自然の美的意識とは、自然を人間に無縁な対象とした、自然と人間の対立を暗示する。他方、そのような認識の欠如は、人間と自然との統一が失われていないことの現れなのだという。
(p133)


初見では、「この文章はどうかなあ?」と思った。特に最後の二つの文章はちょっと「近代批判」に傾き過ぎ「昔はよかった」的になってないかな、と。「対立」と「統一」そんなに簡単に対比してもいいのかな?と。自然描写の欠如は移住ということの(ほとんど)なかった社会での情報伝達の必要性のない文学(神話)表現なのではないかと。 でも、これと響き合う文章があとで出てくる。

 都市は自然をある程度排除する過程で生まれるものである。・・・(中略)・・・こうして京都という都市を中心として暮らしていた人々の間では自然を対象化する感性が芽生えていた。
(p168)


うむうむ。なるほど。古代・中世の都市と自然の取り入れ方(教会建築(森を持って来た?)、庭園など)とか、それとその時代の文学とか、気になる論点も山ほど。
先のp133の文章の最初の文「創造的な普遍化」の最適な具体例は「いいなづけ」の自然描写(コモ湖とかミラノから見たアルプスのギザギザとか)なんだろうけど、万葉集とかの自然描写ってどうなんのだろうか。どのレベルまで他者、もっといえば集団(世間?)を意識していたのか。あれは。
「贈与論」のテーマにしても、サガにおける人間関係にしても、歴史認識とか時間認識にしても、それからこの自然との関わりにしても、結局ここで中心となっている「世間」というものは「関係」で成り立っている世界観なのではないか。

 そのような「世間」や「世の中」は歴史の変遷を越えて不変な枠組みであり、常に現在の状態が永遠に続くものであることが望まれていた。しかし変化は避けられないことが解っていたから、「世間」や「世の中」について語られるとき、常に無常という言葉がついて回ったのである。
(p171)


ここも見過ごせない論点がわんさと。歴史の重層性認識と「現在が最高到達点」的な認識の由来、文学や宗教における不変と変革の関係、そして何より古代・中世の人々の心性について。 次は「見過ごせない」というよりmustな箇所。

 すでに別著で示したように近代的個人が西欧において生まれたのは絶対的な神の前で自己をアイデンティファイする過程においてであった。西欧の近代的個人は告白という制度によって生まれたのである。その制度は教会が設定したものであるが、その教会は国家とともに近代社会を担い、教会が作り上げた近代的個人を前提として近代国家が生まれたのである。その国家はアイスランド社会と違って殺人の権利を留保し、個人の内面にわたる支配を実現したのである。
(p173)


「別著」?・・・ アイスランド(他昔の社会?)では「関係」が全てを規律し、「個人」はそれに従って生きていた。それに従わない個人は社会から外れ流浪の旅に出た(とか殺された)(この辺、中世等における芸人の社会的・思想的役割も考慮に入れると面白いかも)。でも不変を求めるだけでなく「変革」を求めることも僅かではあるかもしれないが存在していた。実例として挙げられていたサガでも、主要人物二人は復讐という掟を越えようとして新たな段階に入っていった印象も受ける。
けれど、アイデンティファイ(要するにアイデンティティーの語源だろう、実際には何?)を経て、個人の中に自由というものを作り上げた?「近代的個人」は何よりもそれを第一優先する(ここでキリスト教異端が果たした役割とは)。

今思いついたけど、阿部氏の言う「世間」とはカントのいう「私」のこと? 「公」は個人の自由だよね。ハーバーマスはそれを追求し、そこは阿部氏も引いている(まだ読んでない第一部)。でも、その「近代的個人化」は政治・社会の面から見れば「国家の一要素化」である「国民」形成の場でもあるわけで・・・ で、「世間」は何となくわかったけど、「教養」はどこ行った? 近代社会においても「世間」は古層として残存し、生活に多くの影響を及ぼしている。その「世間」を理解し、変革していくことなしでは真の「教養」ではない、ということみたいだが・・・ (「続・「世間」とは何か」の方がよいかも?>タイトル)
(2012 03/04)

公共性比較?


飛ばしていた第一部も今朝読み終えた。
その第一部ではハーバーマスの「公共性の構造転換」をもとに西欧と日本の「公共性」「世間」比較。でも、この二つ比較対象として妥当なのかな?(西欧と日本とか時代とかいう制約の問題ではなくて)
「公共性」は「具現」という言葉によく見えているように「・・・の前に」「見えるような形で」というところが重要。そこで身振りとかいろんな礼儀作法(騎士道とかも)が出てくる。それが「人文教養」の主たるもの(文字文化はその一部に過ぎないのだろう)。それが近代になると宮廷とヴァティカンに集約されてくる。民衆は「見る側」の舞台装置としては必須だけど、その教養からは排除されている、というところか。

一方、日本の事例では江戸期の大坂や江戸にあった塾が、ハーバーマスのいうドイツの読書会に(これは時代的には同一時期)合致するのでは、というのは有意義な比較。それといわゆる日本の「世間」が、西欧でいう職能集団と似ているのかも・・・違うかも? 東欧やイスラム世界ではどうなのだろうか?
(2012 03/05)

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