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「青春・台風」 ジョゼフ・コンラッド

田中西二郎 訳  新潮文庫  新潮社

「青春」は「闇の奥」と同じくマーローの語り。岩波文庫の短篇集にもマーローの語り物なかったっけ? コンラッドにとってマーロー枠物語は千夜一夜物語みたいなものだったのかもしれない。「台風」は第三者の語り手でマーローとは異なる。どちらも航海譚で他のコンラッド作品より読みやすい。ユーモアもばっちり。

「青春」

 (水先案内人のジャーミンは)どっちにしても何か悪いことでも起きない限り絶対に幸福になれないような顔をしていたっけ。
(p13)


マーローがロンドンに戻って給料で買ったものの中にバイロン全集があった。マーローもコンラッドも自分のロマン主義のような要素から自ら海へと向かった。そんな姿が(なかば自虐的に)描かれる。タイトルの「青春」についてはこんな感じ。

 海が滅びようと陸がなくなろうと、人間ぜんたいが死に絶えようと、おれだけは永久に生き残れるという、あの気持ち、喜びにも、危険にも、恋にも、むだな努力にもーそして死にすらも、おたがい人間を誘い寄せる、あのインチキな気持ちだねえ。
(p54)


自分にもこんな時期があったかどうかは疑問だが(確かになかったといえるかどうか・・・)、「永久に生き残れる」と感じるというところだけはあった(ある)かな。というか、人はなかなか自分が死ぬ存在であるとは身体で体感できないもの。という意味では、なかなかそれを実感してない自分はやはり「青年期の引き延ばし?」
マーロー=コンラッドの前に現れた「東洋」は沈黙。

「台風」

マーロー語りではない分、作者の「高み」から鳥瞰する登場人物構築がもっと特徴的に(キャラクター的?)に楽しくなる。主要登場人物を彼らが航海中に書く手紙から一人ずつ覗かせていくという手法は楽しい。

 ・・・この地上の蟻塚のなかへ、一本の途方もなく大きな、強力な、みえざる手がつっこまれて、それが人間どもの肩口をつかまえ、めいめいの頭をごつんごつんぶっつけあわせ、無我夢中でいる大衆の顔を、思いもよらぬ目標へ向かわせ、夢にも知らぬ方角へさし向けているのだ、とでも考えたくなるだろう。
(p67)


何回も形容詞が積み重なって重層的になっていくコンラッドらしい文体とその内容。ここは「ごくありきたりの」性格にみえるマクホア船長がなぜ海に向かったのか、という考察から。(最近は「思いもよらぬ目標」が少なくなってきているのかな?)
(2011 03/06)

「台風」の最後は最初と呼応して登場人物の手紙とその反応で幕を閉じる。コンラッドらしさでは「青春」の方がアリかな…と思うけど、こっちも当時の苦力…福建から出稼ぎにきた華僑の人々の様子などもわかって興味深い。
(2011 03/07)

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