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「イラクは食べるー革命と日常の風景」 酒井啓子

岩波新書  岩波書店

イスラーム政党の配分力

酒井氏の岩波新書イラクシリーズから「イラクは食べる」。イラクの料理を紹介しながら今のイラクの社会を見ていこうという構成。始めの方にはシリアに移住したイラク人・街の話があったけど、今はどうしているのかな。
(2016 04/18)

 現在「宗派対立」と見えるものは、権力の真空を巡って一斉に勢力拡大を図るさまざまな政治組織が、民兵という暴力装置を保持したまま「選挙」に臨み、暴力を以って票の獲得を目指したことによって起きた
 戦後のイスラーム政党の台頭は、それらが宗教ネットワークに基づいた集金能力と財の配分能力を持つ唯一の政党だったという理由が、大きい。
(p12-13)


民兵も集金・配分能力も日本での一般的理解からは(自分の理解からも)抜け落ちているところだろう。アルジェリアでもそうだったけど、災害時のイスラーム組織の迅速さも説明できる(救援も配分の一形態)。
(2016 04/24)

参加することに・・・

 イラクの復興を考えることは、すなわち戦前から戦後にかけて日本が経験してきた軍と政治の関係をどう整理するか、ということである。七〇年前に、軍の政治介入という同じ土壌の上に立っていたイラクと日本が、何故かくも遠く離れたところに来てしまったのか。
(p238)


「イラクは食べる」読み終え。イラクは大きく現在の第一党であるシーア派政党、前政権下ではシーア派やクルド人よりはよかったものの、革命後には自分達を代表する政党が見つからず取り残され感もあるスンナ派、そして長い抵抗の歴史があったからこそ組織力があり他の地域を尻目に経済発展するクルド人地域という3構造。そんな中で日本の自衛隊派遣はどうだったのか。「参加することに意義がある」というオリンピック(笑)の精神で軍隊派遣していた国も多かったという。

東欧諸国は仏独の反米姿勢に反して派遣した。フィリピンも派遣していたが、撤退する国の始まりとなった。日本は2年後撤退。酒井氏は日本の思惑とイラクの思惑にズレがあった。イラクではもっと大きな経済支援を望んでいた。それを散らつかせながらではないと、撤退の交渉はできなかった。という。
日本はイラクの委任統治としての独立と同じ頃、二・二六事件などが発生し戦争へと突入してゆく。上の文章の問いにきちんと答えるだけのものを自分は持っているだろうか。
(今見直したら、料理の話題一つも書いてない…)
(2016 04/26)

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