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「ゾラの可能性 表象・科学・身体」

小倉孝誠・宮下志朗 編  藤原書店

読みかけの棚から
読みかけポイント:気になる項目を少しだけ。


機械論

機械論がなかなかよい。機械の胃袋→消化不良→掃除(排泄)という構造が複数の小説に見られる。一方19世紀末になると「四福音書」と呼ばれるユートピア的小説群では、旧来のこうした大型機械(鉄鋼炉・機関車・炭坑)に変わって、電気機械がユートピア的に描かれる。フーリエの思想は随分前から読んでいたみたいだけど(巻末年表参照)、こうした作品は面白いかしらん。でも、ゾラが機械を描き続けたことは確か。
(2011 04/25)

仮想の遺伝学

今日は「仮想の遺伝学」(金森修)。メンデルによる実験と、その実験の再評価のちょうどその合間にゾラの叢書プロジェクトが挟まれるというのは出来過ぎた話。その間は遺伝学的議論が衰退していたわけではなく、様々な説が入り乱れまた進化論とも交差しながら沸騰していた時期にあたる。その中でゾラはリュカという人の著作を元に独自の「遺伝学」を造り上げる。今、大切なのはゾラの遺伝学の考えを反駁することではなく、「慈愛の原理」(クーン、歴史的科学理論をただ正否で割り切るのではなく、誤っていてもどこかに掬いとれる有意義な部分があるはず、と考える理解の仕方・・・というか、これ無しでは科学史・学説史なんて語れない・・・)でみていくこと。
この著者金森氏は科学論・科学史が専門らしい。彼によれば、現代「自然主義」という思想があるらしい。もちろんゾラ流自然主義とは異なるものだが、ゾラの考えを「自然科学の理論を、人文科学・文学にも拡張していく」という立場としてみれば、大いに関連するという。そもそも現代の「自然主義」とはいかなるものか?
(2011 04/27)

以前「テレーズ・ラカン」読んだ時にで自分が書いた、農民とかの性格に関してのステレオタイプ的表現もそういう慈愛の原理で見なくてはいけないのだろう。たぶん。

記憶のありかをめぐって

今日は朝比奈氏の「記憶のありかをめぐって」を読んだ。簡潔に「叢書」のまとめをしていて参考になる。

 未来は過去によって閉ざされてゆく。過去を持たず、消耗もせず、ひたすら流通をつづけながら前へ前へと進んでゆくモノたちのなかで、人間だけが血のなかに刻印された過去という病に取りつかれて衰弱してゆくのだ。
(p242)


そして、そのような過去からの呪縛を解くために、炎という切断と再生の手段を行う。最終巻「パスカル博士」はそのような位置づけ。でも、あらすじだけ見てるとなんだかドノソのような・・・
(2011 04/28)

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