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「パラダイムとは何か クーンの科学史革命」 野家啓一

講談社学術文庫

「現代思想の冒険者たち」シリーズの復刊。コンコ堂で購入。ちなみにコンコ堂とは玉石混淆から取られた店名らしい。

「科学」殺人事件の被告人としてクーンが呼ばれ、それを著者が弁護する、というプロットで進む。科学は「パラダイム」のあるなしで決まり、日本の明治期に輸入された「科学」はこの「パラダイムあり」の科学を最初から導入した。

クーンは先達のコイレの思想史的科学革命理論に、制度的・社会的外側からの視点を導入。19世紀中頃から起こった「専門的、職業的」科学を、そしてその後ろ立てとして登場したハーシェル(天王星のハーシェルの息子)やヒューエルの科学史、科学哲学、そして論理実証主義、これらをクーンらの新科学哲学は打破しようとした。その著書「科学革命の構造」は実は論理実証主義の統一科学学会の叢書から出たという。まさに鬼っ子。

野家氏はクーンが仙台に来た時に松島に案内したという。
(2017 02/20)


アリストテレスを人類学者の眼で読む

クーンは科学史の講義の依頼を受けて、まずアリストテレスを読んだのだが、生物学や政治学など他分野では多大な功績を残すアリストテレスの著作が、こと物理学になると、クーンでさえ何か書いてあるのかわからない文章が続く。
これはクーン自身が今自分が置かれている現代物理学舎の眼でそれを見ているからであり、気づいたクーンは今度は様々な部分の整合が一番取れるような読み方に変えてみた。するとアリストテレスの物理学の根本をなす世界観が見えてきたという。

こうした読み方は、異なる民族の風習や慣習などを読み解こうとする人類学者に、あるいは前にみたクワインの全くわからない文章に取り組む方法と共通するもの。(2017 02/21)

コペルニクスを取り上げた論文で、コペルニクスは当時としてもかなりアリストテレス、プトレマイオスの伝統に忠実であろうとしたからこそ、逆に少しの違いが大転換を引き起こしたのだ、という指摘。こういう新旧両者の境界に立つ事例をクーンは本質的緊張と呼んでいる。
(2017 02/22)

クーンとフーコー、パラダイムとルール

「パラダイムとは何か」第4章「科学革命の構造」に入る。

野家氏によると、クーンの「科学革命の構造」とフーコーの「言葉と物」とは、知の累積的漸次的進化を否定したところで共通するところがあるという。前者は自然科学、後者は人文科学。考古学的アプローチ。

いろいろあるのだけど、とりあえず1つだけ…

 彼らは具体的な科学的業績を模範例(パラダイム)として、概念や法則を自然現象に適用する手続き(ルール)を文脈的に学ぶのである。したがって、同一のパラダイムに属する科学者であっても、必ずしも同一のルールに従っているとは限らない。
(p159ー160)

事例まるごと捉えてから細部のルールを見るという。これが「通常科学」で、パラダイムが硬化し始めると新たなパラダイムを目指す一群が次々と出てくる。「科学革命」の始まりになる。
(2017 02/24)

アインシュタインとボーアとの「量子物理学論争」こそ、違うパラダイム間の科学者の間で起こる「通約不可能性」の典型例であると言える。「異常科学」時の各パラダイム間の競合は理論的に処理されるのではなく、多くの場合社会的に外的に処理される。アインシュタインよりボーアの方が論理的に正しかったわけではなく、外的経緯がそのような結果を導いたのだ、という。そうした考えをクーンはフレックの著書「科学的事実の発生と発展」(1935)の「思考集団」という概念から持ってきた、と述べている。
(2017 02/26)

ラカトシュ、ファイヤアーベント、そして科学社会学

クーンの本を読み終えた。クーンの著書を始めとした、後に「新科学哲学」の先駆的著作が出始めたのが1960年代。これらは単独では「旧科学哲学」のパラダイムの変則事象としかうつらなかったけれど、徐々に「新科学哲学」が優勢になってくる。
ウィーン学団のヘンペルは新に転回したし、クーンとほぼ同世代のラカトシュはポパーとクーンを擦り合わせるような議論を展開。一方これも同世代のファイヤアーベントは新を通り越して、科学のアナーキズムに入り込んだ。

一方、クーンの学説の社会学的側面に影響された科学社会学も、旧のマートンの理想的科学社会学から、相対的であり数学も社会学化するようなクーンを通り越すような動きを見せ、科学史、科学哲学、科学社会学の3つの分野が科学そのものから独自性を持って発展するようになった。
ただしクーン自身はこうしたファイヤアーベントや科学社会学のストロング・プログラムには批判的。「クーンはクーン主義者ではない」と言われる所以。

振り返ってみたら、ポパーやマートンの世代はナチスなどの全体主義・閉ざされた社会とガチに当たり、それとの対決で自由でかつ客観的な科学が必要となった。一方その後のクーンの世代はその自由主義のアメリカや科学が膨大な開発研究費とベトナムなどの侵出といったものとの対決が主になった。

1980年代のクーンは言語学に歩み寄った科学哲学を目指すようになった。

では最後に引用2つ。

 科学思想は、宗教思想のより完全な形態にすぎない
(p270)

これは残念ながら?クーンではなく科学社会学が寄ってたつデュルケームの言葉。全ての分野の社会に統一的理論を打ち立てようとする初期の社会学の要請と、カトリシズムから脱却する社会に向けて模索するフランスの実情が、こういった言葉を生んだのだろうけど、また後世では違う意図を持たせることになった。

 科学の発展は、真理という固定した目標へ向かう運動ではなく、現在所有している知識によって背後から突き動かされる運動なのである。
(p294)

「ダーウィン的進化論」のアナロジーでクーンが語る、科学史の見方がそこにある。
(2017 02/27)

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