見出し画像

「フォークナーの町にて」 加島祥造

みすず書房

フォークナー学会にて

加島氏は「フォークナーの町」のミシシッピ大学での学会に出席するが、その頃は既に「八月の光」「サンクチュアリ」などを訳していたのに関わらず、ほとんど喋っている言葉がわからなかった、と「告白」している。

その学会では、フォークナーの「白人優位視点」について黒人研究者ターナー教授から批判の声が上がり、終了後、加島氏は知り合いになっていたアメリカ人の院生?(白人)とそのことについて話し合う。その時取り上げられていた作品は「むなしい騒ぎ」とあるが、これは多分「響きと怒り」のことだろう。
(「響きと怒り」のこと。講談社文芸文庫と岩波文庫にあたって確認済み)
(2017 09/10)

黒人への回帰


夜にちらちら見ている「フォークナーの町にて」。前に書いたフォークナーの黒人蔑視批判のところで、加島氏は実はクゥエンティンは黒人的存在に回帰したかった、保護されたかったのではと考える。具体的にはクリスマス休暇での旅先で会った老人、そして実家の女中であるディルシーに。 
幼い頃に黒人に育てられた白人は、そうでない白人より黒人の顔などの区別が早いとか。 
(2017 09/15)

kudzu?の話


昨夜はkudzuの話。kudzuって葛のことなのだが、おそらく日本から砂防などのために輸入された葛が結構アメリカ南部で繁茂しているらしい。日本でもセイダカワダチソウ(だっけ)とか外来植物あるけど、日本とアメリカ南部って気候似てるから… 
加島氏はフォークナー集会のバスツアーで日本の葛のことについていろいろ話したら、逆にいろいろ質問されて答えられなくて気がかりになったという。 
ちなみにフォークナーの時代には、葛が入り始めてきた頃で、フォークナー南部独特語彙辞典?によると作品中に葛は使われていないという。
(2017 09/16)

汽車と裁判所


「フォークナーの町にて」を先程読み終えた。フォークナーの少年時代の汽車の想い出から「不屈の人々」の南北戦争時の汽車の描写に至るのと、町の真ん中の広場に建つ裁判所と「墓場への侵入者」「八月の光」「サンクチュアリ」。そして「墓場…」とよく似た事件の裁判が加島氏が広場にいたその時間に行われ、状況証拠だけで陪審員が有罪にしたという。 

 彼の想像力と共感力が自分の創った人物の内側から強く生きて働くからであり、その結果、彼の散文はしばしば作中人物の行動と一体化し、その人物の息遣いや心臓の鼓動を伝えるものとなる。その文体のリズムは、風による波ではなく、地震により波のように深くからうねってくる。 
(p142)

 

フォークナーは戦前は北部人に「南部の奇怪なファシストだ」と言われ、戦後は南部人に皮肉に「黒人好き」と言われた、という。 
(2017 09/17)


作者・著者ページ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?