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「私にぴったりの世界」 ナタリー・スコヴロネク

宮林寛 訳  みすず書房


ベルギー出身のユダヤ系作家。この作品は「カレンと私」、「マックス、うわべだけ見れば」に続く自伝的三部作の最終作。訳者、宮林寛(カン)氏はソレルスやドゥルーズ、歴史研究など気になる分野の翻訳多し。
(2023 04/23)

ベルギーの仕立屋

この小説もオートフィクション?…プラス社会科学的視線。

 私は店で育った。店が一家の土台だった。よその世界を想い、夢に見て、その有様を言葉にするなど、絶対にありえないことだった。父から息子へ、母から娘へと代が移っても、変わることなく服を商ってきた。その点は隣人も。親族も、友人も同じだった。元をたどればポーランドの、実態と虚構の区別すらつかなくなったユダヤ人の仕立屋という像が浮かんでくる。
(p5-6)

 この連続体が私たち一家の宗教だった。仕立屋、ミシン、ユダヤ人、失地回復、そして逃走。
(p10)


音楽家一家に生まれたダニエル・バレンボイム少年が10歳でイスラエルに移住して周りの同胞と会った時の第一声「僕はね、ユダヤ人はみんなピアニストだと思っていたんだ」を引いて、この仕立屋一家の場合もそれと同じ精神であるという。

店の世界とよその世界

続いては、デーブリーンの「ポーランド旅行」を引きながら。

 自分だけの歴史にどっぷり浸かると、他者の歴史を見失う場合がある。
(p24)

 仕事は業界関係者の強迫観念だった。
(p34)


これはどの「業界」も同じだろう。ここに浸かっていた作者は、そこから逃れる為に、一家の歴史を辿り、先達の作家との対話をし、パリの下町やアジアの下請け針子の労働条件を考える。
続いては、ジンメルの「流行の哲学」から。

 現下の風潮に合わせるという発想自体が、絆を結ぶことへの欲望を(私は君に似ているし、君は私に似ている)、そして(一部の人間を、同類ではない者を)排除することの安心感を拠りどころにしているのだ。
(p39)


店のすぐ近所にあるモーリス・マーテルランク(メーテルランク?)関連の資料を収めた美術館がある。そのよその世界を垣間見せてくれる場所を、著者は長い間知らずにいた、と回想する。

底知れぬ淵の上の均衡


カフカの「城」に寄せつつ、ユダヤ人の心性を探る。ここはまだ自分の中で読み解けていない箇所。

 烙印を押されているからこそ、流謫者は同化し、「中の人になる」という欲望を煽られたはずなのだ。ヘブライ人ではない、最初からその土地に住んでいた、星の印をつけない他者に入り交じって道を拓くことで、わたしたちは部外者の劣等感を人目にさらしていたのだ。
(p56)

 今の危うい均衡が底知れぬ淵の上に築かれたことを忘れる者は誰もいなかったが、私たちは何事もなかったかのように、過去が存在しなかったかのように、そして今の地位が脆いものであることを気にもとめなかったかのように、ただひたすら走りつづける。
(p71)


その駆動力となるのが、p10で挙げられている連続体なのだろう。

ここで、基本情報。ここまでの舞台となっているのは、ヘント(ゲント)の店。一家は第一次世界大戦後(まさに「ポーランド旅行」の頃)ポーランドを離れ、ベルギーワロン地方シャルルロワで店を構え、後にフランドル、ヘントに旗艦店をそして系列店を出店している。力強さとたまに出る気まぐれで店の売り子から「ティナ」(ティナ・ターナー)と呼ばれている母と、その調整役として支える「オクターヴ」(ゾラ「ボヌール・デ・ダム百貨店」から)こと父。店で遊ぶ子供時代の著者…その後、店で働き編集職を経て、そして37歳で小説を出版(先述)。
この本では逞しい「ティナ」こと母が、三部作の前2作ではホロコーストの間接的被害者として描かれているという。この本で宮林氏が挙げているプルーストやポルタンスキーの他、ペレックを挙げている箇所が多く(扉の言葉含む)影響を受けていると思われる。
(2023 04/28)

レイエルの店


第二部は母方の祖母レイエルの店の思い出。こちらはオクターヴとティナの店に比べると小さく控えめ。母ほかをアウシュヴィッツ(等)で失くし、その後の結婚相手マックスが出奔(それからも納入相手とか相談相手ではあったらしい)など、こうした状況が後の著者となる少女が惹かれた理由であったらしい。
そのレイエルが孫娘(である著者)に贈ったのが「ゴリオ爺さん」…何故この本なのだろう。

 レイエルは、娘二人がパリの暮らしに深入りすればするほど生活空間が狭まっていったゴリオその人である一方、今は亡き両親の思い出を守りつづけた末に、模範的な忠誠心が病的な執着へと変わった、大人になってなお理想的な娘の像を支えに生きる孤独な女性でもあった。ここに垣間見えるのは、去れば裏切り、生きれば他者を殺すことになるという思い込みである。メッセージは届いた。確かに受け取った。
(p95)


ゴリオ爺さんでもあり、その娘でもあるという両面的な存在。語り継ぐという行為は、いかに狭いと思われる自分の世界においてもその前の多くの人間の思いも伝えている。

ポルタンスキーの布の山

いろいろ読みたい本もあるので(今日も3冊仕入れたし)、後半一気読みしてしまう。

 思い出とともに浮かんできたのは、すさまじい活力に恵まれるとともに、恐ろしいまでの破壊をもたらしもする機械の心臓部に、自分がいたという確信である。機械が通った後には何も残らなかった。年齢や、役割がどうあれ、また機械仕掛けに関与した程度の大小を問わず、誰もが機械の体制に吸い寄せられたのだ。
(p113)


第二部は語り手の呼称が「私」から「少女」に変わる。それは俯瞰で見て、記憶の問題をプルーストとともにそれとは違う観点で追っている結果であると訳者あとがきにはある。

 ポルタンスキーの演出が炙り出すのは、かつて存在し、今はもう存在しなくなった何かの痕跡だ。一つの堆積から別の堆積へと巡るうちに、ポルタンスキー作品の布は古着の集積と似ても似つかないものであることが、そして布の山を巡る旅はむしろ追悼の次元に属することが見えてくる。
(p135)

ダッカのビル崩落とオートフィクション


第三部。2013年、バングラデシュ、ダッカのラナ・プラザという繊維関連産業が集まった8階建てビルが崩落し、1135名の死者とほぼ同数の負傷者が出た。違法建築でもあり、しかも事故の前日には建物にヒビが見つかったが、そのまま何も対策されなかった。この情景とポルタンスキーのインスタレーションを重ね合わせる時、もう一つの情景、ホロコーストの跡をポルタンスキーも著者も想起している。

 誰もが店という鏡に映った自分に見惚れ、渇きを癒し、活力を回復した。行きつく先は見えなかったし、見ようともしなかった。奈落の底に落ちるのを避けようとして、生を、生の過剰を、行き過ぎた生を選んだ。ルーレットで賭けをするようなものだ。その奔放な生きざまを見て、激しい不安に襲われた私の世代は、まず硬直し、それから苦笑し、やがて目を覚ましたのだった。
(p200)


著者は1973年生まれ。この世代がオートフィクションに向かっていく理由がここにはあると思う。ティナとともにサンチャ(サンチョ・パンサの女性形)である著者も買い付けに行く。パリでも取引地の重心移動、中国系業者の台頭、そしてグローバル小売チェーンの進出があった。やがて、オクターヴとティナの店(先月読んだ「モンテレッジョ」と同じように、町の一等地の立地にこだわる)も静かに幕を閉じる。
(2023 04/29)

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