見出し画像

「中世民衆の世界ー村の生活と掟」 藤木久志

岩波新書  岩波書店

船橋東武の旭屋書店で購入。
(2011 09/13) 

第1章「村掟」


中世前期・・・村内でのいろいろな事件などは、村内で(勝手に)処理され、当事者とされたものは財産を没収や追放という、かなり強引というか荒っぽい処置になっていた。中世後期になると、その没収された財産を、その当事者の子に譲ったり村で共同管理したりして、追放された者が村に戻るという事例も出て来たくらい。支配者である大名もそれを支持していたような文書が残っている。で、近世になる(江戸期)と、農民が逃げるのを防ぐため、敢えてその共同管理を禁じた事例(大阪の陣のとき)も出てくる。そんな移り変わり。 
没収された財産のうち、土地は村の協同で管理扱い、土地以外の財産は村で処分。
(2011 12/25) 

第3章 タメ口の深い意味 


何故かこの本の第1章を読んだあと、飛ばして第3章を読んでしまったのだが(深い意味なし)、その第3章では、中世(といっても戦国時代頃)の農村と領主の関係は、領主に納めたり雑役した分、なにがしかリターンや歓待が戻ってくるようなものだったらしい。少なくとも農民はただ働きはしなかった。また領内の神社に納めたものを、その後農村と領主で折半したこともあるそうな。 そういう、折半関係のことを当時は「年の実」とか言ったそうな。そのトシノミという言葉がある種変化したのが、タメという言葉。 

モースの「贈与論」の論点始め、昔は互恵的経済活動が多かったという主張に、ここでも結びつく。一方ではタメ口などの若者言葉に結びつく。シカトとかもそうだけど、最近の若者言葉?って、変に古いというか妙な由来を持っている。
(2011 12/28) 

第2章「村の惣堂」、第4章「村と村との争い」

飛ばした第2章と、それから第4章。第2章は村の惣堂の話。旅の者、牢人、それから意外に男色者(これはどっちが先か?惣堂に来たからそうなったのか?)…日本にはあんまり男色の文化?ってないような気がしてたから… 
第4章は山河野海(順番多分違う…)の村と村の争い。昔はそういうものは公のものであった。が、領主側が少しずつ囲い込み、また村でも飢饉などで隣村へ入り込み…ということで騒動が絶えなかったそうな。この本については後書きに簡潔にまとめがあるので、それも参考に。 

第5章「目安箱」と「平和な農村へ」


前者は、目安箱という地頭などの直接の領主を通り越して、大名などに直訴するシステムの成立を小田原北条氏の例など挙げて述べている第5章。そういうものを考えなければならない程、中世の村々の自立性・暴力性は高かったのであり、それを「平和な農村」にするには、江戸初期の1世紀をかけなければならなかった、というのがこの本全体の主張、らしい。
この「暴力的な」村のとげぬき?の歴史を扱っているのが、同じ著者、同じ岩波新書の「刀狩り」。次は、そっちに行くか、中世の村の具体例に迫るか。フィールドワーク(とは行かなくても、村の総堂など見て回る)などもしたいなあ。 
(2011 12/31)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?