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「魅惑の集団自殺」 アルト・パーシリンナ

篠原敏武 訳  新潮社

フィンランドの「魅惑の集団自殺」。タイトルがそのまんま過ぎるけど、自殺したい人を集めてコミュニティ作って、最終的にはポルトガルの果てまで行ってしまおう、とかなんとかいう話。
今までフィンランドって文学で考えたことなかったけど、もちろんそれはあって、図書館には他にも「処刑の丘」という、第一次世界大戦後の内戦(隣人や家族で殺し合う悲惨なものだったらしい)に取材したものもあってどちらにしようか迷った。
そちらも読んでみたい。
(2020 10/12)

自殺クラブ始まり

 大佐はじっと傷痕に見入った。彼の考えだと、レッロネンは自殺行為に際して驚くほどの決意の固さを示している。
(p39)


「自殺クラブ」(って言い方でいいのかな)の初期メンバー、同一時刻・同一の場所で自殺を試みた実業家レッロネンと大佐ケンッパイネンは、フィンランド国内の自殺を考えている人々に向けて新聞広告を出した。それに対する返信が約600通…
「酔いどれ湖」にやり取りされる無言の酒を残した瓶は、これからの進んでいく筋のなんらかの象徴となるのか。
で、さっきの文は作者パーシリンナの苦いユーモアの一例。自殺未遂が初めてだった大佐に対して、これが4回目だったレッロネン。「決意の固さ」があれば、もうとっくに…
でもそれが…
(2020 10/13)

自殺で巡るフィンランドバスツアー

 この国では、何百人という人たちが巨大な困難を抱えたまま自殺に走る。なのに、同じ時に、ああいった破産を利用するペテン師たちは、好き勝手に生きることが自分たちの権利だと見なしているのだ。
(p120)


この箇所は、自殺希望のバスツアー?グループがレッロネンの別荘を訪れていた時に、別荘を差し押さえしに来た判事補と警察長官が帰り際に交わした言葉。自殺に走る人々が「ペテン師」になっているのが皮肉だが、ペテン師も自殺希望者も実はすぐ位置を交換できるくらいにあんまり変わらない…とも、自殺しないで生きるということはペテンを使わなければできない…とも、読める。あと、この段落は会話を地の言葉で示した間接話法であるということも、判事補の言葉を一部切り出してあたかも真理であるかのように見せる、という効果をもたらしている。

第一部は作品全体の2/3くらい。フィンランド国内を出るまでが第一部という構図みたい。国内各地にいる自殺希望者をバス旅に引き込みながら北へ向かう。いろんな人々が出てきたり加わったりする。
テンサイ栽培の畑の農夫(彼は加わらない)、ボロ船を10年以上も治そうとしていた男、ミンクにサーカス芸を教えていた男、夫に家庭内暴力を振るわられていた妻(夫は警察に捕まり、感情のない息子と精神錯乱の娘だけが遺される)…間に合わなかった、つまり既に自殺してしまった妻と、それから前のヘルシンキでの自殺セミナーの夜に南イエメン大使のガレージで一酸化炭素中毒で亡くなった参加者の葬儀にも出席。「パイオニアを追悼して、後継者より」という大佐の言葉とともに。

と、自殺という要素を絡めたサスペンスというわけでもなく、自殺とは何か裏返して生とは何かと哲学的に考える小説でもなく、自殺というキーワードでフィンランドさまざまを旅してみよう、という感じのロードムービー…というより観光ツアー的な小説。フィンランドと言ってすぐ出てくる「森と湖」、「フィンランドサウナ」も登場するしね。
フィンランドは日本とともに自殺大国でもある…
(2020 10/14)

ノールカップをあとにして

 死の恐怖のその最たるものは、地球の内部から、この場合は母親の子宮からということだったが、宇宙の底知れぬ虚空に向かって止まることのできない脱出にたいして胎児が抱く恐怖だ。ノールカップでのあの興奮はこれと似た恐ろしい出来事だった。
(p220)


第一部はちょっとフィンランドを抜けてノールカップでのバスを使っての集団身投げ…だったが、それに向かって走り出した途端に十何人もの手が停止ボタンに向かった(ここ読んでいた時はなんか非常ボタンみたいなものか、と思ったけれど、そんなに非常ボタンはないから、ひょっとして路線バスのあの「次止まります」ボタン?)。

と、そこからもう少し生を伸ばそうということになり、スイスアルプスを目指すことになった…とここからが第二部。
ヨーロッパ大陸側?に渡っても珍道中は続き、ドイツでの対フーリガン戦争(というか喧嘩)、フランスアルザス地方に入ってからの若い女性メンバー逃亡(葡萄収穫祭での乱痴気騒ぎ)事件などなど。一方、フィンランド秘密警察なるものも登場し、追跡劇でも始まるのか。始まらないだろうなあ…
(2020 10/15)

かわいいフィンランド人と、はた迷惑なルート上の人々

 フィンランド人というのは強情な国民で、やり始めたことは必ずやるのだ、と大佐は断固として言った。頑固なフィンランド人に言うことをきかせようとしても無駄だ。
(p288)


この小説読んで、ドイツ・フランス・スイス・ポルトガルと旅したフィンランド強情グループに付き合わせれた諸国の人たちに同情してしまうが、一方でフィンランド強情グループにも親しみ?を持ってしまう。
でも、この作品の最後はいろいろ散らばりながら、集団自殺計画自体は行わなかったのだから。p288の文は皮肉にも矛盾を引き起こしている。

最後の引用はなんだかわからないところから。唯一ザグレス岬からバスで大西洋に落ちたトナカイ業者ウウラ・リスマンキは、何故かポルトガル漁船に助け出される。彼は二ヶ月でポルトガル語を覚えた。そこでの一文。

 それは奇蹟でもなんでもない。なぜなら、サーメ語とポルトガル語の発音は驚くほど多くの類似性を持っていたのだ。ポルトガル語というのは無教養な連中が使ったラテン語から発展したもので、一方、サーメ語というのはトナカイの鳴き声から発展したものだからだ。
(p315)


サーメ語はそうかもしれない…けど、前者はどうだろうね(笑)
というわけで、「魅惑の集団自殺」無事読み終わり…
(2020/10/16)

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