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「カレル・チャペック旅行記コレクション 北欧の旅」 カレル・チャペック

飯島周 編訳  ちくま文庫  筑摩書房

本屋象の旅で購入。
チャペックの旅行記シリーズは実は初めてかも。
(2023 05/03)

デンマークとエーレスンド

カレル・チャペック(1890-1938)、妻オルガ(1902-1968)、妻の兄カレル・シャインプフルーク(1899-1987)との三人の旅行。1936年7月。チャペック旅行記最終。同行二人にもそれぞれの本にこの旅の記録がある。

このチャペックのは(原題「北の旅」)、チャペック自身のイラスト(中には色つきのもある…この文庫ではついてないが)やオルガの詩(こちらは最初の一編のみ解説に訳してあるのみ)もついている。実はこの二人が結婚したのは前年の1935年。だからこの旅は新婚旅行でもある。

第一部はデンマーク、だけで15ページしかない…見た感じ1泊2日くらいか。

 そして実際、その場にあるすべてのものは、巨大な玩具箱から取り出され、滑らかな平野にきれいに配置されたかのように見える。さあおまえたちの物だよ、子供たち、遊びなさい。
(p27)


今日は第二部の最初「エーレスンドの対岸」を読む。チャペックによれば、スウェーデンは「花崗岩の国」らしい。

 ますます数を増すあの花崗岩-ここでは海の中に散在し、そこでは森の中にまぎれ込み、あそこでは牧場やライ麦畑の地中から忽然と顔を出す。家のように大きな迷走する巨石たち、重い玉石や水に洗われた花崗岩の石垣。
(p43-44)


これがどうやら氷河地形のモレーン(堆石)らしい。チャペックに地形学習いたかったなあ。
(2023 05/05)

スウェーデンからノルウェーへ、そしてベルゲンへ

スウェーデンからノルウェー・オスロまでと、オスロからベルゲンまでの章から二箇所ずつ。まず前者、スウェーデンからノルウェーへ。

 やがてエルヴとトンネルのかなたにノルウェーがやってくる。山と岩が、そして角のないノルウェーの牛が。
(p76-77)


チャペックが「雪国」書くとこうなるらしい。

 それで、もはやここがノルウェーだ。国境の向う側と同様な森があるが、強風のためにどこかもっと打ちのめされており、苔の代りに白っぽい地衣類が地表を覆っている。向う側と同様な湖があるが、岩場に沈み込んで、何かもっと悲しげで恐ろしげだ。
(p77)


以下、まだ向う側とノルウェーの比較は続く。この章全体引きたいくらい北国の厳しさとチャペックのユーモアが入り混じった印象的な文章。

続いて後者。オスロからベルゲンへ。

 山々の木が茂るところでは同じように民俗的芸術が人の心を楽しませる。石造は自然の仕事、木造は人間のなす技である。少なくとも、この世で物事の自然な秩序が支配していた限りでは、そのような状態だった。
(p98)


p92-93で自然(氷河)が花崗岩の岩山をどう削り取っているかの話があってのこの文章。そして、ここで過去形になっているのが気になる。
更に進み、最も高いところ、ひと目見た限りでは人の住む気配はほとんどない。でもそれでも住んでいる人はいる。

 ここには、もはや生活はない。しかしここかしこにまだ生き延びている人々がいる。人間はあの極地の、地を這う柳のように頑強なのだ。それらの柳が銀のカーペットをあたり一面に敷いていて、ここには草さえ生えることができない。白樺、柳、地衣類、そして人間。この世でこれ以上忍耐強いものはあるまい。
(p100-101)


このリストアップの中に人間が入っているのが感動的でもあるし、自然にとっては脅威でもある。それらを遠景に俯瞰してていく。
(2023 05/07)

トロルたちとボーイスカウトたち

更に北、北極圏へ。船が貨客混在となり、チャペックと船長のやりとりが楽しい。またそれを夫婦間の夜の会話に持ってくるところも。

 何千年も昔の森の中へ散歩に行こう。何を書いたらいいだろう? そう、こんな現実を、主に無限について、この数千年について、北欧のおとぎ話の妖精トロルたちの間のニュースについて、だ。どこかでいくつかの民族が武装して、互いに射ち合いをしているそうだが、それは本当ではあるまい。
(p146)


1936年、第二次世界大戦の前哨戦はいろいろあったと思うけれど、ここには届かない。チャペックはもちろん欧州のきな臭さを感じてはいるが、ここはあえてこう書くことで、人間本来の生き方から外れた歴史を揶揄しているのだろう。そして、このノルウェー、北極海もやがて戦場になる(その頃にはもうチャペックはいないが…)。

 そしてノルウェーのボーイスカウトの一団、長い足をした悪たれどもで、船首でキャンプ騒ぎをしている。しかし、これらの人たちは昨日より数が減っている。多分途中で甲板から落ちたのだろう。ロフォーテンではもはや連中はすべて失せていた。
(p159-162 160-161はチャペックのイラスト)


こういうのをさらりと言えるのがチャペックなのだなあ、ソウイウニンゲンニジブンモナリタイ…
(2023 05/09)

そして北極圏へ

「ロフォーテン」…島が複数あるロフォーテン諸島であるのに、なぜか単数形で「ロフォーテン島」と呼ばれる。景観は「水(海)から湧いて森の中の木ように生長する」花崗岩が作り出す。

 この地球の上ではどこでも、正午ごろの時刻には、世界は平凡で平静で、やや面白味を欠くように見える。そのわけは、太陽が空高くにあり、短い影しか投げかけないからだろう。それは物にその真の形をけっして与えない。しかしここ北国では、事態は異なる。ここでは太陽が常に地平線上の低いところにあるので、わが国で日が傾く頃のように、物の影は長く豊かである。
(p175)

 実際、そこには両側に添って岩の壁があるが、それは別に不思議ではない。もっと恐しいのは、どれが上でどれが下か、確信を失うことだ-それほどそこは音もなく底なしに鏡のようである。
(p177)


この風景は「あの世」でもあるに違いない、とチャペックは言う。

 あの世では、いろいろな物も無限と非現実の海に漂っているのだろう。
(p178)


この辺読んでいると、ここがクライマックスではないか、との思いが毎回してくる。そしてチャペック自身の哲学が滲み出ている箇所でもある。
(2023 05/12)

 われわれの船は、現実のホーコン・アダルステイン号ではなく、影の船で、声もなく沈黙の海の上を漂っている。そして零時。人類の惑星では真夜中と呼ぶ時刻だが、この別世界では夜もなければ時間もない。わたしは真夜中の虹が岸にかかっているのを見た。金色のやや温い日没がひんやりする朝の薄明りの中で海に反映し、わたしは夕焼と朝焼が一緒になって、揺れ動く水の輝きの中に流れるのを見た。
(p201)


美し過ぎ…
(2023 05/13)

空白と戦争の現実

 ここでは時間が空白になる。それがすべてだ。ここでは時間が流れるのではなく、海のように岸辺なく広がるのである。
(p235)


ここ読んで、ハンス・ヘニー・ヤーンの「岸辺なき流れ」思い出した(って、読んでないけど(上下各6000円))。まさかここから取られてはいないよね。

ノルウェー(ナルヴィク)からスウェーデン(キルナ)に入り、スウェーデンのツンドラの木々、森で茸を採りに入って迷う空想(イラストもあり…ちなみにナルヴィクでも何故か本人が消えたという小咄があり、これは何の意味があるのかな)、湖に佇む館、スウェーデンの教会の様々な屋根など描いて(文字通り)、北欧を後にする。

 灰色に冷たく、明け方の光が射しはじめる。それはいささか、湿っぽい朝の新聞を開いて、この世界に何が起こったのか記事を目で探すかのようだ。ここしばらく新聞を読まなかった。
(p296)


最後の一文は脚色かもしれない。
それはともかく、こうしてチャペックが見つけた記事が、スペインフランコ政権独裁のものだった。
とりあえず、駆け足でこの本読み終えたけれど、他の旅行記もぜひ読みたい。
(2023 05/14)

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