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「完全言語の探求」 ウンベルト・エーコ

上村忠男・廣石正和 訳  平凡社ライブラリー  平凡社

読みかけの棚から
読みかけポイント:第1章だけ

目次


緒言 ジャック・ルゴフ
日本語版によせて ジャック・ルゴフ



第一章 アダムから「言語の混乱」へ
第二章 カバラーの汎記号論
第三章 ダンテの完全言語
第四章 ライムンドゥス・ルルスの「大いなる術」
第五章 単一起源仮説と複数の祖語
第六章 近代文化におけるカバラー主義とルルス主義
第七章 像からなる完全言語
第八章 魔術的言語
第九章 ポリグラフィー
第十章 アプリオリな哲学的言語
第十一章 ジョージ・ダルガーノ
第十二章 ジョン・ウィルキンズ
第十三章 フランシス・ロドウィック
第十四章 ライプニッツから『百科全書』へ
第十五章 啓蒙思想から今日にいたるまでの哲学的言語
第十六章 国際的補助言語
第十七章 結論

訳者あとがき
平凡社ライブラリー版 訳者あとがき

文献一覧
索引

創世記第10章


第一章のさわり
聖書創世記、バベルの塔で傲慢な人間を罰するために、彼らの言葉を互いに通じなくさせる、という有名な記述がある。そのことが書いてある創世記第11章、その一つ前の第10章ノアの方舟、洪水が引いたあと、ノアの子孫が各地に散らばった箇所に

 これがヤフェトの子孫であり、それぞれ、その国にあって、その国語にしたがい、その民族にあって、その種族ごとに住んだ
(p34)


とあり、他のハムやセムの子孫についてもほぼ同じ言葉で書いてあるという。「国語」という言葉が若干気になるけれど、この時点で「その国語」とあるのならば、ノア以前にも分化していた可能性をエーコは指摘する。そして、バベルの塔での言語分化混乱に対置して、この第10章の記述を考えるものがこれからたどる歴史にしばしば登場し、「多かれ少なかれ破壊的な帰結がもたらされるであろう」(p35)とある。さすがに学者兼作家エーコ、巧い…
(気になり過ぎ…)
(2021 07/11)

多言語と単一言語のヨーロッパ

昨夜寝る前に読んだ分。

 ヨーロッパは、もろもろの俗語の誕生とともにはじまる。そして、それらの俗語がなだれをうって侵入してくることにたいする反応として、それもしばしば警戒心にみちた反応として、ヨーロッパの批判的文化ははじまるのであって、それは諸言語の断片化のドラマに立ち向かい、自分が多言語的文明を運命として負っていることについての省察を開始する。
(p47)


上記の「俗語」とは、フランス語とかイタリア語とかのこと…だからエーコ的には、ローマ帝国からヨーロッパ中世初期は「ヨーロッパではない」ということになる。
その次の節では「今実践している理論は、ほぼ完全言語の探究(それ自体は失敗の連続)の「副産物」である」と言っている。そこまでは言い過ぎではないのかな、と今は思う…
これからどうなっていくのか。
(2021 07/12)

シンクレティズムとイェルムスレウ

第1章読み終わり。

 (ローマ帝国の)どの民族も自分自身の神々を保持していた。そして、その神々がローマのパンテオンに迎え入れられたさいにも、それらの神があいいれないものであるのか、同名意義のものであるのか、別名でも同義のものであるのかについては気にとめられなかった。あらゆる宗教を(哲学や知識についてと同様に)平準化してしまうこの寛容を定義する用語がある。シンクレティズムというのがそれである。
(p39)


完全言語とはちょっと外れる、この内容自体の興味があるから…と言っても、関係なくもないか…
言語に置き換えると、多言語ではあるけれど、とりあえず気にしないで見て見ぬ振りしよう…みたいな感じ?違う?
この章最後の節、自然言語の記号論的モデル。イェルムスレウのモデルにこの本全体通して従うという。語彙論的な第一次文節では表現と内容との相関関係があるが、音素的な第二次文節までいくとその相関関係はなくなる。この二重文節の原理にエーコは注意を促す。これから述べていく「哲学的言語」?は多くはこの原理を排除しようとしている、という。

 イェルムスレウの用語を用いるならば、言語は複葉的であるが、相似的ではない。表現の形式は内容の形式とはちがったふうに構造化されている。
(p52)


(2021 07/22)

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