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「転回期の政治」 宮沢俊義

岩波文庫  岩波書店


Ⅰ 転回期の政治形態
 第1章 民主政より独裁政へ
 第2章 独裁的政治形態の本質
 第3章 独裁政理論の民主的扮装
 第4章 議会制のたそがれ
 第5章 議会制の凋落
Ⅱ 転回期の政治因子
 第1章 官僚の台頭
 第2章 政党国家から政党独裁政へ
 第3章 政府と政党の関係
 第4章 輿論と大衆
Ⅲ 転回期の政治改革問題
 第1章 行政機構の改革
 第2章 貴族院の改革(その一)
 第3章 貴族院の改革(その二)
 第4章 比例代表制
Ⅳ 転回期のヨーロッパ政治
 第1章 フランスにおける国家改革論
 第2章 国民革命とドイツ憲法
 第3章 ドイツの「自由の憲法」

1936年刊行の「転回期の政治」の文庫化(仮名遣い等改訂)

  ところが人間とは弱いもので、こうありたいと思いつめているうちに知らず知らずこうあると思いこんでしまうことがよくある。そしてこれを「こうありたい」という言葉で表白せずに「こうある」という言葉で表白する。
(p11)


解説後半に主にハンガリーの新憲法と政策を見ながら、現時点でこの本を文庫で問う意味、現在のあらゆる国で「転回期」に来ていることを示唆。もちろん日本も例外ではないのは周知の通り。
(2020  01/13)

独裁制と民主制


今日は第1部第2章まで。
独裁制と民主制の違いを「タブー的政治観」「統治者と非統治者の間の自同性」で説明する。独裁制では統治者の信用の是非は「タブー」であり信じるしかなく、統治者と非統治者が同一視されていない。民主制はその逆。実際の政治形態はその二つの極の線上のどこかに位置する。独裁制が「独り」かどうかは問題ではない。西洋近代絶対王政や植民地支配やプロレタリア独裁もこの独裁制の性格を持つ。この意味で独裁制より「絶対制」という方が合っているという。

 だが、自由でない科学とは矛盾である。科学はひとつの方法だ。絶対不変の内容がそこに与えられているわけではない。内容はここで無限の変化・発展の可能性をもっていなくてはならぬ。科学が自由でなくてはならぬというのはこの意味においてである。
(p30)


こうでない科学…御用科学とか実利科学とか…は真の科学ではない、独裁制の科学である、という。全き自由な科学というのもまた極論の不可能なものではあるだろうけど。
(2020 06/15)

自由制と民主政

 従来民主政は自由主義と結合したが、この結合は決して本質的なものではない。両者は単に歴史的事由にもとづいてそれらの共通の敵たる絶対専制政に対抗するためにのみ結合したにすぎない。議会政・権力分立制・法治国。これらは原則として自由主義の児である。そして自由主義はその本質において個人主義的であって社会的でなく、それ自身なんらの国家・政治形式ではない。従ってそれは民主政と妥協し、結合することによってひとつの国家・政治形式となったが、やがてそれはその民主政自体に対して破壊的に作用する。自由主義は、その極度の相対主義的世界観をもって民主政の政治的・形而上学的基礎を破壊しはじめる。ここに自由主義的民主政の「危機」が生れる。将来の国家は自由主義の否定であろう。だが、民主政は否定せられぬ。
(p71-72)


長い引用になったけど、ナチス・ドイツ下の学者見解はこのようなものであったらしい。民主政を権威主義国家と結びつける、自由主義は違うものとして排除する。
(2020 06/17)

多数決と多数者の意見

 だから、多数決制を採用するとすれば、多数者の意見を作り上げることが必要である。その作り上げを可能ならしめるものが「討議」である。
(p92)
 異る政治制度が現実に異る政治効果をもたらすことは明白な事実だからである。
(p105)


多数者の意見を練り上げる…か、多数決とは決して多数者の論理ではない、そこに少数者の意見を吸い上げることができるわけか…
「転回期の政治」第一部「転回期の政治形態」読み終え。「転回期」のみならず、政治学の入門教科書としても有用なのではと思う。
(2020 06/21)

断片的政党と独裁制

 それ(輿論)はなんらかの方法で構成せられなくてはならない。「構成する」というのが妥当でないとすれば、それはなんらかの方法で見出されなくてはならない。ところで政党は一般公民をある意味において組織づけることによって輿論を構成する。あるいは見出すひとつの方法たる役目を演じる。
(p130)


政党はそのような社会学的役割があると同時に、議員一人一人の自由と独立を前提とする議会制のイデオロギーと反発し合うという面を持つ。そのテーマがここから書き出される。
(2020 06/22)

 しかるに自由競争主義にもとづく私的資本主義機構が次第に国家資本主義機構によって代られるようになると、国家は従来のように主として立法する国家であることをやめて主として行政する国家となり、経済生活に強く干与するようになる。こうなると何より強力な、そして安定した政府が要請せられる。
(p151)


「断片的政党」を整理して政党の独裁や政党規制を目指した国は「転回期」のこの時期にはかなり多く、ロシア=ソ連の共産党や、ナチスドイツが著名だけれど、その周囲にも、各民族の政党の対立を嫌って王政敷いたユーゴスラビア(王は南仏で暗殺される)や、ドイツの周囲(オーストリアやチェコスロバキア)があげられる。前に借りた「小独裁者たち」(アントニー・ポロンスキ著 法政大学出版局)と合わせて読みたい。

続いての日本の政党と政府の関係史では、対立→提携→融合という流れ。今晩のところは提携時代の途中まで。対立と提携の境は日清戦争終結が目安。
(2020 06/23)

因子と改革


提携と融合の境は大正末期くらい。この時期から最大派閥の政党の党首が首相になる慣行が成立。ただし、五・一五事件で犬養首相が暗殺されてから提携に戻ったのか?というところで、この章の記述は終わっている。

 言論の自由が全く否定せられてしまったとすれば、政治的意味においては大衆というものが消滅してしまったとも考えることができるだろう。
 多少なりとも大衆の自主的な態度によって支持される意見でなければ、輿論の名をもって呼ぶのは不適当であろう
(p208)


この宮沢氏が最も強調しているのは、どの記述でも「言論の自由」というもの。
第3部政治問題編に入って行政改革の章。強力政府を作るのはいいが、「暴力政府」になってはいけない、三権分立は弱められるけれど、牽制もすべき…実際の政治は…
(2020 06/25)

貴族院改革についての章。「改革、改革」って言って何の為の改革なのかわからず叫んでる、という指摘は今も有効。
今現在は貴族院そのものが存在しないのでなんだけれど、貴族院は選挙無しのだいたいが世襲制。華族、勅選議員(政府が決めるもの)、多額納税者?とかいろいろ。改革は主に組織的な改革。世襲制廃止とか、選挙ある場合の方法(この時点では連記制)など。
比例代表制は(この時点では)なかなか浸透してないけど、宮沢氏は小選挙区制との併用などで活用できると考えているみたい。
残すは転回期のヨーロッパ政治のとこのみ。
(2020 06/26)

土曜日(06/27)読了。

「転回期の政治」フランスとドイツ


フランス編では、改革の流産。下院の解散に上院の同意が必要(ということで事実上不可)、大統領の権限強化、女性参政権…と、流動的な政治状況の中で行政権の強化を狙ったものだが、実現しなかった。これは一つにはナポレオンのような個人に権限持たせることへの不信感がある、とのことだが、単純に「フランスではナポレオンを誇りにしてるのでは」とか思っていたけどそうでもないみたい。最後の女性参政権…ってのは、正直この時期(大戦間)までフランスでもなかったのか、と意外だったのだけれど、政策立案者が狙っていたのは保守候補に有利になるから、という理由だったみたい。それだけ左派(組合)の力が強いんだな。今は下院の解散とかどうなっているのか。

ドイツ編は言うまでもなく、ヒトラーの政権掌握の経緯。この時代、ドイツやイタリア以外でも、英米仏でも権威主義的な強力行政権が形成された可能性があり、一部は実施されたというのは認識しておきたい。ドイツでは歴史的に地方(ラント)の力が強く、中央政府(ライヒ)は比較的弱かった。そのバランスをもっと中央強化しようということは前から言われていたことなのだけれど、それを強権で実施したのが国家社会主義労働者党(だっけ?)。ラントの議会や代官の任命権をライヒにつけ、最後にはナチ党以外の政党を認めないというところまで。
第3章の人種政策ではユダヤ人の扱いについて細かな規定。祖父母のうち一人すなわち1/4ユダヤ人の場合は、「純粋な」ドイツ人(他西洋人)に結婚させてユダヤ人の血を抹消させていく。3/4以上の場合はまあ収容所ってことになってしまうのだろう。1/2の場合が一番扱いが困る…と言っても、「血」なんて計測も調査も不可能だから実際は宗教で決まっていく。そういう「人種」という概念の非科学性はもうこの時代の宮沢氏にも認識されていたのに、なぜ…

解説では、前にも書いた通り、ハンガリーのオルバン政権の強権的憲法「改正」、議会民主主義は借り物でハンガリー民族には合わないという動きが追いかけられる。
(2020 06/28)

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