「生き残った帝国ビザンチン」 井上浩一
講談社学術文庫 講談社
この著者井上浩一氏による、ビザンチン帝国皇帝の娘による皇帝の記録?というのが、白水社から出ていた。「歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品」。
コンスタンティヌスの改宗
前に少しだけ読んだ「生き残った帝国ビザンティン」だが、330年のコンスタンティヌスの遷都、それからキリスト教への改宗のところを今朝は読んだ。
遷都の方は、後に伝説となる「新しいローマ」としてのコンスタンティノープルとしては遷都当時は想定されておらず、皇帝が定住するようになった4世紀末のテシオドス1世から、5世紀の城壁の大建築を行ったテシオドス2世辺りで徐々にイメージと街が形成されていった、というのがここでの論点。
それから、キリスト教への改宗については、キリスト教の教義が支配者に都合がよいから、という理由付けになっている。そこから、ヒューマニズムと宗教の一般論へと進んでいく。宗教はヒューマニズム(人間中心主義?)への批判として成立した…でも、宗教は権威主義になりやすい…こう考えていくと、人間社会にとって宗教と政治とは同じ機能を持つものなのではないか?という気もしてくる。
続いてユスティアヌスの時代へ。ユスティアヌスはもともと農民の子だったそう…ビザンティンが柔軟だ、というより、この時代が混沌としていたから、という気も…
(2011 06/14)
ユスティアヌスからヘラクレイトスへ
今日はユスティアヌスのニカの乱から、ヘラクレイトスの栄光と挫折?
ニカの乱は市民達が「パンとサーカス」(食糧と息抜きを帝国から与えられる)を要求した古代末期最後の事件。これを群衆が集まっていた競技場襲撃という形で抑え込んだユスティアヌスは、そこから旧ローマ帝国級の版図を手に入れる。
ところがところが、その後すぐにペルシャ軍が来襲し、存亡の危機に。その時期にカルタゴからやってきたのがヘラクレイトス。彼は(将軍に戦を任せていたユスティアヌスと違って)戦場に赴き、なんとかペルシャ軍を破り、占領されていたシリア・エジプトを取り戻した。凱旋した時は彼の最良の日々。
というのは、彼がペルシャと戦争していたその時期に誕生したイスラム勢力が、今度は襲ってきたから。今度は大敗し、そのせいで彼は恐水症となり、ボスフォラス海峡を船で渡る時も船に木を入れて周りを隠してようやく渡れたくらい。彼の死後も、近親相姦での子を含んだ相続騒動を起こして、帝国は衰退へ向かう。
ユスティアヌスからヘラクレイトスへの時代が、古代から中世への移行時期と井上氏は考えているようだ。衰退した帝国を立て直したのは、レオン3世とその息子の時代…だけど、その話はまた次回…
(2011 06/16)
レオン3世とその息子の時代…は、また偶像禁止令の時代でもある。これって、イスラムの合理的神学(井筒氏の本や、イスラム異端史など参照)と同時代なのかな?
ビザンティン三賢帝時代…
第4章の黄金期のところ。ニコフォロス、ヨハネス、バシレイオス(名前少し違うかも?)の時代は、真に中世のビザンティン帝国の黄金期。周りのイスラム諸国や西欧諸国が比較的に落ち込んでいた時期でもあって、9、10世紀頃は、できたばかりの神聖ローマ帝国オットー大帝の使節が絹織物の土産に喜び(でも取り上げられたりしたり)、ロシアウラディミール公がギリシャ正教を取り入れたり…でもこの三人の皇帝はどっちかというと軍人的、宗教家的…
とにかく、そんな皇帝に会おうとすれば、機械仕掛けにせりあがる皇帝の椅子をはるかに仰ぎ見ることになるわけで…井上氏が直接民主制の名残を残す古代から、絶対権力の中世へと移行したという指摘もよくわかる。
この時代の遺物があまり残っていないのが残念…
(2011 06/18)
マンツィケルトの戦いとアレクシオスの時代
第5章。マンツィケルトの戦いは東方から来たセルジュク・トルコとの戦い…で、圧倒的兵力差にも関わらず、皇帝は捕虜となってしまう。その原因解説から始めて、それらを立て直したアレクシオスに話を移す。帝国の危機はセルジュク・トルコとかノルマン人とかの外敵にあるのではなく、この時代の「国債」とされる官位売買、地方有力貴族の台頭と反乱、それを招いた農民の貧富の差拡大など。アレクシオスは皇帝専制から融和・連合の方に変える。
でも彼の孫マヌエルはまたユスティアヌスを規範としてイタリア征服戦争など起こしてしまう。
なぜ、ビザンティン帝国には危機の時に建て直し現実に適応させる有能な皇帝が現れるのか、そしてまたその後で無謀とも言える征服戦争をする皇帝が現れるのか…それはこの本のタイトルが指し示している中心テーマであろうだけに、も少し考えてみる必要があるだろう。
(2011 06/21)
マヌエル2世の切ない日々…
第6章。一旦十字軍のラテン帝国にコンスタンティノープルを奪われたが、亡命政権のニケイア帝国が農畜産業中心に国作りして持ち直し、ふと通りがかって見てみれば誰もいないから戻っちゃえ…とできたのがパラゴレイオス朝。できてはみたものの、以前の帝国の面影は既になく、イタリア諸都市とオスマン朝に挟まれた小国でしかなかった。そんな中取り上げられているのがマヌエル2世。オスマン朝に臣従を誓ったり、フランスやイングランドまでわざわざ自分自身が出かけて救援を要請したり…ある歴史家はこの時代に生まれなかったらもっと偉大な皇帝になっていただろう…と語っているとか。
あと、この時代は先にふれたマヌエル2世も含めて文人や芸術家が結構でてパラゴレイオスルネサンスとも言われているらしい。イタリアルネサンスにも影響を与えた…とか。
12世紀ルネサンスやイタリアルネサンスが西欧の中世の終わりだとするならば、パラゴレイオスルネサンスはビザンティン帝国の終わり…
(2011 06/22)
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