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「知の歴史学」 饗庭孝男

新潮社

空間的あるいは非連続的

今日は「知の歴史学」を読む。まださっぱりどんなベクトルの本かわかっていないが、ヨーロッパでは歴史が可視的に重層的に見える。それに対し日本では空間的に歴史を感じる…空間的というのはなんだかわからないけど、非連続的と言った方がいいのかな。これからアナール派の方へ話が進む、と思うけど…
(2012 11/08)

空間と時間、古代神と仏教


「知の歴史学」第2章、著者にとっては、古代ー円環ー空間であり、中世以降ー垂直ー時間ということらしい。なんか図式的すぎる気も今はするが…
その境目は日本ではどこか?著者は折口の「死者の書」が描いている記紀編纂期(7世紀後半?)を想定しているようだ。
(2012 11/09)

免疫学を応用した言語の発生論


いろいろあったけど、バシュラール→フーコーやレヴィ=ストロースの構造主義というものは通時性ではなく共時性、連続ではなく非連続、野生の思考がなんらかの変容を遂げたのが現社会であるということ。
それから免疫学者多田氏の言語の発生(それから社会システムも)は免疫→他者の取り込みやDNA複製→突然変異という動きと全く同じパターンであるという「試論」が面白かった。
・・・ここ(第3章)までが基礎編という構成みたい。
(2012 11/11)

モンタイユーの羊飼と量子力学


今は「知の歴史学」を読んでいるのですが、雑誌連載をまとめたという経緯もあってか、いろいろな本を引用して、それに著者個人の思い出付け加えている…ような気もしてくる。引用している本自体は面白いので、新たな文献紹介にもなるかな…という感じで読んでいる。

例えば「モンタイユー」。中世ピレネー山中の農村をカタリ派を告発する側の人物の書いたものから復元しようとするこの本。前にどっかの図書館で見て気になっていた…
そこで詳細に書かれている一つの例が羊飼。羊飼はピレネーの端から端まで移動しながら、ついでに異端思想や異端審問から逃れる人も連れてくる。また彼の仲間にはムスリムもいたみたい…そんな彼も「モンタイユー」の原史料を書いた人物の側に捕らえられてしまうのだが…

ということで、他にもたぶん小さな村のいろいろを掬い上げているこの本、この異端審問が原因の一つとなって、村は変容(崩壊?)していく。あたかも、観察用に当てた光の為に状態が変わってしまう量子雲のように…
見る(観察、研究)ということも、一つの権力なんのだろう。
(2012 11/13)

「知の歴史学」第5章


やっとこの本の半分くらい。12世紀くらいから、煉獄とブルジョアと聖母マリア信仰が表に出てくる。初期キリスト教の厳しさから、世俗と協調しまた取り込みつつ内面化する…こうやって考えてみると、その後の近代史「プロ倫」の逆説も実は社会史的には全くの正説だったりするのかも。経済活動を消極的認可から積極的肯定へと変換する動き。
この部分はルゴフに多くを負っていると思うが、別の社会人類学者(誰?)の二元論と三元論の話も興味が湧く。
(2012 11/14)

堺と思い出


「知の歴史学」6章。かなーり前に堺をちょっとだけぶらぶらしたことがあるのだが、歴史的なものは何も印象残っていない。日本最古の灯台とか知らなかった…でも、なんにもないのは秀吉辺りが堀などを埋めたりして解体を進めたなどの為と知って、ちょっと納得。
(2012 11/15)

演劇空間?


「知の歴史学」、今日は第10章。
古代日本東国にあった?歌垣と西アフリカ(ターナーの研究による)の無礼講大会?とを比べている。こういうのをみると、語り部へそして物語へという変化につながるのかなあ、なんて考えてしまう。対比に戻ると、前者は乱交まで至り、後者はそこまで行かない制御有りのシステムだったという…ってことは古代日本(万葉集のちょっと前くらい?)に東国にいた人々というのは乱交してたんですね。価値判断は抜きにして…
あと、古代の人の自然の分類がやがて自分達の分類となり近親相姦タブーにつながる…とかいう付近の話はもうちょっと突っ込みたい…変な二分法と民衆幻想に行きつく前に…
(2012 11/17)

「知の歴史学」の「知」とは


「知の歴史学」を読み終え。ボルネオの酒の作り方と全く同じな葬制とか興味深いなあ。で、最後に、タイトルにある「知」とは何なのかと解説見れば、狭義の歴史学だけでなく横断的に様々な分野から歴史を構成していくことが「知」なのだそう。
(2012 11/18)

おまけ


フランスロマネスク教会の検索してみたら、この饗庭氏に結構フランスロマネスクの著作多いらしい。なんでもポー(フランス南西部の街)で出会ったのが最初らしい。
「石と光の思想」など。
(2020 03/22)

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