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「ハルムスの世界」 ダニイル・ハルムス

増本浩子 ヴァレリー・グレチュコ 訳  白水Uブックス  白水社


青いノート No.10

以前の版に「アンコール、ハルムス」(新訳10編)加えて復刊。
昨夜冒頭の方から読んでみる。

 青いノート No.10
赤毛の男がいた。その男には眼もなかったし、耳もなかった。髪の毛もなかった。だから、仮に赤毛と呼ばれているだけだった。
その男は話すこともできなかった。と言うのも、口がなかったからだ。その男には鼻もなかった。
それどころか、腕もなかったし、脚もなかった。それに腹もなかったし、背中もなかったし、内臓もなかった。その男には何もなかったのだ! だから、誰の話をしているのか、よくわからない。
もうこの男の話をするのはやめた方がよさそうだ。
(p13)


冒頭からかなり不条理を詰め込んだ「ハルムスの世界」老婆が次々落ちたり、数字の並びが7が先か8が先かわからなくなったり、プーシキンとゴーゴリがお互いにつまずき合ったり…でも不条理と言っても、共通するのはカフカというよりチャペックの方という気がする。今のところ。
(2023 08/07)

「マカーロフとペーテルセン N o3」、「リンチ」、「出会い」

p258からのコラムでは、コムナルカについて書いてある。「現代ロシア文学入門」のキーワード解説でも出てきた、住宅難の為の共同生活部屋…まだここの短編は読んでないけれど…
昨夜読んだのは、「マカーロフとペーテルセン N o3」、「リンチ」、「出会い」の3編。

 「人間はしだいに形を失い、玉になる。そして、玉になると人間はその欲望をすべて失う」
(p49)


なんか深そうでそうでもないのかもしれない言葉だけど、これをマカーロフが読んでいる間に、舞台の裏でペーテルセンが玉になっている…
次の「リンチ」は状況の連続連鎖が暴力的に起こっていく。この辺までは頷きながら読んでいけるのだが…

 あるときある人が仕事に出かけて、その途中でもうひとりの人に出会った。その人はポーランド風のパンをひとつ買って家に帰るところだった。
 結局、それだけのことだ。
(p51 「出会い」)


(これで全文)…となると、?という感じ。何が…
でもハルムスだからいいか、別に…
(2023 08/17)

「最近、店で売られているもの」、「夢が人間をからかう」

今日は「夢が人間をからかう」までの3編。
相変わらずのナンセンス短編ぶりだが、よく考えると、人を殺す短編が結構多い。今日のうち2編はそれだし、「夢が人間をからかう」は多分狂気に走ってしまう…
「最近、店で売られているもの」なんて、きゅうりで殴って人を殺しているのに、興味あるのは殺人でなくてきゅうり(笑)。
(2023 08/27)

「不条理文学の先駆者ダニイル・ハルムス」

「出来事」(ケース)が終わって、「不条理文学の先駆者ダニイル・ハルムス」(コラム、昨夜分)
ダニイル・ハルムス(本名ダニイル・イヴァノヴィチ・ユヴァチョフ…こう書かれると俄然ロシアっぽい)
(1905-1941)
ハルムスの作品は不条理に満ちているが、それはこの当時スターリン時代のソ連の日常自体が不条理だったからにほかならない。

 一九三七年、ハルムスは子ども向けの雑誌に、ある日家から出ていったきり、何の手がかりも残さず忽然と姿を消してしまった男の詩を書いた。この詩のせいで、どんな出版社ももうハルムスには手をつけようとしなくなってしまった。実際に何百万もの人々が次々と姿を消していく国にあっては、この他愛もない子ども向けの詩も、政治的な当てこすりにしか見えなかった。
(p93-94)


そしてこの詩の男のように、またハルムスも姿を消す。その直後、ハルムス夫人が彼の友人に原稿を丸ごと渡して保管してもらったおかげで、今こうして読むことができるという。
(2023 09/28)

プーシキンと伏線未回収文学

まずコラムのプーシキンのところ。ロシア人にとってはプーシキンは特別な存在には間違いないが、スターリン時代には、極端なプーシキン崇拝が行われ、ハルムスはそれを横目で見ながら、こういう斜めからのプーシキン像を描いていたわけだ。
続いて、次のカラスとキツネの話。この話に限らないけれど、伏線の全くの未回収ぶり。カラスが4本足か5本足かとカラスはなぜコーヒーを買ったのか、カラスとキツネの会話も噛み合わない…不条理文学として定番?のカフカは、何かブラックボックスあっての不条理な結果、条理あっての不条理という気がするが、ハルムスの場合は、条理やブラックボックスすら存在しない。だから、不条理文学というより、伏線未回収文学と言った方がよさそうだ…そして、現実の世界もおそらくはほとんどの伏線が未回収のまま。
(2023 10/25)

「現象と存在について」、〈あるエンジニアが…〉

(昨日読んだ分)
「現象と存在について」という二つの断片がお気に入り。特に1番目。終わりから始まりに戻ってしまう何かの円筒絵みたいな。

 ひょっとしたら、何も存在していないのかもしれない。存在しているのは区別だけなのかもしれない。あるいはひょっとしたら区別もないのかもしれない。むずかしい問題だ。
(p119)


自分で言っておいて他人事みたいに「問題」を投げ捨てていく…
次の〈あるエンジニアが…〉はペテルブルクに貫通する壁を建設する話。この次のコラムによると、恐ろしくなるほどにベルリンの壁建設と同じ精神状況なのだという。そして、それはプラトーノフの「土台穴」においても描かれている、という。ユートピアを作るため、しかし誰も何のためにかはわからない…まま、人々の生活は悲惨なものになっていく。中国では「四書」の大躍進政策がまさにそれ。
(2023 11/01)

門番と、〈ひとりの男が干しエンドウばかり食べているのに飽きて…〉、〈みんなお金が好きだ〉

コラムの門番のところ。アパートの門番はスターリン管理体制下では、建物の出入りをずっと監視している役割。ハルムス作品ではこれまた頻出。そして、前も見たようにハルムス自身が門番(管理人?)に呼ばれて、そして消えてしまった…
それなら、こういうのはどうだろう?

 彼らはきっと振り向いて、彼の方を見るだろう。ひたすらまっすぐ歩いていた男が急にくるりと向きを変えて、もと来た道を戻ろうとするのだから。通行人というものは、そういう人のことをじっと見るものなのだ。
(p150-151)


〈ひとりの男が干しエンドウばかり食べているのに飽きて…〉から。通行人もまた各々が監視人、なのだろう、こういう世界では。
最後に〈みんなお金が好きだ〉より。

 暑いときにはお金を涼しい地下室に運ぶ。厳しい寒さの冬にはペチカの火の中に投げ込む。
(p153)


投げ込んではいかんだろう(笑)。
(2023 11/14)

「朝」、「騎士」、「邪魔」、コムナルカの2編

「朝」は珍しく?ハルムスの日常を、逆に「騎士」はいかにもロシア・ソ連の世界を、それぞれコンパクトに伝える。

 「私が思うに、人間は目を閉じたまま、まばたきをし続けるものだ。眠っている人だけがまばたきをしない」
(p161)


(2023 11/15)

この後もちびちび夜読んで昨日(日曜日)読み終わり。
「邪魔」という短篇は1930年代の逮捕劇のようでもあるし、誰もが逃れられない死そのもののようでもある。
ハルムスの妻マリーナ・マリッチの居所は、1980年代にハルムスが解禁になって知られると探し始められ、結局再婚した夫とともにベネズエラに移住していた。
「ムィシンの勝利」と「こんなふうに隣室での出来事は起きた」は前にも挙げた「コムナルカ」という無理やりに共同住宅化したところが舞台。最後の方は子供向けのお話…といってもハルムスだからなあ…
(2023 11/27)

補足:コムナルカ

「現代ロシア文学入門」より「ロシア文学深読みキーワード集」

コムナルカ(共同住宅)…20世紀初頭から都市の住宅事情は劣悪で、革命後は住宅が接収され労働者たちに分配された。1920年代後半からは、他の家族も同じ部屋に詰め込まれたりする。こうして歪み合い、相互監視、反対に家族を越えた連帯など文学的な場ともなる。あの「巨匠とマルガリータ」の50号室もコムナルカではないか。
(2023 08/06)

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