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「黄色い雨」 フリオ・リャマサーレス

木村榮一 訳  ソニー・マガジンズ

リャマサーレスは1955年スペイン北部レオンの生まれ。
訳者木村氏がこの作家を知ったきっかけは、セルバンテスの町の本屋のおじさんとの会話。そこからリャマサーレス本人に会うという後書きがこれまた沁みる。

「黄色い雨」冒頭少し。こちらは1970年代くらいに廃村に一人隠れ住む男の話…らしい。
(2016 11/05)

沈黙の音

 私は通りの端で立ち止まり、震えながら自分を包み込んでいる広漠とした孤独感をたたえた夜の闇を眺めた。息をするたびに、あたりを覆っている氷の薄い板のような沈黙がぱりぱり音を立てて割れて行くように感じられたが、耳に入ってくるのはその音だけだった。
(p27)


第2章に入り、前章の時点から遡ってこの村に語り手とその妻サビーナだけが残った雪積もった冬の夜の回想。沈黙の「音」。語り手はサビーナを探しに外へ出る。サビーナは犬と一緒に村を徘徊していた…
(2016 11/06)

黄色い雨降るアイニェーリェ村

 時には、ハリエニシダと私の記憶が燃え尽きてできた森のような白い灰をぼんやり何時間も眺めていることもあった。
(p29)


廃村アイニェーリェ村に一人(犬は?)残る語り手。そもそも何故村人は皆去り、彼ら夫妻だけが何故残り、そして何故妻のサビーナが首吊りしたのか、全くわからないまま語りは進行する。そもそも語り手自身は生きているのか、それすらもわからない。記憶と空想と現実が煙の中にともに立ち上ってくる、そんな小説世界。

 それからは記憶が私の存在理由、生活の中の唯一の風景になった。時計は片隅に打ち捨てられて停止し、砂時計を逆さにしたようにそれまでとは逆方向に流れはじめた。
(p49)


それも彼自身の記憶だけでなく、捨てられた村に残る様々な抑圧された記憶も襲いかかってくる。今さしかかっている毒蛇のところ(p77~)ように。

 時間は執拗に降り続く黄色い雨であり、それが燃えさかる火を少しずつ消し去って行く。けれども、記憶の裂け目とでも言うべき焚火が地中にあり、乾ききったその焚火は地下深くで燃えていて…
(p68-69)


さっきのp49の文の直前にもあった小説全体の名前「黄色い雨」がここでも出てくる。
(2016 11/07)

亡霊と犬の兄弟と死を伝える石

 死は今ここにいて、私の喉を通って私と一緒に呼吸している。
(p91)
 時間は雷に打たれた雪の塊のように溶けはじめる。以後二度と元のようにはならない。それからは日々と歳月が短くなりはじめ、時間は溶けはじめた雪が崩れて行くように儚い蒸気に変わり、人の心を徐々に包み込んで眠らせる。
(p140-141)


いったいこう語る語り手は死んでいるのか、それとも生きているのか。母やサビーナなどの亡霊と仲間入りをしているのか。
この登場人物が異様に少ない小説世界の中で、語り手もそして読者も、唯一感情移入できる雌犬。彼女?にも実は暗い過去はあり、6匹産まれた中で彼女だけ取り出してあとの5匹は川に沈めて殺した、という。

あとは死者の話に関する村の言い伝え。誰かが死んだことを聞いた最後の村人は、その話を何らかの石に話さなくては死がその人を取り巻くという。いつかその石を旅人が拾うかもしれないから…だって。
道端の見知らぬ石は無闇にさわらないようにしよう。
(2016 11/08)

アイニェーリェ村は存在する、あるいは…


存在していた、そうな。廃村になって。登場人物は作家の創造だが、実在する可能性もある…と序にあった。
ということで、「黄色い雨」を読み終えた。語り手は誰か、作者の考える、ここで語っているのは何者なのか。

 たぶんあれから何年もたったのだろうーその間、誰かがどこかで一所懸命語り続けてきたのだろう。
(p162)


と語っているのは誰で、誰かとは誰か。そして語り手は生きているのか。全てものが黄色く見える世界。最後は最初の章に立ち戻って終わる。

解説にあるリャマサーレス自身の言葉から気になる箇所をピックアップ。

 ものを書くのは孤独な行為です。書くというのは孤独な悪徳です。
(p198)


悪徳というところに自分としてはかなり惹かれる。書くということそのものを深く考えているのだろうなと…その言葉の後で書くことの周囲にあるさまざまなことが、書くことの妨げになっている、とも言っているが…

リャマサーレスは最初詩人として、そして小説やエッセイ、旅行記、映画シナリオまで。本人自身があまり内向的でもないと言っているように、案外にいろいろな作風があるようだ。
(2016 11/09)

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