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「やっぱり世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義2」 沼野充義

光文社


亀山郁夫編。もののあわれロシア版


「やっぱり世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義2」最初は亀山郁夫。彼はこのシリーズの1でも出ている。
読んだのが日曜日なのでちょっと間が開いているけれど、もののあわれは何も日本独自のものではなく、例えば「アウラ」とも重なり合わせるといい、また山田耕作がニューヨークでプロコフィエフに会い、ちょっとすれ違い?があり「俺はスクリャービンの方が好きだ」と言ったとか。
(2020 12/08)

野崎歓編。野崎氏が考えるフランス文学の特質


その1、百年戦争辺りから、フランスという国はずっと没落し続けている、という意識がフランス人にはあった。
その2、フランス語は明晰でエレガント…なので、そうでない要素の文学の受容・翻訳は遅くなる。シェークスピア、ダンテ、ドイツロマン派…

 とはいえそうした外国文学の刺激を受けて、フランス語の明晰さの枠の中で、阿鼻叫喚やデーモンといった禁じられたものを追求する苦闘を続ける中から、現代にもつながる一連のとんがった文学が出てきたような気がします。
(p79)


(2020 12/09)

野崎氏、都甲氏両者の共通見解…方言は翻訳に生かすことはできない

フォークナーの黒人を東北弁で表すことはもうないかもしれないけど、ミュラー?の大阪弁はどうかな?方言というよりもっと先鋭的だけど、浦氏のゴーゴリの落語調はどうだろう? 逆の事例はたぶんもっと少ない。
都甲氏の「世界文学30選」は元々「生き延びるためのアメリカ文学」だった-単一言語話者が見せる傍若無人さが許せないという。
(2020 12/14)

綿矢りさ編

(ここから後半「実作家編」となる)
綿矢氏が一番惹かれた作家は太宰治だという。外国文学ではドストエフスキー、訳者望月氏との対談もあるトルストイ(アンナ・カレーニナの夫カレーニンに同情的なのが珍しいと沼野氏)など。そして。

 後は、ナボコフの短編集を読ませてもらったときの鮮やかな比喩の印象も強く残っています。外国の人の考えた比喩が、日本人の私にもこれほどわかるのかという感じで、世界文学を読んでいるという感じがまったくしなかった。森を見るのではなく、葉っぱを見せられているような感じがしました。
(p208)


綿矢氏のこの言葉使いは沼野氏訳読んだのかな。ひょっとしたら献本されたとか。まあ、それはいいとして、森じゃなくて葉っぱというのが、なんとなくわかる。ナボコフ短編集買って葉っぱをみよう…
綿矢作品は何故かフランス語訳はあるが英語訳がないのだという。
質疑の時間に前回出た都甲氏が登場し大阪弁についての質問をしていた。
(2020 12/16)

楊逸氏編


1964年ハルビン生まれ。「時が滲む朝」で日本語を母語としない外国籍の作家で初めて芥川賞を受賞。

 はじめから壁がなければいいのだけど、壁というものは、学問にしても何にしても、だいたい自分で作ってしまう。
(p261)


これは中国に哲学が発展していかなかった理由。戦国時代の哲学(儒教等)が「聖典」となって「壁」となる。「自分で作る」という表現がいいね…
その他
台湾は蘩字体、中国は簡字体、というのは知られているけど、台湾はだいたいの本が縦組み、中国では横組み、らしい。
中国語には受身表現というのがほとんどないという。だから英語文学を中国語に訳すのは結構違和感残りやすいのだそうだ。日本語では受身表現は得意分野? だから英語文学は日本語の方が親和性が高い? (このシリーズの第3巻で田原氏が言っていた「中国語は理論的な言葉である」というのを考慮すると中国語の方が親和性あるような気が…)
莫言の中国語は山東省のやや荒れた感じの中国語なので、北京語にするとその荒れた感じが抜けると楊氏。そこから日本語に越えていくのだから、元とは結構離れそう。
楊氏お勧め(朝日新聞書評委員)の外国文学に「マルコーニ大通りにおけるイスラム式離婚狂想曲」(アマーラ・ラクース 栗原俊秀訳 未知谷)がある。
(2020 12/17)

最後は多和田葉子

時間ないため抜粋するけど、結構著作たくさんある人。その一作一作が全て実験的な問題作というのもまた。

 そういうときに、自分から離れたところでもう一人の自分がふっと笑っていることがあります。
(p318)


異国などでいろいろわからずに途方に暮れている時の話の多和田氏の言葉。沼野氏はそこから文学が始まる、という。

 戦争について、くりかえし同じ話を親から聞いた場合、周到に避けられている部分、穴の部分が、聞き手の心に本人の気づかないところでくっきりと跡を遺して、次の世代に伝わっていくわけです。
(p346)


なるほど。今の大きな流れになっているオートフィクションもその穴の自覚から始まるわけか。もちろん昔から文学はそうなのだろうけど。
(2020 12/20)

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