「バクトリア王国の興亡 ヘレニズムと仏教の交流の原点」 前田耕作
ちくま学芸文庫 筑摩書房
バクトリアという場所の特異性…
あと、どうでもいいけど、自分はどうしても「バクテリア」と響きからイメージが交差してしまう(笑)
(2022 04/17)
アケメネス朝ペルシアでは、創始者キュロスからダレイオスなどバクトリアとつながりのある王が多く、また反乱派とか別派がよく(肥沃である)バクトリアを中心にするという。
また、ダレイオス1世を選出した遠乗りで日の出とともに嘶いた(いなないた)馬の主にするアシュバメーダ(馬祀祭)が、ヴァージァペイア(力飲祭)とともにインド・イラン系の文化伝統に基礎を置く。
また後年、アレクサンドロスがペルシアを攻めた時に「ペルシアからギリシア系に支配者が変わる」と記した石板が水の中から出てきたという伝承も、先の馬の嘶きの例と同じく、デゥメジルが指摘(もっとデゥメジル読んでおけばよかった)。
(2022 05/19)
上記補足:著者前田氏はなんかデゥメジルに異様に詳しいなあ、と思っていたら、前にギンズブルグとの兼ね合いで借りるだけ借りて、全くの未読で返却してしまった、ちくま学芸文庫のデゥメジルコレクションの編者の一人でもあった。
補足終わり。
ギリシアとペルシア
さて、アレクサンドロスの東征の続き、バクトリアでの反乱軍を制圧しねぎらいの為の宴を開いていた時、似たような事件が連続して起こる。クレイトス事件とカッリステネス事件。
前者クレイトスはアレクサンドロスのペルシアとの初戦で命を助けた古参の将、後者カッリステネスはアリストテレスの甥でアリストテレスとともにアレクサンドロスの教師となった人物。両者とも、アレクサンドロスが「ペルシアかぶれ」「神」となったことに対し鬱憤を持っていて、宴の際それを口走って最終的に殺されてしまう。日本からすれば、戦勝の宴でこのような議論をしていることに驚くが、アレクサンドロス側からすれば、既にそれは考え済であって、余計な注文であった。
こういう対立の構図はいついかなる時でも見つかるもの、古代ギリシャのポリス対バルバロイ(野蛮人)から、ヘレニズム時代の世界市民社会への流れで起きた歪みと言えるだろう。
(2022 05/20)
アレクサンドロス大王の死後のヘレニズム時代
セレウコス朝のセレウコスから孫まで。
アレクサンドロスの末期に、麾下の諸将はアジア系の娘と結婚させられた…多くはその後、離れるが、セレウコスとバクトリアの娘アパメはずっと続いた。
その子供アンティオコスは、父の新しい結婚相手に横恋慕して恋煩いをするという展開で、この相手を父から譲り受け一番の安定期を気づいた。父子とも西側での争いに力を注ぐため、東側の新興勢力マウリア朝とは講和を結び大使も送った(この大使の書いた「インド誌」は散逸しているが、引用している様々な文献から一部は推察できる)。
しかしその子供アンティオコス(Ⅱ世)の時代には、東方も黙ってなくバクトリアでディオドトスが独立し、この2代でグレコ・バクトリア王国の礎石を築いた、と前田氏はしている。
(2022 05/23)
パルティア王国(安息)
主題であるバクトリアの西隣。セレウコス朝の東隣。
セレウコス朝ではアンティオコスⅢ世、パルティアではミスラダテスⅠ世の時が盛期。この時代より後になるとよく理解できなくなってくる。そして張騫とか中国(漢)そしてローマとの接触もこの辺から始まってくる。パルティア東辺での仏教の広がり(ゾロアスター教の土台は揺るがされなかった)、そして「ニサのヴィーナス」という彫像などのギリシャ文化。パルティアの僧も後漢時代に訪れていたという。
なんだろう。今思いつかないからかなり気になる…
(2022 05/24)
バクトリア王国のコイン
上記(p155)の件、今日読んだところから一つ。
バクトリアの王エウテュデモスの移住。パルティアを通る移住ができなくなったから、このエウテュデモス家の移住はそれより前すなわち父の時代であったとする。
このバクトリア王国、各王がどちらかというと東へ向かいタキシラ・ガンダーラからインドへ遠征している。マウリア朝はアショーカ王亡き後衰退し始めていたし、この頃のコインにはギリシャ文字とカロシュティー文字の2国語併用のコインが多い。このカロシュティー文字というのは、インド北西部の言葉。
なおかつもう一つのバクトリア王あるあるは、東側の侵攻をすると西側では、ギリシア勢力や留守居番が隙をついて反乱するという展開が多いというところ。
(2022 05/25)
ミリンダとナーガセーナ
第12章。マウリア朝を倒してヒンドゥー再興仏教迫害をしたシュンガ朝のプシュヤミトラと、河を隔てて対峙するメナンドロス。「ミリンダ王の問い」でのミリンダ王とは彼のことであり、仏教尊者ナーガセーナとの対論がそこには描かれている。
仏教に帰依したかは不明だが、プシュヤミトラの迫害のあと保護したので、後々まで物語が伝えられた。
第13章。匈奴→月氏(移動したのが大月氏と呼ばれ、しなかったナーガセーナが小月氏と呼ばれる)→サカ族(塞)シンド地域からインダスを遡り、インド・グリーク王国を滅ぼす。たぶんそれは次の第14章。
(2022 05/27)
とりあえず読み終えたけど、まとめは明日…
(2022 05/28)
バクトリア王国の発掘史
第14章は考古学的にわかっているところだけを箇条書きしている感じ。資料はまたしてもコイン。王の系列と地域を分類し、その関連を求める。
第15章は今までの通史的記述から、発掘史の記述となる。
とりあえず一箇所だけ引用しておく。
アイ・ハヌム遺跡は、現在のアフガニスタン、タジキスタンとの国境の川の合流点にある。タジキスタン側でもタフティ・サンギン遺跡などが発掘されている。
最後にあとがきから。
クシャン(クシャナ朝、カニシカ王の時代が盛期)の盛衰を描くための序章として、この本を位置づけている、と前田氏はしている。
(2022 05/29)