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「失われた宗教を生きる人々 中東の秘教を求めて」 ジェラード・ラッセル

臼井美子 訳  亜紀書房


読みかけの棚から
読みかけポイント:各章扉の青木健氏の概説をざっとまとめたのみ

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年表
第一章 マンダ教徒
第二章 ヤズィード教徒
第三章 ゾロアスター教徒
第四章 ドゥルーズ派
第五章 サマリア人
第六章 コプト教徒
第七章 カラーシャ族
エピローグ デトロイト
出典および参考文献
訳者あとがき
序文と各章の最初に、青木健氏の解説付き

青木氏解説から


マンダ教…グノーシス主義を取り入れたユダヤ教の一派が土台。南メソポタミアの沼沢地帯(「湿原のアラブ人」?)で成立。推定6〜7万人。

ヤズィード教…イラク北部、クルド人の一部、北部クルド語=クルマンジー語を話すクルド人の宗教。イスラーム・ゾロアスター以前のイラン系宗教に、イスラーム聖者信仰が加わる。推定30〜50万人。

ゾロアスター教…ペルシア帝国滅亡後、イスラーム化はイラン高原東部から始まり、南西部が10世紀頃まで。一部は高原中央のヤズドに籠って信仰を維持、他はインド西海岸へ「パールシー」と呼ばれる。エジプトと比較すると、宗教は脆かったがペルシア語はずっと残った。推定8万人。

ドゥルーズ派…レバノン等。イスラームの一派(と当人達は自覚している。シーア派→イスマーイール派→ドゥルーズ派と分派してきた。マロン派キリスト教徒と戦っている。推定200万人。

サマリア人…パレスチナ。紀元前8世紀ユダヤ教と分岐。タルムードを否認し、エルサレムではなくゲリジム山を信仰の中心に据える。ラビ・ユダヤ教(いわゆるユダヤ教)とイスラーム双方に中立。推定800人。

コプト教…西アジアの東方諸教会の一派。451年のカルケドン会議の決議を拒否した単性論派がエジプトに土着し、中世エジプト語であるコプト語を典礼用語とする。イランと比較すると言語と宗教の変遷が逆で、言語はコプト語を捨てアラビア語になっていたが、宗教では14世紀頃にやっとイスラームが多数派になる。エジプト人口の5-10パーセント。推定1000万人。

カラーシャ族…パキスタン西北部。アフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈東側ルーリスターンと近縁性がある。アフガニスタンの彼らが第三代国王アブドゥッラフマーン・ハーンの制圧でイスラームに強制改宗させられたのに対し、パキスタン(当時は英領)側ではそれは行われず、イスラーム以前のインド・イラン系の宗教と文化を保存。4000人。
(2022 03/22)

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