医師と結婚して離婚した話〜愛される権利
最初の調停から約1年。
3回目の調停の際に、調停員から
「先方が離婚する意思をお伝えされました」
と言われた時の開放感は今でも忘れられない。
そこから、公正証書が作成され、養育費や子どもの面会などについて細かく記された。
人生初の土下座
離婚が成立し、もう弁護士を通してのやり取りは必要がなくなったため、いよいよ義両親と対峙することとなった。
向こうにしてみたら、これまで散々逃げ回っていて、離婚が成立してからノコノコと顔を出すなんて…
と、思っていたに違いない。
案の定、大変な怒りだった。
何を言われても、実際は、もうどうでもよかった。とにかく、離婚が成立したのだから。
しかし、一方的かつ強制的に調停まで起こし、離婚をふっかけたはこちらなので、ひと通り罵詈雑言が収まった後に、
床に手をつき、深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした…」
人生初の土下座だった。
これが、最初で最後であってほしいと願う。
そんな土下座ひとつで先方の怒りが収まるとも思えなかったが、そうするしかなかった。
その後、婚約指輪、結婚指輪、義母から譲り受けた宝石、貴金属類、全て返却するように言われた。
熨斗を付けて返してやるよ!!!!!
ブランド物のバックも、全て売り払った。
こうしてセレブな医者妻から、毎月の支払いにも苦しむシングルマザーになった。
手元に残ったのは………
可愛い、愛しい、自分の命より大切な娘ひとり。
プライスレスとはまさにこのこと。
「何があっても、この子だけは守り抜く。
世界中を敵に回しても、私だけはこの子の味方だ…」
よく、↑こんな言葉を聞くが、これは大袈裟でもなんでもなく、本当にこんな境地になるものなんだと実感して、自分でも驚いたものだ。
大して他人に興味もなく、自分の世界だけで生きていたような一匹狼気質の自分が、こんな気持ちになるとは。
…あれから15年。
それはそれは生意気な高校生に成長した娘。
可愛げのかけらもなくなったが(笑)
不思議なもので、私の中ではこの誓いにも似た気持ちは今でもまったく変わっていない。
孫はかすがい
夫と離れることについては、相当な強い意志があったにも関わらず、娘と義両親の縁まで切ってしまうことはどうしても出来なかった。
娘の存在が義両親にとって
「生きる意味そのもの」になっているということを実感していたからだ。
私自身も、祖父母と暮らしていたので、おじいちゃん、おばあちゃんの愛がどれほど大きいものなのか…その愛情が骨の髄まで浸透しているような所があり、どうしても、どーーーしても、
「金輪際、娘は会わせません」
とは言えなかったのだった。
弁護士に相談した際に、
会わせる、会わせないはもちろん決めることは出来ますが
「子どもは万人から愛される権利があります」
という言葉が深く胸に刺さり、
自分が義両親の気持ちを中心にこれまで考えていたが、
そうか。
娘は誰からも分け隔てなく愛される権利があるし、それは、私の心からの願いでもある。
その言葉に背中を押され、面会については無制限とした。
娘を愛する気持ち、健やかな成長を願う気持ち、応援する気持ちは(正直、元夫に関してはよく分からない)
今も変わらず義両親と私を繋ぐ唯一の鎹(かすがい)となっている。
…次回は、離婚後の暮らしや、義両親が息子の異様さに気付き和解した話などを書きたいと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
教訓(深く胸に刺さった言葉)
【子どもは万人から愛される権利がある】
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