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どうして風船を始めたの??幼少期~バルーンに出会う直前編!

バルーンアーティスト、しばたふみです!

いきなりですが、今回のトップ画像は、雑誌に載ったときや、読者モデル時代の私です!昔は可愛かったんですよ、私(笑)

今回は、よくお客様や、初対面の方に質問いただく事についてです!

Q どうしてバルーンアーティストになったの?

この質問に詳細に答えるには、相当に遡り、私の小さいときからの話になります。

私の物心ついたときは、子役タレントさんが沢山テレビで活躍していました。

所ジョージさんと共演されていた間下このみさん、あっぱれさんま大先生の生徒さんetc..

その頃から、「テレビに出る人」に憧れがあったんですね。

私は、小学生の時はいわゆる「よく喋る、笑いを取ることに必死な子」でした。当時の同級生には、笑われたり、馬鹿にされたりしていましたが(笑)面白いのが昔から好きだったのかもしれないですね!

中学生の時は演劇部ですが、弱小の演劇部だったので、発表会は秋の文化祭のみで、集まったメンバーもやる気がなく、ろくに練習もできずにダラダラしている人と、もっと練習をしたい私で衝突が常にあり、部活の空気はあまり良くなかった記憶があります。

高校生になってからは、ファッションと、ロックバンドにと世界が広がり、部活はせずにバイトを2つ掛け持ちして、ライブハウスに通う事に夢中になりました!それと、ロリータファッションが大好きになり、バイト代をやりくりして、可愛い服を着ることに夢中になりました。ロリータブランドって、一揃え10万円を越えるので、高校生のころは、頭飾りを手作りしたり、フリマでそれっぽい服を買ってリメイクしたり。。今考えればめっちゃデブいんですが(笑)それでも楽しかった!

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芸能界への憧れはずっとあったんですが、私の親は芸能界を目指すことに絶対に反対派で、保護者の同意を得られない以上、一つもオーディションを受けられませんでした。当時は母親との軋轢がかなりありました(当時、母親に真っ向からすべてを否定された事は、今でも少しだけトラウマ..😧)。

高校を卒業し、オーディション雑誌を買って、ラジオ番組のオーディションを受け、東京FMのラジオ番組で隔週の収録に参加して、10分のコーナーを持つことになりました。

芸能界を目指す女の子がコーナーを持つ!というコンセプトだったんですが、喋るのってすごく難しいんですよね。

それと、学生時代から続く、何でも直前に取り組んでしまう癖で、いい形の台本が作れない時もありました。

そして、収録に呼ばれる頻度が少しづつ減っていき..気付いたら、アルバイトをする、普通の人に戻ってしまっていました。

でも、その時にメインパーソナリティを勤めていた先生とは、ラジオでの関わりが終わり、15年経った今でもとても親しくして下さっているんです!そのお話はいつか、また書かせていただきますね。

当時の私は、「テレビに出る人」になりたいという私は、実際何になりたいか?がどうしてもはっきりせず、事務所所属のオーディションも受からず、ぶらりとした毎日となって行きました。

女優さん?音楽家さん?

タレントとして活躍している人みんな、何か得意なものがあってこそ、バラエティーで活躍しているもの。

私は何がしたいか?

芸能界は10代から辛いレッスンを重ねて、レッスン生の中で一番を目指して、デビューしてからはまた一番下からのスタート、飽きられたり嫌われたら終わりの本当に厳しい世界。私は今から頑張っても何もかも遅いんじゃないか..?

頑張る勇気も、諦める勇気も出ないまま、後ろ向きな苦しい気持ちのまま、私は普通のフリーターとして、ゴスロリ、ロリータ系の古着屋さんでバイトをする毎日に戻っていったんです(それはそれで楽しかったんですが)。

ラジオのアシスタントデビューしたのが21歳、そしてラジオにも呼ばれなくなり、22歳~25歳まで、暗黒期が続くこととなります(笑)



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