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6歳の息子が観た「となりのトトロ」

先週の金曜ロードショーは「となりのトトロ」でした。
年長の息子は、保育園で友達からそれを聞いたらしく、
「きょう、きんようロードショーでとなりのトトロやるんだってー。○○くんも○○せんせいもみるんだって。Sくん(自分のこと)もみたいよー。」
と言ってきました。我が家はジブリ関連のものは大体すでに録画済みで、となりのトトロも数年前の金曜ロードショーが録画されていたので、週末に家族で鑑賞することにしました。

小学6年生の娘も「何回かみると、新しい気づきがあるよね。」と数回目の鑑賞ですが、新たな発見をしながらとても楽しんで観ていました。私も夫も家事や作業の手を止めて、いつの間にか釘付け。何回観ても本当に素晴らしくて、大好きだなあと思いました。グッとくるポイントや感じ方はその歳によって違うんだろうと思います。今回の自分は、メイが息子、さつきが娘に重なり、完全に親目線でした。さつきとメイの年の差がうちの兄弟とほぼ同じで、喧嘩も含め二人のやり取りが日常と重なる部分が多いのです。こういった子ども達と過ごす日々の愛おしさを改めて感じながら観ていました。一方で、穏やかに子供達の成長を見守るお父さんとお母さんの姿を見て、自分の余裕のなさも反省したり。

さて、6歳の息子はというと、トトロやメイの仕草にその都度大爆笑。心からトトロの世界を楽しんでいました。
そんな中、とあるシーンで息子がポツリと言った一言が印象的で、色々と考えさせられてしまい、どこかに残しておきたいと感じてnoteに書くことにしました。

ずっと楽しみにしていたお母さんの退院が延期になり、泣き喚くメイ。さつきはそんなメイを「仕方ないでしょ」と諭しますが、理解できないメイと喧嘩をしてしまいます。しかし、カンタのおばあちゃんに会うと、ずっと我慢していたさつきも、おばあちゃんにしがみついて泣き出してしまいます。
それを見たメイは微妙な表情をしてトコトコとどこかへ歩き出してしまうのでした。
「となりのトトロ」

この「メイ行方不明事件」に繋がっていくシーンを見て、息子は、

「おねえちゃんだけギュッてしてもらって、いやだったんだね…。」

とポツリ。その時はすぐに「いや、違うでしょー!」っと思わず笑いながら突っ込んで、私なりのこのシーンの解説をしてしまいました。
でも、改めて考えると、息子は息子なりに自分の経験や感情を総動員して解釈していたんだなと思い、否定してしまったことが悔やまれます。物語の世界では、どんな風に観たって、それは観る人の自由。息子は自分の世界から自由に観ていたのに。「それは違って、こっちが正しいよ」っていう言い方ではなくて、「そういう風に思ったんだね。お母さんはこう思ったよ。」みたいな返し方をすれば良かった。
そして、その言葉の背景に思いを馳せると、いつも私が娘のことを褒めたり、抱きしめたりする度に、「おねえちゃんだけずるい!」といって拗ねる息子の姿が思い浮かびました。自分としては、どちらにも同じように接しているつもりでしたが、息子の心に渦巻く感情を、なんだかいつもと違う視点から覗き込んだ気がしています。
何より私が一番強く感じたのは、「ある場面を見て、共通性のある自分の経験や感情を心の中から引き出し理解しようとする」という行為は、こんな小さな時からすでに始まっているんだ!という驚きです。当然のことなのかもしれませんが、「人の気持ちを理解しようとする力」の芽が出ているなあと感じ、大切に育てていきたいなと思いました。
5年後、10年後、もっと色んな経験をした息子が、同じシーンを観たらどんな感想を持つのだろう。是非聞いてみたいなと思います。

最近は寝る前に私のお腹に乗って「あなた、なまえなんていうの?」「トートーロー」「あなたトトロっていうのね!」の場面を繰り返し、爆笑している息子です♪

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