網走監獄からの知床おしゃれキャッフェまで

まだまだ続きます。北海道旅。


毎日の宿を前日に決めるスタイルもまだまだ続きます。
明後日の宿はまだ決まってません。笑


さて、今日は午前中は網走に行ってきました!
網走は思ったよりも都会だった!笑
釧路にはなかったミスドやマクドが網走にはあったので、
都会だなぁと。(都会の基準よw)

なか卯やモスバーガーもあったので都会度かなり高いですよ。


いざ、網走監獄へ

念願だった網走監獄へ行きました。
明治時代と出来上がった網走監獄は、囚人自らが建てた建物でした。

囚人の食べるものは全て自給自足。
レンガを焼くのも野菜を調理してご飯にするのも全て囚人自らが行っていました。

網走の位置的にロシア(ソ連)を牽制するために
労働力として囚人を利用した側面もあるようなので、
網走監獄が出来上がったのにはかなり政治的な意図があったように感じます。

興味ある方はぜひ、成り立ちなど調べてみてください。


今日は、網走監獄の写真をご紹介しますね。

こちらはJR網走駅


網走刑務所の門の再現。守衛はマネキン。。。。怖い。

当時の門の再現


これも多分門の再現っぽい



風呂場。もちろん看守付き私語厳禁。入浴ルールも厳しかった模様


メインの収容施設。
中央に見張りがあり5つの通路にずらっと収容施設が並んでいる。
効率化された建物。


1つの通路がこのようになっている。
3〜6名で大体1部屋。1つの通路で数百人程度収容していたらしい。
聞こえる音は看守が歩く音だけだった。心なしか音が反響しやすいように作られていた気がする。


こちらは上の写真の外観。外観も無機質。


食堂。

自分たちで育てた野菜を漬物にし、味噌を作り、料理まで全て自給自足した。


こちらは別の収容施設。
こちらも基本的に数人で収容&音が響く作りになっていた。

調理場。


囚人は着る物、寝る時間、食事の量と時間、お風呂の入り方と所要可能時間まで
全て事細かく決められた中で生活していた。
労働力として駆り出されることもほとんどできつい土木作業や
昭和13年ごろの戦争に囚人数百人が戦地に送られるなど
かなりきつい状況だったみたい。


反抗的な囚人にはそれなりの罰(体罰はもちろん食事減など)があったみたい。
一番きついなぁと思ったのは光が一切入らない独居房にぶち込まれることかな。
1畳もない明かりもない部屋に閉じ込められるってめちゃくちゃ精神病みそう。。。

網走監獄ページ

網走での目的を終え、知床半島へ



知床半島は目の前にロシア領

知床半島の羅臼(らうす)に行きました。羅臼昆布とか有名ですよね。
なぜここに行ったかというと
なぜなら北方四島である国後島を見たかったから。

こちらが羅臼です。

めちゃくちゃ端っこ!!
北海道の端っこです!


そして目の前にあるのが、国後島。ロシア領。

うっすら見えてるアレがロシア領。

こんな目と鼻の先にあってここからは渡れないなんて、
すごく不思議な気持ちになりました。

北方四島の歴史はアイヌの歴史にも繋がるので、
引き続きしっかり関心を持っておきたいなと思います。
アイヌとかネイティブアメリカンの文化がめちゃくちゃ大好きなので。


最後は、知床おしゃれキャッフェ

知床の中標津(なかしべつ)というエリアは、
ちょっとおしゃれな場所がいくつかあるっぽく
今日はこちらのカフェにお邪魔しました。


白と黒のワンちゃんがお出迎えしてくれるので、
めちゃくちゃ癒されますよ!
写真NGだったのでワンコは実物を見に行ってみてね!

ONUKI COFFEE ROASTERY ページ



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